『決戦! 大坂城』 葉室麟、木下昌輝、富樫倫太郎、乾緑郎、天野純希、冲方丁、伊東潤 /引用三昧 17冊目  

鳳凰記 葉室麟  秀頼が二条城で家康と対面してから、豊臣方と見られていた有力な大名が相次いで死んでいった。

二条城での会見が行われて間もない四月七日に寧々の義兄である浅野長政が江戸で没した。これを皮切りに、六月四日には関ヶ原合戦後、紀州九度山に配流されていた真田昌幸が亡くなり、同月十七日には秀吉子飼いの武将だった堀尾吉晴が出雲松江で死んだ。さらに二条城の会見で秀頼に付き添った加藤清正が肥後に帰国後、急逝した。

浅野長政真田昌幸堀尾吉晴はいずれも六十歳を過ぎた高齢であり、病による死であったかもしれない。だが、加藤清正はまだ五十歳だった。しかも二条城で秀頼に付き添う姿は壮健そのものだった。世間では、徳川方の手で毒殺されたのではないか、との噂が立った。[34]

 

日の本一の兵 木下昌輝 四 「まあ、小幡や織田有楽斎の糞ったれが大坂の軍師面してることを考えりゃ、真田左衛門佐が本物か偽物かなどささいなことかもな」

吐き捨てるように言ったのは幸村だった。淀君の信頼を得ている小幡景憲織田有楽斎は、関ヶ原では徳川方として活躍したことを知らぬ者はいない。徳川の間諜であることは明らかだが、恐怖と興奮で我を失った大坂の主将たちはそれに気づかない。[76]            

 

 実は戦さ場で、脱糞や失禁は珍しいことではない。極限の戦闘状態におかれると、下半身が緩むのは当然の生理現象である。ただ、したと公言しないだけだ。[83]                               

 

十万両を食う 富樫倫太郎 

赤米は、大唐米とも言われる外来種の米である。小粒で味が悪く、全体に赤みを帯びているので赤米と呼ばれるのだ。米市に持ち込まれる米としては最下等で、値段が安く、炊くと量が増えるので裏店-うらだな住まいの貧乏人の常用食と言っていい。[108]

大唐米に限らず、米は何年も寝かせておくと少しずつ赤っぽくなるので、単に味の悪い古米を赤米と呼ぶこともある。要するに、赤米と言えば、値段の安さだけが売りの、まずい米の代名詞なのである。[110]

 

五霊戦鬼 乾緑郎 一 

奉公構(ほうこうかまい)とは、出奔した家臣を、他家が召し抱えないよう回状を出すことである。刑罰としては切腹に次ぐもので、これを出された者は他家への仕官がままならず、場合によっては奉公先を見つけられずに野垂れ死ぬことになる。[161] 

 

ここまでで、折り返し点の少し前あたり。

もっと&ちゃんと読みたい方は、元本を入手していただきたい。

ウンチク部分のみのピックアップだが

肝心の物語も、すこぶる面白かった。

当たり前のことだが、魅力のある作品しか紹介していない。

 

ではでは、またね。