第一部 うつくしい列島
富士 スターとの正しい付き合いかた
富士山は幸運続きの山だ。
まずは(言うまでもなく)その形状。ほぼ完全なシンメトリーで、水平にすぱっと切り取られた山頂から左右ともになだらかな曲線を描いて広い裾野に至る。
今回ぼくは改めて富士山を一周してみたが、河口湖あたりから見る東側の稜線はとりわけ見事だった。水平になるまでどこまでもぐいぐいの伸びている。
ここまで整っていると象徴にされやすい。記号化されると言ってもいい。日本ではどんな子供でも富士山の絵が描けるが、それは実は絵ではなくて図なのだ。
みんなに見える場所にある独立峰というのも幸運、言いかえれば人間にとって都合のいい偶然である。海から近く、人の行き来の多い東海道からよく見えて、しかも周囲には邪魔になる他の山がまったくない。ほぼ一〇〇キロ離れた東京からもよく見える。前山の位置にある丹沢山塊のシルエットがいよいよ富士を引き立てる。
しかも、この目立つ山が日本一高い。これがどれほどの幸運ないし偶然であるかは、日本で二番目に高い山はどこかと人に問うてみればわかる。南アルプスの北岳-きただけ、と即答できる人はめったにいないだろう。北岳は標高三一九三メートルだが、その高さを実感できる視点がないのだ。三キロ南に連なる間-あいノ岳-たけは北岳よりわずか四メートル低いだけだし、その南の西農鳥岳-にしのうとりだけも三〇五一メートルある。これでは北岳には第二位という実感が伴わないのも当然ではないか。
もう一つ、日本地図を見慣れたわれわれが無意識のうちに認知している特徴がある。富士山はほぼ日本の中心に位置しているのだ。この山から北へ計れば稚内までがおよそ一二〇〇キロ、南西へ計ると奄美大島-あまみおおしままでが同じく一二〇〇キロ。
これだけの偶然が重なると、もうわれわれは富士山を日本の象徴、ほとんど日本国統合の象徴として受け入れざるを得なくなる。恐れ入りました、という感じだ。 [13]
スターとは私的に付き合ったりしない方がいい。話をしてもいけない。向こうにとってこちらは何者でもないのに親しくなったような錯覚を持ってはいけない。近くからは見ない方がいいる
遠いところから、このスターが他のスターと戯れるさまを憧れの視線で見る。
それに徹しよう。
富士山に対抗できる他のスターとは誰か? 上に広がる空であり、そこに立ち現れる多種多様な雲の変化-へんげであり、なによりもこの山を包む光だ。
富士山は上から降る光と絡み合って無数の相貌を一日の中で、一年の季節の廻の中で、見せてくれる。日本列島で最も豪奢-ごうしゃな風景劇場である。 [16]
知床半島 知床という名の奇跡
日本は大きな国だ。
国力とか経済力とかいう話ではなく、国土のこと。純粋に自然地理の視点から見て大きい。
国連加盟国は一九三あって、その中で日本は面積において六一番目である。
つまり世界には日本より狭い国の方がずっと多いのだ。ためにし西ヨーロッパ諸国と比べてみれば、日本より広いのはフランス、スペイン、スウェーデンの三つしかない。
われわれは隣に中国とロシアという段違いに大きな国がある上に、何かにつけて米国を意識してものを考える癖がある。だから自分の国は小さいと思っているが、それは間違いだ。
大事なのは、日本が領域において広いということ。
沖ノ鳥島のような極端な無人の離島は無視して普通に人が住んでいるところだけを考えても、東西には納沙布岬-のさっぷみさきから与那国島-よなぐにじままで軽度にしてほぼ二二度五〇分、南北には稚内-わっかないから波照間島-はてるまじままでおよそ二一度三〇分(稚内ではなく択捉島-えとろふとうの北端を取っても同じ)。
これを米国の本土に重ね合わせてみれば、日本の北端はいちばん北のメイン州とほぼ同じ緯度に位置するし、南はフロリダの南端よりも更に南になる。同じ軽度の幅を重ねればニューヨークから中部のカンザス州に至る。つまりアメリカの東から西までのほぼ中点だ。
それだけの自然の多様性が日本にはある。実面積では米国の四パーセントにすぎないのに、南北には同等、東西も半分に近い。日本には亜寒帯から亜熱帯までが揃っていて、しかも島国だから島ごとにそれぞれの生態系があり、そこにモンスーンが複雑な気候を提供する。
この豊かさをわれわれは普段どれだけ意識しているだろう? 例えば日本に知床という豊饒-ほうじょうの地があることを? [17]
知床はそれ自体が奇跡である。われわれはその軌跡を賛美する姿勢で近づかなければならない。北緯四四度で流氷が見られる場所などここ以外には世界中どこにもない。そのすぐ先の山に夏になればミヤマカラスアゲハが舞い飛ぶ。[20]
さくら列島 落下の雪に踏み迷う‥‥
なぜ桜が文化かといえば、山ぜんたいが一種類の花で覆われるというのは自然にはあり得ないことだから。しかもそれが葉も出ないうちに一斉に咲いてまたすぐ一斉に散るという奇妙な花だ。
自然は用心深い。いつでも何段階もの策を用意している。花ならば開花の時期をずらして、天候がどう変わろうと結実するものを確保する。仲間の数を増やせば誰かが生き延びる。そうやって種の保存を図る。一つの籠にぜんぶの卵を入れはしないのだが、満開の桜にそういう用心はない。 [28]
ソメイヨシノは自力で繁殖できない。昔から桜の名所であった吉野にちなんで、しかし吉野からははるかに遠い江戸郊外染井-そめい村の植木屋たちによって作られたこの品種は、接-つぎ木でしか増やせない。これを播-まけば実生のソメイヨシノが育つという種子は存在しない。人が手を貸さなければ生まれてくることがなかった花。[30]
琵琶湖 葦の茂る岸辺で
京都から見て大きな淡海は二つあって、近い方は「近淡海(ちかつあわうみ)」と呼ばれ、遠い方は「遠淡海(とおつあわうみ)」と呼ばれた。近江-おうみと遠江-とおとうみという国名はこれに由来する。
それぞれ琵琶湖と浜名湖だ。近江の藤原氏が近藤さんの祖先で、遠江の藤原氏が遠藤さんの祖先だというとぐっと身近な感じになるだろう。姓は古代につながっている。 [33]
湿地は畑にならないと書いたが一つ例外があって、この例外が日本という国を作った。
稲だ。
この草は水辺で育つ。他の植物が嫌ったところに進出して成功した種類。それを育ててその趣旨を食べることで東南アジアの人々は繁栄し、それがずっと北の方まで伝わって、この列島を狩猟採集文化圏から農耕文化圏へ変えた。
日本の昔の名前の一つに、「とよあしはらのみずほのくに(豊葦原瑞穂国)」というのがある。瑞穂は稲の穂だけれど、豊かな葦とは何か? 実は葦はイネ科なのだ。葦があるところならば稲は育つ。 [35]
何千年も前、列島に渡ってきた人々が東へ東へと進んで、山科の低い峠を越えて琵琶湖を目にした時、その広さに感動しなかったか。水辺まで降りて真水であることを確かめた時、いや、その前に葦が茂っているのを見ただけで、こんな豊かな土地があったかと欣喜雀躍-きんきじゃくやくしなかったか。彼らは稲作を知っていた。葦を稲に換えれば食べるものが確保できる。自分たちはここで生きていける。 [36]
桜島 地史と大気が交差する場
島内を走っていると道端に頻繁に避難所がある。一見バスの待合所のようだが、コンクリートのしっかりした造りで、上から降るものから身を守れるようになっている。陸から海に速やかに退避するための避難港も多い。ここに暮らす人の心の姿勢を見るようだった。覚悟と諦念だろうか。
フェリーで鹿児島に渡って空港に向かう途中で雨が降りはじめた。フロントガラスを濡らす雨がどこか様子が違う。ワイパーで脇に寄せられた雨水に黒いぴ粒子が混じっている。火山灰だ。
こういう雨が降るところだと改めて知った。 [40]
白馬連峰 山という別世界の花
実際、高山は別世界なのだ。
一〇〇メートル登ると気温は〇・六度下がる。
今、立っている丘の上が標高一〇〇〇メートルだから、使用面の唐松-からまつ岳の頂上との差はほぼ一七〇〇メートル、温度差に換算すると一〇度になる。
一〇度の差を水平方向の移動で体験するのは容易ではない。『理科年表』で五月の「気温の月別平均値」を見ると、一〇度はほぼ那覇と沖縄の差に当たる。[44]
高山植物は多くのハンディキャップを抱えている。ともかく与えられた時間が少ない。短い夏の間に生長し、鼻を開いて受粉し、時代の栄えの準備をする。
その後は雪の下の長い長い待機。
この山はかつては氷河を擁していたからカールなどの氷河地形が残っている。
そして、高山植物もまた氷河期からの生き残りだという(富士山や浅間山-あさまやまなど新しい山には高山植物がない)。 [46]
慶良間-けらま諸島 竜宮城の遠い記憶
地学と生物学はまったく別の分野だ、人は思っている。
そうではない、と言うのがラヴロックらのガイア仮説だ。地球が今あるような姿になったについては生物の寄与が少なくなかった。われわれは大地に寄生するだけではなく、積極的な建設者だった。
その中でも最も大がかりなのが珊瑚礁で、サンゴという生物は実際にたくさんの島を作って地形を変えてきた。それどころか石灰岩という形で二酸化炭素を固定し、温室効果による気温の上昇を抑制して、今ぼくたちが見るような自然を作った。 [50]
魚津 南又谷 奇怪な形とまっすぐな杉
数百メートル行ったところで杉の木が現れる。洞杉-どうすぎと呼ばれる天然の杉の群落。どれも実に奇怪な形に育って、根を張ってそこにいる。堂々と存在感を四方に放射している。 [53]
山は自然、という都会人の誤解がある。
実際には山の多くは畑である。人が植物を植えて育てて収穫するという原理において人工林は畑と変わらない。ただし周期が長いので、失敗すると回復に時間がかかる。昭和三十年代に拡大造林と称して杉を大量に植えたのはよかったが、価格の低迷と人手不足でろくに間伐もしないから山は荒れ、花粉症の流行を引き起こした。 [54]
美林という言葉がある以上、堂々たる努力を注ぎ込んだ林を美しいとする視点はあるのだろう。現に世の中は京都北山杉のある整然たる姿を愛-めでるではないか。
しかし、ぼくはこの片貝川南又谷-みなみまたただにの、育つ途中で暴れに暴れてとんでもない姿になった洞杉の方が百倍も美しいと思う。
自然は勝手なふるまいをする。そこにみなぎる力に人は圧倒され、憧れる。
この木々はしたい放題をしているから。
人にはたしかに樹形を矯-ためる力がある。だが、そうやって自分の力を確かめるのはどこか空しいことではないか。自分たちの生活のために木を歪-ゆがめはしても、どこかで自然への畏怖を忘れない。
畏怖への促しとして洞杉は役に立つ。 [55]
大雪山 見る者なき豪奢な風景
木の実や草の実には赤いものが多い。スグリやナナカマド、野生のままのイチゴ、庭木ならばナンテンなど、いくらでも羅列できる。漿果-しょうかでは赤くない方が珍しいほど。理由は簡単、目立ちたいのだ。植物は子孫を増やすために広い範囲に種子を散らしたい。花粉のまま風に頼り、種子に羽根を付けてパラシュートにし、蜜を用意して(いわば運賃を払って)虫に頼み、同じように栄養価の高い果肉とセットで鳥に運んでもらう。できるだけ親の木から遠くへ行きたい。自分たちのテリトリーを拡大したい。
そのためには鳥は運搬手段として段違いに優れている。果肉が体内で消化される間に鳥は遠くへ飛ぶ。消化液の攻撃に耐えた種子は同種の競争相手のいない未踏の地に落ちる。絶海の孤島に緑が茂る。
そのために実は赤い。緑の葉の間で最も目立つ色が赤だから。
つまり、あの赤は進化の結果である。赤い方が目立って有利だから、保護色とは逆に目立たせそうという生存戦略で、木の実や草の実は赤くなった。
見る者の視線を意識しての赤なのだ。 [57]
しかし、紅葉の赤には他者に向けて目的はないだろうと、秋の大雪山-たいせつざんを見ながら考えた。
木は越冬のために古い葉を捨てる。一年単位の新陳代謝の一つの段階として、葉は酵素の働きで赤や黄になる。それは内的な理由によるのであって、外部の目を意識した適応ではない。赤や黄が鮮やかなほど生存に有利なわけではないのだ(アブラムシの寄生を避けるための耐性の誇示だという説があるが、まだまだ仮説に過ぎない)。
つまり、あの呆-あきれるほどの美しさは偶然の産物であって、見る者のことなど一切考えていない植物の自己完結的な行いであるらしい。
そうわかると溜息が出る。なんという贅沢-ぜいたくなことを自然はするのか。あんなに豪奢-ごうしゃな、華麗な、絢爛-けんらんたる色を、見る者がいようといまいと演出する。その気もないのに、たまたまそんな色になったととぼける。そこでまた当初の設問に戻ってぼくは考え込むのだ、人がいないところに風景はあるかと。[58]
伊豆鳥島 絶海の孤島、鳥の楽園
孤島というのは特殊な環境で、渡るのはむずかしいが一度渡れば後はのんびり暮らせる。一般にバラの類は動物に喰われるのを防ぐために棘-とげを生やすけけど、ハワイに渡ったバラは時がたつうちに棘作りをやめてしまった。そこへ人間が山羊-やぎを連れてきた。 [64]
昔、恥ずかしい勘違いをしたことがあった。八丈島のオオミズナギドリを追いかけていて、そのライフサイクルをぜんぶ見たいと思った。日本で見られる鳥の中で最も遠い渡りをする種である。伊豆諸島で営巣して、成長はオーストラリアとの間を往復して暮らす。そこで、向うでの生活も見たいと思ってオーストラリアではどこに降りるのかと山階-やましな鳥類研究所に尋ねた。
答えは、海鳥は一度巣立ったら同じ場所に戻って営巣するまで陸地には近づきません、というもの。ずっと、いつまでも飛び続け、ごくたまに海面に降りて休むだけどと教えられ、不明を恥じたことだった。 [65]
カモシカはかわいい。
加賀の山の中でカモシカに出会ったことがあった。
その春の日、ぼくはカタクリの花を見に山に入った。明るい疎林-そりんの林床-りんしょういっぱいにカタクリが咲いていた。途中から折り返したような独特の薄紫の花弁がそよ風に揺れていた。それを地面に腹這-はらばうようにして間近に見る。
花弁の元の方にWの字に似た模様があるのは「この奥に蜜あり」という昆虫向けのサインだという。
見て喜んだだけではない。むしって食べると若葉はうまいのだ。わずかに甘みがあって、鉢いっぱいに採ってサラダにしたいくらい。
そこでふと目を上げると、向うにカモシカの仔-こがいた。夢中になってカタクリの葉を食べている。
しばらく陶然として見る。やがてあちらも気づいてこっちを見た。逃げる気配もなく、こいつは何者だろうという目つきでじっと見ている。
カモシカは好奇心の強い動物として知られている。彼らを獲るのに飛び道具はいらない。
男二人で山に行く。〈略〉山道でカモシカに遭遇したら、一人は腰巻きを持って正面に立つ。もう一人は林の中に回る。
正面に立った者は腰巻きを振り回しながら踊る。めちゃくちゃに手足を動かして踊る。カモシカはあきれて我を忘れて見守る。そこへ林の中に隠れた方が後ろからそっと接近して、手にした棍棒-こんぼうで頭をポカリと殴る。おいしいお肉が手に入る。
嘘みたいな話だが本当のことだったらしい。 [70]
瀬戸内海 古代日本の高速道路
日本列島の形を見ていて、われわれはつくづく幸運であったと思う。
まず、相当に大きな島が四つある。それぞれは海峡で隔てられているが近接し、互いに見えている。初歩的な航海術でも渡ることができる。
それが全体として西から東へ、そして北へと長く伸び、その分だけ気候の変化に富む。自然はさまざまな産物と風景を恵んでくれる。
こんなに細長いことはプレートテクトニクスを用いれば説明できるだろう。
太平洋プレートなどとユーラシア・プレートの境界線に沿って押し上げられたのがわれわれの島だから、細く長くなるのは当然なのだ。
しかも人文地理の視点から見れば、日本は大陸から最適の距離だけ離れている。
最適というのは、分化は渡ってくることができるが(人も来れば文物も来た)、一気に大きな軍勢を渡すとなるといささか大変ということだ。元は二度に亘-わたって試みたがどちらも失敗した。古代の百済-くだら・新羅-しらぎを巡る倭国-わこくの出兵を別にすれば、第二次世界大戦に至るまで、軍隊がこの海を渡ったのは秀吉の「朝鮮征伐」のみであった。向こうから来て上陸した例はない。日本はこの海に護-まもられて、自然の恵みを享受し、文化を営むことができた。 [72]
日本列島の地理的幸運の一つに瀬戸内海がある。
この細く長い、穏やかで安全な海は、そのまま天然の交通路であった。いわば古代日本の高速道路。この海がなかったら、朝鮮半島から北九州に入った文化が東へ伝播-でんぱするにはもっとずっと長い時間がかかっただろうし、列島はずいぶん使い勝手が悪くなっていただろう。
早い話が、邪馬台国-やまたいこくの所在について畿内説が北九州説に一歩もひけをとらないのは、畿内が地理的条件において決して不利ではなかったからで、それはすべて瀬戸内海のおかげなのだ。 [73]
奄美諸島 あの湿度と陰影の島々
沖縄から奄美に行くと何かが違うと感じる。それは宮古や八重山に行った時の印象の変化とは別種のものだ。宮古や八重山では海の色が一段と明るくなって、もう一歩だけ南へ来たと納得できる。しかし奄美との違いは沖縄からもう一歩北へ戻ったという説明の中に納まらない。
奄美の自然は沖縄より影が濃いのだ。
山が入り組んでいて、しかも険しい。その分だけ谷は深くなり、森の木々や蔓-つた植物や下生えはいっそう濃密に茂っている。
沖縄本島の南部から中部にかけて、もちろん平坦な地は少ないが、しかしそこにあるのはせいぜい丘レベルの起伏だ。かつて、権力者はその頂点にグスクを築いて覇権を誇示し、相争った。首里城も中城城も勝連城も丘の上にある。[84]
山が険しく、谷が深い。
沖縄のヤンバルでも照葉樹林はよく茂り、下生えも密で、踏み込むと苦労する。
まずもって暑いし、空気はたっぷり水分を含んでいて、流れる汗は乾く気配もない。雨が降る時はすさまじく、元気な蚊もたくさんいる。
それは奄美でも変わらない。
しかし、奄美では山は更に山らしい。具体的に言えば、ヒカゲヘゴやオオタニワタリなど羊歯類の葉の色が一段と鮮やかで目に痛い(ように感じられる)。
車を降りて足で歩けば、わずかな移動にも息が切れる。すべての道が山道。
リュウキュウアサギマダラは沖縄にもいる蝶-ちょうだが、オーストンオオトカゲやアマミノクロウサギは奄美にしかいない。
この島は固有の地形を持ち、固有の生態系を持っている。 [85]
山が険しく谷が深いことは、住む人の気質に影響するだろうか?
ぼくは民謡の違いにそれを聞き取りたいと思う。
沖縄の民謡は総じて明るい。歌は引用できないから、この先の議論はYouTubeなどを参照していただくしかないのだが、カチャーシーの定番である「唐船-とうしんドーイ」を聞けば、明るいという印象は誰も否めないだろう。あるいは「谷茶前-たんちゃめー」のあの軽快感。もっと南に行って八重山の「黒島口説-くるしまくどうち」の、聞くだけで手足が舞いはじめるような誘いの力。
それに対して、奄美の民謡は哀調がぐっと深い。それを音階の違いや、三線-さんしんの奏法の違い、あるいは奄美では裏声が効果的に用いられるということで説明しようとしても、何かそこからあふれるものが残る。歌によって伝えたい思いの中身が違うのだ。「朝花-あさばな節」や「嘉徳-かどこなべ加那-かな節」にその思いを聞くのはむずかしいことではない。 [86]
日本のたいていの土地では民謡とは保存されるべきものになってしまった。
いわば絶滅危惧種。しかし沖縄・宮古・八重山と奄美だけでは今も民謡が栄えている。昔の唄が歌い継がれているだけでなく、新しい唄が生まれている!
そして、そこでも沖縄と奄美の違いはそのまま残っている。奄美でいちばんの唄者-うたしゃである坪山豊-つぼやまゆたかが精いっぱい明るい唄として作った「ワイド節」、勇壮活発な闘牛の応援歌であるこの歌にさえ、どこかに影の濃さがある。
まして、本土へ渡った恋人を思う「あやはぶら節」となると、奄美民謡の力のかぎり聞く者を泣かせる。「あやはぶら」は「綾-あやなる羽の蝶-ちょう」の意味。「大和よそ島のあだ花に憧れて」去った恋人に戻れと乞う。その蝶はリュウキュウアサギマダラだろうか。
奄美では人間と自然が融け合っている。 [86]
北信濃 地獄谷 ボスザルはいなかった
われわれはどこかで人間社会のありようをサルに投影してはいなかったか?〈略〉 階級社会という説は、自分たちの姿を透かし見るところから生まれたのではないか。言い換えれば、われわれこそが餌付けの状態にあるということだ。自然のサルには階級を作るほどの余裕はない。生存条件の厳しさが真の幸福を生む、と言い切るまでの自信はないのだが。 [91]
吉野川 この流れの至るところ
吉野川がおもしろいのは、全体として四国の脊梁-せきりょう山脈に沿って東へ流れているのに、途中でいきなり左に曲がり、三〇キロほど北上するところだ。
その後はまた右に曲がって、その後は素直に東に向かう。西日本の地形はフィリピン海プレートとユーラシア・プレートの接線に沿っておおよそ東西を軸としている。それなのに吉野川は急峻-きゅうしゅんな谷を雁行-がんこうする。
その部分が大歩危-おおぼけ・小歩危-こぼけという名所になっている。 [96]
大歩危で観光船に乗った。谷は深く、岸には含礫片岩-がんれきへんがんの大きな岩塊が積み重なっていかにも奇景。増水の時はこの岩すべてが没するまで水が上がるので、船は吊り上げて収納するのだという。そのための装置が頭上はるか高いところにある。
水俣湾 かつて魚の湧く海があった
これほど巧妙に囲まれた海も珍しい、と八代海を地図で見るたびに思う。熊本県の宇土-うと半島と天草諸島、それに鹿児島県の長島がこの内海を作っているのだが、それぞれの間はとても狭い。長島町の成瀬鼻-なるせばなと天草市の早崎の間こそ二キロほどあるが、他の二カ所はせいぜい数百メートルだ(当然、橋が架けられている)。
この中に一二〇〇平方キロの海がある。
平均の深さは二三メートル。
温暖な地に外洋の荒波を遮断した浅い穏やかな水の拡がりがある。強い風で少々の波は立ってもうねりは入ってこない。海岸線は入り組んで小さな島々も多い。
つまりこれは魚をはじめとする海の生物にとって理想の環境ではないか。 [99]
九州という土地を考える時、風では北につながり、海では南につながっている、と思う。実際、冬の玄海灘を吹いてくる風はとても冷たい。雪も珍しくない。
その一方、海に入ってみれば黒潮のおかげでここは南の海なのだ。『理科年表』で「日本近海の海面水温図」を見れば、八月には二八度の等温線が九州・四国のあたりでぐっと北に張り出している。
ホンダワラの間をスズメダイが泳ぐ。沖縄の海に潜った時に必ず目に入る魚だ。
気の強いクマノミは珊瑚礁の主をもって自任しているし、コウイカは沖縄の海でよく出会うクブシミの一族郎党に属する。カサゴもゴンズイもよく知った顔。どちらも毒のある棘-とげを持つ剣呑-けんのんな相手だ。うかつに手を出さない方がいい。
こうしてみれば、ここは沖縄の海と地続き、とは言わない、海続きなのだ。
同じ環境の延長。
閉じられた海は稚魚が育ちやすい。波が穏やかで、隠れるところがたくさんあり、餌も豊富。遠く回避して大きく育つ魚には物足りないかもしれないが、小さない魚にだって身の丈に合ったそれなりの幸福というものがあるだろう。 [101]
日高山脈 人の手が届かなかった地域
秘境という言葉を使いたくない。
そういう言いかたをすると、ある土地に人間くさい価値観をべったりとなすりつけるようで、なんとも品が下る気がする。 [104]
ヒグマとエゾシカとキタキツネ、北海道の生態系の頂点に立つ動物である。
しかし、ここにはかつての主役の一人が欠けている。
オオカミがいないのだ。牧畜の邪魔と目の敵にされて大量に毒殺され、北海道のオオカミは一九〇〇年ごろにはすっかり姿を消した。 [106]
奥只見 この水に満ちた山々とプナの林
人が稠密-ちゅうみつに住む地域でこんなにたくさんの雪が降るところは世界にこの一帯しかない。「雪国」という言葉に嘘はない。冬、人々は数メートルの積雪の中で暮らす。江戸時代、ある旅人が雪道をひたすら歩いて行くと「この下に高田あり」という看板が立っていたというエピソードがあった。町ぜんたいが雪に埋もれていたのだ。 [108]
三陸海岸 入り組んだ海岸線の美しさ
それにしても派手で複雑な地史である。
大事なのは、この列島の地下には太平洋プレートとユーラシア・プレートだけでなく、北アメリカ・プレートとフィリピン海プレートも寄ってきているということだ。つまりわれわれは今の地球上でとんでもなく活性の高い、つまり不安定な、地面の上で暮らしているのである。
二〇一〇年に気象庁が震源を確定した地震の数は十二万回を超えた。同じ時に韓国で起こった地震は四十二回。そういう国土である。
だが、この活性が日本の国土を作った。ざっとできた大地に無数の火山が地形を複雑にし、火山灰の台地を作り、温泉を生んだ。
大地本来の動きも活発だった。隆起があり、沈降があり、水と氷による浸食や風化があった。大地に川が流れ、水が土砂を運ぶので次第に谷ができる(開析谷-かいせきこくと呼ばれる)。日本のように山と海が近いところでは川は海岸線に直角に海に流れ込むから、谷もその向きに並ぶ。
そこで地面が沈降すると、もともと起伏が激しいところだったのだから、海岸線は一直線ではなく複雑に入り組んだ形になる。開析谷が溺れ谷になる。いくつもの小さな湾と小さな半島や岬が次から次へと連なる地形。これがリアス式海岸だ。 [116]
深い湾は荒れる海から舟を守ってくれる。
沖に出れば魚が湧くような豊かな漁場がある。
景勝は美しく、海の民にとっては理想の地と思われる。何十年かに一度の津波のことさえ忘れていられれば。
問題はそこなのだ。
われわれはこの地球の上で育った。無数の種に進化を遂げ、それぞれ無数の環境条件のどれかに適応して、安定して子孫を増やす生きかたを見つけた。
それでも環境が急変して個体たちは応じきれないことがある。多くの生命が失われる。
リアス式海岸の美しさと住みよさ、いつかは来る津波の恐ろしさ、この二つの間でわれわれは今、立ちすくんでいる。 [120]
おもしろい形の山だ。
火山だから独立峰で目立つ。南の方へは低い山並みが続いているが、それでも日本アルプスのように高峰が連なっているわけではない。
最後の噴火が約一万年前という若い火山だから、形がまだ荒々しい。プリニー式の派手な噴火で一気に大きな山塊を地下から押し上げてはみたものの、風化圧に耐えかねてぼろぼろと崩落を続ける。いや、大気以上に重力に耐えられないのかもしれない。自分の重みにさえ支えられないと、身の程知らずを悔いているのかもしれない。
しかも二重人格だ。北や南や東から見るとギザギザと険峻-けんしゅんなのに、西の側から見た時だけはなだらかな美しい山容を見せるし、実際、地図で見ても西側の等高線は実に美しく並んでいる。伯耆富士とか出雲富士と呼ばれるのはこちらの側。言ってみれば富士の仮面をかぶった谷川岳だ。 [123]
若い時にはギザギザというのはどこかで人間にも通じているようで、これは万物をつらぬく法則なのかと思う。すべての個体は生まれてしばらくはとんがっていて、時を経るにつれて丸くなる。山の場合は見た目そのままで、人間の場合は比喩か。外力は凸部に強く働きかけるから、と説明しておこう。 [124]
屋久島 ほとんど世界一の雨量の島
屋久島は高い。主峰の宮之浦岳-みやのうらだけの標高一九三六メートルは九州圏でいちばん高い。直径三〇キロほどの小さな島なのに、面積で七十倍以上もある九州より高い山が聳-そびえる。
だから雨が降る。年間降水量の基準として東京を選べば、年間一五〇〇ミリくらいだ。新潟県高田の二八〇〇ミリは実質は雨ではなく雪である。『理科年表』にある一般的な気象観測地点の中でいちばん多いのは尾鷲の三九〇〇ミリ。
しかし屋久島の淀川-よどこう登山口というところでは年間に九三〇〇ミリの雨が降る。東京の六倍以上! [127]
屋久杉に降った雨滴は葉から小枝へ、大きな枝から幹へと伝い、落ち葉を濡らし、下生えを潤して、地面に染み込む。あるいは、驟雨-しゅううならば地表を流れる。時には激しく流れて表土を運び去る。だから屋久杉が立つ地面はほとんど剥-むき出しの花崗岩-かこうがんで、養分が少ない。そのせいで屋久杉は生長が極端に遅く、その分だけ年輪が密になり、樹脂が多い。それが数千年という寿命の秘密であるそうだ。しばしば台風の襲来するあの場所でかくも長らえたのだから、よほど丈夫なのだろう。 [128]
屋久島は大循環のショウルームのような島だ。
暖かい黒潮の中にあるから吹き寄せる風はたっぷりと水分を含んでいる。
それが雨となって降る。
しかも山が高いので島内に多様な気候区が生まれる。海岸に近いところは亜熱帯でハイビスカスやガジュマルが生えているが、二〇〇〇メートル近い山の上では年間の平均気温が七度と北海道なみ。だから雪も降るし、本来は北の植物であるスギが育ちシャクナゲも花咲く。日本列島が建てに積み上がっているという感じ。
水が多いから常に湿っている岩肌には苔が生える。屋久島には六四〇種類の苔があるといい、中はにヤクシマゴケのような固有種もある。岩を緑で覆う苔を見ていると、利用可能なすべての隙間を利用するという生物の生存戦略が目に見えるようで感嘆を誘う。
たぶんそれが屋久島の魅力なのだ。ここでは明らかに自然の力が人間に勝っており、われわれはそれを遠慮がちに見せてもらうしかない。自分が来た痕跡を残さず、見るものを見たら速やかに退散する。 [129]
ぼくが知っているのは二十年以上前の五月の白神山地だ。新緑が最も眩-まぶしく、たくさんの木々が花を咲かせる季節。
青森県西目屋村の側-がわから入り、暗門-あんもんの滝に至る渓流沿いの道を逸-それて低い尾根に向かった。すぐにキブシの花が目に入った。小さな薄い黄色の、ちょっとスズランに似た花が低い灌木-かんぼくの枝から下がっている。
その先にはムシカリ(オオカメノキ)があった。白い花も見頃だけれど、薄い葉の重なりが空からの光に透けて見えるところがまた美しい。
さらに行けば、タムシバがまるでハンカチを枝の先に結んだような花を咲かせていた。この花はいい匂いがするから、タムシバにはニオイコブシという別名がある。ムラサキヤシオの浅い紫の花は一目でツツジの仲間とわかる。桜やツツジなどが葉が茂る前に花を咲かせるのは、その方が目立って採蜜昆虫を集めやすいからだろうか。 [132]
ぜんたいに落葉広葉樹の葉は薄くて光を透す。だから一歩入った時の印象が明るくて、暗く淋しい針葉樹の林とはまるで違う。光が射し込むから林床の下生えも豊かで、キノコ類もさまざま。何よりも実をつける木が多い。だから落葉広葉樹は動物たちで賑-にぎわう。あの大柄なツキノワグマが冬眠に入る前に夢中になって食べあさるのはドングリなどの堅果-けんかなのだ。 [132]
その中心にあったのがブナという木だった。大きく育って、広く枝を伸ばし、無数の葉で見上げる空を満たす。紡錘-ぼうすい形で葉脈が並行する形のその葉は薄いので空からの光を遮るのではなくむしろ拡散させるように思われる。
林の空はいよいよ明るい。
木の滑らかな幹が灰色から最も淡い緑色にいたる模様で覆われているのは、この木の肌には地衣類がつきやすいからだ。そして地面には一歩ずつ踏み出す足音をぜんぶ消してしまうような厚いブナの落ち葉の堆積。
秋になればブナはたくさんの実を落として、それはリスやクマなど多くの動物の越冬用の食べ物になる。 [133]
今になって振り返ってみれば、あの頃のブナへの思い入れにはスギへの反発があった。戦争で山の木をぜんぶ使ってしまった日本は戦後になって早く育って役に立つ木を求めてひたすらスギを植えた。拡大造林と呼ばれた政策である。これによって山は荒れた。
本当の問題は人工と自然の対立にあった。人の知恵は所詮は朝知恵で、目先のことしか考えていない。人の営みはいつか自然によってひっくり返される。
しかもそれまでの猶予の期間は人が考えているほど長くはない(後の知見だが、大量のスギの植林は結局のところ花粉症を生んだだけだった)。 [133]
世界はあまりに広すぎる。旅行者の悩みはいつだってこの点にある。福江の町並みをくわしく見るには、いや、その通りの一つ、古い屋敷の一つ、そこに転がった石の一つを丁寧に見るのにさえ、人生は短すぎる。一つところに目をとめれば、興味を引かれれば、そこに釘-くぎ付けになってしまう。欲が出て、腰を据えると、今度は季節の一巡が見たくなる。そういう理屈で昔、ギリシアという国に二年半も住んでしまったことがあつた。用心しなくてはいけない性格なのだ。 [140]
日本は火山国だと言われるし、実際の話いたるところに有名な火山があって、それぞれに噴煙を上げたり、広大なカルデラを作ったり、温泉を出して人を誘ったりしている。しかしそれらの山々はどれも規模が大きく、また何回となく噴火をくりかえして複雑な山容を形成し、飛行機の上から鳥瞰したところでその全体を見てとることは難しい。ところが、ここに、三十分で踏破できて、山の形が容易に知れ、断面の地層までがはっきり見えるという珍しい山がある。こんなに小さくても火山には違いない。地の底の力の原理が一目でわかる。[142]
秋にしてはずいぶん暖かい日に照らされてぼんやりとしているうちに、日本列島は大陸からちょうどいい位置にあったという考えが浮かんだ。つまり、結ぶと隔てるという海の二つの機能を最も巧みに使いわけられる距離だ。もしも日本が太平洋の沖合にあったら、人的交流や文物の往来はずっと少なくて、文化的にもずいぶんおもしろみのない国になっていただろう。逆にもっと近ければ、今度は大陸に強大な政権ができるたびに来寇-らいこうの応対に忙しいということになったはずだ。まったくうまいところにあったものだと思う。もっとも、そのせいで、地の利に甘えてか今に到るまで外交音痴がなおらないという困った副作用も生じたのだが。 [146]
さて、目指すは中通島-なかどおりじまの曾根-その火山。細く長く伸びた島の尾根に噴出した小さな火山で、それが西の海と接するあたりがやはり海峡で削られて、実にみごとな赤い崖面を見せている。いかにも科学的を気取って書いてきたこの文章で、美しいという主観的な言葉を使っていいものかと迷うが、しかしこのあたりを詳報した地学の本に「赤色を呈する壁面はきわめて美しい」とある。だから、天下に憚-はばかることなく、この崖は美しいのだ。 [147]
また小値賀島-おぢかじまでは火山弾をよく見た。だいたいが両端の尖ったレモン型で、時には一方の先端から他端へと、帯状のものを巻きつけたように浅い溝が走っている。宮沢賢治が「気のいい火山弾」というあの愉快な短編の中で、「どこの標本でも、この帯の完全なのはないよ。どうだい。空でぐるぐるやった時の具合が、実によくわかるじゃないか。すてき、すてき」と書いている。
その帯だ。火山弾の最も大きいものは長径が一メートルを超す。小さい方はミリ単位で、そのくらいのものは火山涙と呼ばれる。この名称もいい。 [148]
内間木洞の暗黒体験
富士五湖のうち、西の方の三つ、本栖湖-もとすこと精進湖-しょうじこ、それに西湖-さいこの水位はいつも同じで、地下でつながっていることを暗示している。水だけでなく、溶岩が抜けた後の洞窟も少なくない。
富岳風穴とか蝙蝠穴-こうもりあなとか鴈-がんノ穴とか鳴沢-なるさわ氷穴など名の付いたのもあれば、名もなく続いて先がわからないのもある。要するに、富士山の中は穴だらけ、スポンジのようなものだ。 [154]
今回の目的地は鍾乳洞。日本に数多い洞の中から、岩手県山形村にある内間木洞-うちまぎどうを選び出した。北上山地には石灰岩の地層が点々とある。安家洞-あっかどうとか、滝観洞-ろうかんどうとか、鍾乳洞も少なくない。その中からここを選んだのは、まずわかっている範囲で全長が三〇〇〇メートルを超えるという全国で四位ないし五位の規模と、一通りの調査が終わっただけで観光化の予定がないこと、個人の所有だけれども村が管理していて頼めば入れてもらえることなどの理由による。 [155]
岩の面は単に濡れているだけでなく、薄い泥をかぶっている。合羽もヘルメットもカメラもバッグも懐中電灯も軍手も、すべてが泥まみれになる。石灰岩という以上は岩なのだから濡れても固いという先入観が間違いで、床面の岩は水に微量ずつ溶けて泥状になっている。直立していればその泥に接するのは足の裏だけだけれど、両手両足で進んだり、腹這-はらばいになったり、尻と背中でずり落ちたりするのだから、全身がまんべんなく汚れる。 [160]
白峰、炉端で聞く豪雪の話
世界地図を見るとすぐにわかることだが、地球の上に独立した大きな島は意外に少ないものだ。その中で、中緯度圏にあって北に大陸を控えた島を探すと、これは日本しかない。
北に大陸があると、どうしても雪がたくさん降ることになる。冬の季節風は大陸の中央から周辺に向かって吹く。冷たい風は海の上を通る時、たっぷりと水蒸気を取り込む。冬の日本海では水面から湯気が立っているのが見えるのだ。その水気を抱え込んだ風が吹いてゆく先に島があって山があれば、そこにどかんと雪が降ることになる。
この単純明快な原理がそのまま、日本を縦に分ける中央山脈の大陸棚で実現している。日本という国は、北国と南国と雪国の三国同盟から成り立っているのだ。 [169]
負け惜しみと聞こえるかもしれないが、旅はもともと不確定の要素を含むものだ。確実に会えるものに会いに行くのは旅ではない。いつ行っても食べられる者は名物ではない。最近ではものの供給事情がよすぎて、切らしてますとか、今年は不作でさか、そういう言葉を聞くことが少なくなった。根こそぎ採ったり、輸入品を土地のものとして売ったり、養殖したり、いろいろとインチキが行なわれている。旅行者が貪欲-どんよくになった分だけ味は落ちた。しかし、幸いなことに天然現象は養殖も輸入もできない。少ないは少ないで幸運なことなのだ。 [173]
白峰村には「白山ろく民俗資料館」という県立の優れた施設がある。遺物や模型やパネルを並べてこの地方の地誌から生活文化までがわかる展示室があり、民具の類を収納した収蔵庫があり、屋外には一時代前の民家六棟が移築されている。運営も単なる死蔵ではなく、いつ行っても誰かが昔ながらの作業をやっている。いわば動態保存を心掛けているわけで、立派なものだと感心する。
その移築された民家のうち、杉原家という建物が豪壮にして繊細、なかなかすごいものだ。延床面積は三〇〇坪を超え、内装にはそれぞれ部屋ごとに木目の揃った杉板を使って、堂々と骨の太い凝りかたをしている。それだけの杉を集めるのに何千両と言ってしまってはにわか分限-ぶげんの悪趣味でしかないが、ここではそれを何十年と歳月で数える。ぴったりと合う木目の板が見つかるまで何年でも待って、全部が揃ったところで普請-ふしんにかかったのだ。 [174]
白峰はもともと水田が少ない山村で、村の中心部は標高五〇〇メートルほど。日本海からの風がここで山にぶつかる。従って雪が多い。雪が降るのを承知の家の建てかたや住まいかたがある。家は切妻の軸を南に向けて建てる。そうやって屋根の両側に均等に日が当たるようにしないと、雪が一方だけ融けて家が傾く。玄関は当然南側に置いて、少しでも出入りが楽なようにする。 [176]
屋根の雪は下ろす。降ったままほうっておくと、家がつぶれてしまう。新雪はふわふわだが、積もった雪はやがて締まるから、密度も増える。一メートルの積雪を仮定すれば、延べ三〇坪二階建ての家で、屋根全体で雪の重さは一五トン以上になる。乗用車が二十台、ずらりと自分の家の屋根に載っているところを想像してみてほしい。
雪下ろしは大変な作業である。屋根に登るだけでも怖いのに、凍って滑りやすい雪の上で重い雪を切って運んで下に落とすのだ。雪が多くなると、落とすところがなくなってくる。うかつに燐家との間に落とすと仲違いのもとになる。時には隣の屋根との間が雪でつながってしまう。落とした雪はどこかへ運び出さなくてはならない。
始末するのは屋根の雪だけでない。家の周囲の方も、せめて一階の欄間から少しは光が入るところまで雪掻きをする。それより下はあきらめる。もともと家の周囲、軒の下くらいまでは雪囲いといって秋のうちに家の本体から少し離して板で囲い、積もった雪が家を直接圧迫しない工夫はしてある。その上が欄間で、そこまでは掘り下げておかないと、家の中がなんとも暗くて陰気になるという。 [177]
いろいろ聞いていると、要するにいちばんの問題は雪というものが人に与える徒労感ではないかと思った。つまり、これはおそろしく手間のかかる掃除のようなもので、仕事として創造的な面がまったくないのだ。きちんと屋根の雪を下ろして、道も踏み固めて、家の周囲の雪も掻いて、家のまわりに積みきれない雪を川まで運んで捨てて、ほとんど一日がかりで働いても、その晩またどかっと雪が降ったら、次の日は最初からやりなおし。前の日のあれほどの労働の成果はどこにも残っていない。 [178]
ここらがだいたい真ん中あたりか
例によって長大なEXTRACTIONになってしまったが
それほど中身の詰まった作品なのだと、受け取っていただきたい
ベトナム北部の山岳地帯から帰ってきたばかりなのに
軽くナナメ読みしただけで
今すぐ日本のあちらこちらに飛びたくなってしまったよ
ではでは、またね。