自然と旅を愛するドイツ文学者が
心おもむくままに楽しんだ山旅といで湯旅行 ――Amazon紹介文より
天気がいいので 檜原村
温泉センター前でとび降りた。山の斜面を整地した小高いところに、白いコンクリートの函を並べたような建物が見える。檜原村温泉センター「数馬-かずまの湯」といって、平成三(一九九一)年にみごと源泉を掘りあてた。三年後、建物にとりかかり、平成八年に完成。緑と清流にもう一つあたたかいのが加わった。別名「不老の湯」、あるいは「森林入浴」ともいうらしい。 [9]
乾徳山-けんとくざん
銀晶水の水場から少し奥に入っていった。ひそかに見当をつけていたところである。雪消えの沢に水音が高まって、とともに期待で胸がふくらんでくる。はやる気持ちをおさえながら辺りを見まわすと、ポッとふくらんで、ほのかな緑をみせている。宝石を手にするように、まだごく小さいのを二つ三つ、つまみとった。フキのトウである。火にあぶってミソをつけると実にうまい。ザッと刻んでミソあえにしてトロ火にあぶると、即席のフキミソができる。酒のおともに絶妙だ。 [21]
丹沢山塊のうちでも北のはしの大群-おおむれ山と加入道-かにゅうどう山は、図体がグンと大きい。北側が急角度で落ちこんでいて、山裾をうかがうように川が流れている。この川に沿って道志七里とよばれる細長い村がある。毎年、冬になると、そこの鉱泉宿へ出かけていく。建物はオンボロ、部屋はひえびえしていて、コタツに入ってもなお寒い。
じいさん手製の岩風呂は、お世辞にも立派とはいいにくい。そんなところだが、雪が降ったと聞くと、やもたてもたまらない。 [50]
仙人志願 秋田駒ヶ岳
乳頭山は火山活動でできた。名前からもわかるとおり、山頂が娘の乳房のように盛り上がっている。秋田駒の女-め岳は、いまでも水蒸気をふきあげている。
ここには地下に巨大な火のかたまりがある。おのずから地上に湯があふれ出る。
「湯つぼが六つあって、それぞれ泉質がちがいます」
鶴ノ湯のご主人はまだ若い。長屋門のある古い湯宿を守りつつ、新しい試みにも意欲的だ。 [57]
シャクナゲが淡い虹の花を咲かせている。ニッコウキスゲがひらきはじめた。ハクサンチドリ、キバナノコマノツメ、エゾツツジ。秋田駒は全山がお花畑のように花が多い。 [60]
黒湯によって湯滝に打たれてから、しばらく、カヤ葺き屋根の下の縁側でシャツのまますわっていた。全身にここちよい疲労があった。足元を雪解けの水が音をたてて流れていく。水滴が散って、キラキラと光っている。乳頭山へ続く斜面は、薄緑の波のひろがり。こんなときである、自分が何億本とある草木の一つであるような気がするのは。とすると目の前の風景は、まさしく私の心である。[62]
大沢温泉から長九郎山 〈大沢荘炭酸泉の価値と効用〉
上がりかまちの上に古風な看板が掲げてあった。しも手の宿の所有で、伊豆唯一の炭酸泉、湯室は名湯道後温泉に匹敵するという。高血圧、神経痛、リュウマチ、胃腸に効く。肌がきれいになるので、通称「化粧の湯」。最後にカッコつきで〈尚厚生省の調べです〉と断ってある。価値と効用を保証するものらしく、そのように昔の厚生省はエラかった。
なだれ落ちるような山裾の窪みが天然の湯壺で、ゴボッゴボッと音をたてて湯が盛り上がっている。小さな仕切りが女湯と分けていて、奥は一つ。川向こうの竹林に朝陽が射し落ちて黄金色に染まってきた。 [95]
四国・国見山
四国はお札の国である。
一つはお札-ふだ、八十八カ所の巡礼でおなじみだ。お参りの記念にお姿入りのお札をいただく。もう一つはお札-さつ。とりわけ土佐の和紙が知られていた。
かつてわが国の紙幣のおおかたは、土佐紙でつくられた。ねばりがあって強い。
水にぬれても破れない。土佐紙のもとになるコウゾやミツマタは吉野川の支流の奥深い山中でとれる。 [104]
城ヶ倉温泉の支配人は背が高く、手足が長い。顔も長い。八甲田のことなら何でも知っている。ご当人自身、半分がた仙人じみている。
「風呂あがりの散歩にいいですよ」
大きな湯船と露天風呂とがガラス一枚で仕切られていて、前方は広い草地、それがそのまま大きな山へつづいている。裸になると、ちっぽけなわが身ひとつが地球上におっぽり出された感じで、なんとも心細い。お湯にすがりつくように沈んでいた、それから全身もみじ色になって這い出てきた。
古い紀行記に「酸ヶ湯の仙人」が出てくる。バスが着くと高々とラッパを吹き鳴らして歓迎した。歳をとってから愛した山が石倉岳だ。城ヶ倉から猿倉に向かう途中の左手、少し奥まったところに赤い鳥居がたっている。これが目じるし、八甲田山は数かぎりない峠や沼や湿原をもっているが、そのなかで石倉岳は例外的に石山である。巨大な岩が突兀-とっこつとして重なりあっている。
さすが仙人が愛しただけのことはあって、一歩ごとに展望がひらけ、三十分たらずで天地をひとり占めしたような大岩の上にとび出した。
「ウーム‥‥」
景観があまりに雄大だと、形容のことばが見つからない。ただ大息ついてうなっている。南八甲田の駒ヶ峰、櫛ヶ峰、乗鞍岳、左手が猿倉温泉、その前方がひろびろとした仙人平。 [123]
この夜は猿倉温泉に泊まった。浴室の一方が横長の一枚ガラスで、パノラマを眺めるぐあいだ。お湯は白濁していて、そこに首だけが浮いている。木組みの天井が塔のように高く、湯気がもつれ合いながら、ゆっくりと昇っていく。
眺めている自分もまたパノラマの一点であって、うっかりすると湯気につつまれて昇天しかねない。 [125]
民宿「又兵衛」に着くと、菅原光二さんが待っていた。十和田市在のナチュラリストは、撮りだめた膨大な写真から『日本フィールド博物記』をつくったばかり。風格のある白髪がうしろになびいて、はやくも老君じいさんのおもざしである。
夜のごちそうはキノコ鍋。ムキタケ、ナラタケ、アミタケ、キヌメリガサ、ハナビラタケ、クヌギタケ、はないぐち、ハツタケ‥‥。すべて又兵衛一家が手ずから採ってきた。大地に生え出すキノコの変化-へんげ自在ぶりはどうだろう。まったく途方もない。そのかたちからして、どこやら魔性をおびており、なんともたのしい植物界の魑魅魍魎というものだ。いろりにのった鉄鍋のなかで躍りあがり、バッコしている。そいつをつまみとって、パクリと腹に収める。[130]
雲と口笛 峠の山道
とくに春から夏にかけてがいい。上信国境の錯綜した山地は、いろんな風景を隠している。適度に不便なので、ワンサと人が押しかけてくる恐れもない。天気がいいと風が強く、大気がガラスのように澄んでいる。これは長大な分水山脈のつらなりだ。南の神流-かんな川や西牧川、南牧川にはじまって、無数の川が東西に走り出る。そこにはのろまなアカハライモリもいれば、すばしっこいハヤもいる。尾根を下り、草の斜面を下ってくると、林やヤブ、小川、また山の畑が迎えてくれる。里山に降り立つ、あのときのやすらぎがいい。そして、そこにはきっと湯煙の立つ宿がある。 [146]
霧の早池峰山
民宿の夕食は山菜づくしだ。名前を聞いたが、どれもふしぎな暗号のようで、聞いたはたから忘れていく。ウルイには黒ゴマがかかっていて、ビールのお供にちょうどいい。シオデは別名を「ヒデコ」といって、アスパラガスのような感じ。山菜の王様とかで、あまりとれないそうだ。 [150]
東北の山はいい。彫りが深くて、どっしりしていて、大きく迫ってくる力がある。それに何よりも無口である。北アルプスもいいが、大山のわりには饒舌な感じがする。オツに澄ましたところがある。東北の山々は牛のように黙っている。無口だから何も告げないが、実は照れ屋で、それで霧のマントをかぶりたがるのだろう。 [163]
鬼怒沼山
八丁の湯、加仁湯、日光沢温泉、手白沢小屋。まるで遠い親戚をひそかに訪ねてきたぐあいだ。年々、変化があって、八丁の湯と加仁湯の変わり方には呆然とするほどだ。お湯ばかりは変わらないので、そっとつからせていただく。[167]
初夏は根名草山経由ときめている。金精トンネルの入口で山にとりつき、旧坂を上ると三十分たらずで峠に出る。やにわに視界がひらけるあの一瞬がいい。
朝もやのなかに男体-なんたい山の三角錐が天を指している。いつもつい、ながながと腰をすえて見とれている。 [168]
根名草山の山頂は痩せ尾根づたいのコブのようなところで、展望がいい。尾瀬から燧-ひうちヶ岳、鬼怒沼の湿原、帝釈-たいしゃくの山並み。ひととおり見終わると、わたしはコブに尻をのせて、あいかわらず東の方をながめている。
高雉山が邪魔をして、辻まことが行き迷った門森沢は目にとどかないが、それでもやはり、静かな鐘の音が聴こえるような気がするからだ。深い沢の右岸の広大な針葉樹林体を風がゆっくりかすめていく。 [172]
"身に覚えのあるエリア"の情景が、五感とともに蘇ってくる
ずいぶんと昔のことだが
相方と二人、根名草山経由で加仁湯まで歩いたところ
途中、深い霧に巻かれて道に迷い
遭難こそしなかったものの遅れに遅れ
夜7時過ぎ、ようやく加仁湯の宿にたどりついた記憶がある
それもあって、鬼怒沼山の章まで入れさせてもらった
ではでは、またね。