『時々、死んだふり』横尾 忠則/ポプラ新書 ネタバレ御免のEXTRACTION -414-

第一章    本当に死にそうだった  ――急性心筋梗塞で絵筆を持たなかった二週間

人生最大級の痛み、そして救急搬送

昨年(二〇二二年)の七月、急性心筋梗塞になったのです。朝の五時頃、トイレから出たら胃に突き上げるような痛みがありました。胃のどこかが悪いのかなと思ったら、続けてすぐに胸がものすごく痛くなった。痛みでトイレの前でしゃがみ込んだままで、気がついたらうちのカミさんが横にいる。普段、僕か一階に寝ていて、カミさんは二階にいるから、アクシデントを察知して降りてきたのでしょう。

とにかく、今までで経験したことのない痛さ。後で知ったけれど、あらゆる肉体の痛みの中で一番強烈なのが急性心筋梗塞なのだそうです。

正直、あの痛さから逃れられるのなら、このまま絶命してもいいと思うほどでした。そのほうが救われると思ったくらいで、不思議に死への恐怖はなかった。

気絶はしなかったけれど、この日は記憶が飛び飛びになっているのです。 [10]

 

手術室に入ると、体中至るところ、足首から手首まで注射を打たれたような記憶があります。麻酔も打たれたが、部分麻酔だったので手首から血管を通して何かを入れていることはわかりました。それは心臓の検査のためのカテーテルで、心臓の左の血管が一本詰まっていて、さらに後ろの血管が一本狭くなっていることが判明したそうです。続いて、足の動脈から金属製のチューブを入れて心臓の血管を広げる手術(ステント手術)をしました。

これらは全部後から聞いたことなんですけどね。

手術は一、二時間だったと思うけれど、その時のことはぼんやりとしか覚えていない。痛かったかどうか、苦しかったかどうかは、意識はあるんですがはっきりとした記憶がない。      [12]

 

緊急手術の中で、印象的なことというか、そのおかげで自分の気持ちを少し落ち着かせることができた出来事が二つありました。一つは、以前聞いていた建築家の磯崎新-あらたさんの体験談。

明け方の痛みが胃のあたりから来ていたので、胃の病気かなと思っていましたが、手術中に手首の血管から何か入れるというのがわかって、以前磯崎さんから聞いた話を思い出したのです。〈略〉

それからもう一つ、僕の心を落ち着かせてくれたのは、手術室に入る直前のカミさんとのやりとりです。

何が何だかわからないまま、手術室に入ることになった僕のところに、カミさんかが近づいてきました。ストレッチャーで寝かされている僕の顔を真上から覗いて、なんと嬉しそうに笑って「バイバイ」と手を振ったのです。

「バイバイ?」、僕は横になったまま、思いました。

もうこの世で会えないというお別れなのか、また後で会いましょうという意味なのか、“See you again”なのか、 “See you later”なのか、こういう局面なので一瞬そのことを考えました。

だけどともかく、彼女はものすごく嬉しそうな笑顔だったのです。それで僕は落ち着きました。これから何が起こるんだろうか、手術はどの程度のものなのだろうか、終わった後どうなるのか、など考え出すときりがないけれど、カミさんの「バイバイ」を聞いて、何も考えなくなったのは確かです。

それから少し悲しくなって、涙が流れました。   [14]

 

画家はアーティストではなく、アスリートである

二週間絵を描くことをやめて、訪れた一五日目はいつもと違う一日でした。

なんとたった一日で、一〇〇号の絵を三点も描いてしまったのです。午前中に一点、午後の三時頃までに一点、夕方にもう一点。

禁断症状が解かれたわけですが、きっと体が求めていたのでしょう。まるで何かに取りつかれたかのように、絵を描き始めました。これまではせいぜい一日一点で、こんなペースで絵を描くことはなかった。

その時の自分を表現すると、まさにアスリートのような気分でした。それも、完全なるアスリートというか、野球にたとえれば、ピッチャーの投げた球をそのまま打って、さらに投げた、打った、走った、そういう感覚であっという間に三点が完成しました。体が求めるままに無心でキャンバスに向き合って、気づくと作品ができあがっている。僕は画家というものは、アーティストではなくてアスリートだなと実感しました。  [21]                               

痛みと恐怖

振り返ると、心臓の痛みは本当に強烈でした。まさに、息ができないくらい。

この状況から逃れるには死ぬしか方法はないと思いました。死が駆け込み寺みたいに見えて、そこに飛び込めば助かると。

その時は、死に対する恐怖心はゼロでした。ふつうは死ぬかもしれないという局面になったら死に対する恐れや抵抗感が出てくると思うし、僕自身、以前は誇大妄想的ともいえるほど死を恐れていたけれど、それがまったくなかった。

どうしてだろう、不思議なことだと思っていたのですが、次のようなことに思い至りました。

一般的に死を恐れるのは、自己という存在が消えてしまうからでしょう。もし人間の実体が肉体ではなく霊魂にあるとするならば、肉体の死は恐れるものではなくなります。今、僕は死んだら肉体を脱ぎ捨てて霊的な存在となって別の次元に行くと思っているので、死は一つの区切りにすぎません。そういうことが背景になっていたと思います。

とにかく強烈な痛みだったので、それから逃れるために絶命したとしても、それが宿命だと思うだけです。      [25]

 

それにしても、痛みから逃れるために死んでもいいと思い、しかも死への恐怖感もないなんて、今思うといい経験をしました。僕は死の入口を垣間見たような気がします。[28]                               

 

結局のところ、病気の恐怖を増幅させているのは、これから起こるかもしれない未来を不安に思う気持ちかもしれません。病気をしていない人がその病気にかかったらどうしようと想像している時のほうが怖いと思う。僕は体験したから言えるけど、イマジネーションの中の恐怖のほうが現実の恐怖よりも強いんじゃないですか。   [29]                                              

僕は病気と闘わない [33]

絵は軽くなきゃいけないし、心が軽やかになって描く絵は軽くなります。一方、考えた絵はどうしても理屈っぽくなります。余計な計算や効果や、他者を意識するからです。                                                   

人生は軽やかでなければいけない。

そして単純でなければいけない。

絵も同じ。        [38]

 

第2章 僕も時々、死んだふり 

生き物たちの「死んだふり」戦略

動物が死んだふりをするのは、僕も子どもの頃、カエルを捕まえてお腹をなでると動かなくなるので知っていました。この本によると、学問的にこの「死んだふり」(フリーズ)について研究した人はこれまでにいなくて、宮竹先生が世界初ということです。コクヌストモドキなど小さな甲虫についてさまざまな実験を繰り返して、死んだふりをするグループとしないグループがあることを突き止めます。そして捕食者であるクモが近づいた時、死んだふりをすると襲われる確率が明らかに低くなると結論づけています。

生物にとってこの戦略は有効で、ヒト、オポッサム、ヒツジ、キジ、ヘビから、サメ、スズキといった魚類、さらにはミジンコにもこの死んだふり行動が観察されているそうです。捕食者であるサメがこの行動をとるのはなぜか、またミジンコにとって死や死んだふりはどんなものだろうか、などもっと知りたくなります。 [42]                                                         

そもそも死んだふりをするのは、非常に怖いこと。虫でもカエルでも敵というか捕食者の目の前で、大の字に仰向けになって、「はいどうぞ、殺してちょうだい」と体を差し出すわけだから、勇気というか、信念というか、そういうものがないとできないことです。虫にとっては本能的にそうなるのかもしれないけれど、人間にとっては相当の覚悟が必要です。

生きるか死ぬかの瀬戸際で、無防備になって相手に「好きにしてください」と任せてしまう。これは運命に従うということにも似ている気がします。人生の中では運命に襲われるというのか、とても厳しい状況になることがあるけれど、その時に神様に身を預けるように運命に自分を預けてしまう、そういう覚悟が大切だと思います。    [42]                                             

死亡通知と『遺作集』

その頃、僕はデザイナーとして東京で生きていかなければならないという時期でしたが、目の前に大きな壁が立ちはだかっているのを感じていました。その壁を越えるためには、相当ばかばかしいことをやらないといけないと決意したのです。

死亡広告・死亡通知を出せば、本気にして怒る人も当然出てくるだろうし、批判の対象にもなるでしょう。その一方で、面白がる人がいるかもしれない。

その否定的要素と肯定的要素を全部受け入れて、一種の遊びともいえる表現をしようと思ったのです。     [47]

 

アートの枠組みの中だけでは駄目だ、大衆を巻き込まないと面白くならないと僕は思っていました。スキャンダリックに扱われ、事件となって初めて人々は関心を示します。美術館やギャラリーでやると、それはコンセプチュアルな作品になって、その中だけの出来事になってしまう。だから遺作展はデパートでやりたかったのです。

僕はデザインを含めて、アートはスキャンダリズムがないと駄目だと思っています。大衆が好きなのはスキャンダルです。週刊誌だって「衝撃のスキャンダル!」がたくさんあるほうがよく売れる。だからアートも多くの人に見てもらったり、商品化を意識したりするには、その要素がないといけない。

たとえば、レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』では、モデルは誰か、微笑みの意味は何か、など大衆を巻き込んだ議論が続いています。またピカソの『ゲルニカ』はスペイン内戦のフランコ側を批判する作品なのか、戦争の悲惨さを表現しているのか、など政治的なテーマも含めて議論されました。作品はスキャンダルに包まれると、より輝くのではないでしょうか。      [51]

 

一連の死んだふり行動は、デザイン界をばかにしたものであったので、その後どうなるかと思ったけれど、やってみると、どうっていうことはなかったのです。「やればできる」「やったもん勝ち」ということを、そこから学んだ気がします。     [53]                                                      

アートはスキャンダリズムがないと駄目。

多くの人に見てもらったり、

商品かを意識したりするには、

その要素がないといけない。         [54]

 

自分のお葬式の夢を見た 

ふと見ると、うちのカミさんがギャラリーの人と、遺影をどれにするか、いろいろな写真を並べて話し合っている。どの写真がいいか迷っているから、それならいろんな時代の写真を並べて、お焼香に来た人が僕とつきあっていた時期の写真のところで手を合わせればいいじゃないか、というアイデアをカミさんに波動で送る。僕は死んでいるから声が出せないので、波動で伝えようとするけれど、なかなか受け取ってくれません。

一方、玄関では新聞社の担当の人が受付のテーブルを並べている。けれどもテーブルはむきだしで、白い布がない。僕はこういう時は白い布を置かなければ駄目だよと波動を送る。するとその人はある程度キャッチして、自分のポケットから白いハンカチを出して、テーブルの上に広げる。僕はハンカチじゃない、もっと大きい布でなければ、ともう一度波動を送る。すると、白いハンカチがどんどん大きくなって、テーブルを覆うという不思議なことが起こるのです。

自分のお葬式を上から冷静に眺めて、浮かんだアイデアや修正点を波動で送るというリアルな夢でした。これは「死んだふり」というよりも、臨死体験に近いのかもしれない。             [55]

 

自分の中の閻魔大王

死の側から生をとらえる時には、死んだらどうなるのか、という問題を避けて通れません。「死んだら終わり」「すべて無になる」と思っている人も多いでしょうが、僕は「向こう側の世界がある」と思っています。

死後の世界には、こちらの世界の富や名誉や地位や知識や権力は持っていけない。全員が等しく無名の存在になるわけです。こちらの世界で真心を持った生き方をしていないと、向こうの世界で大変だと思います。向こうの世界には、天国と地獄があるかもしれないのですから。

僕は生きている時の相対的な生、それの結果が死後の世界を形成すると思っています。つまり、その人がどう生きたかによって、死後の世界がどうなるかが決まるということです。

「死んだ後どうなるか」と僕に聞いてきた人がいたので、「生きてきた時の想念や思いがそのまま死んだ時に具現化する、あるいは形を変えて具現化するので、こちらの世界と向こうの世界はイコールでつながるのではないですか」と答えました。その人は「怖い、怖い」と言っていましたが、ということは、こちらの世界でかなり怖いことをやっていることになります。  [62]

だから、死んだらどうなるかということを心配するよりも、今を一生懸命生きることが大事です。それは特別のことではなくて、自分の納得した生き方をするということ。さまざまな執念や我欲をなくすようにする、そのように考え方を変えればよいはずです。

近年よく断捨離-だんしゃりという言葉が使われていて、物を整理しなさい、物を捨てなさいという意味になっている。けれど本来はもっと抽象的なもの、その人が抱いている執着を捨てて、空っぽになって向こうの世界に行くことを指すのではないでしょうか。                                         

死んだ時に問われるのは、その人の人間性だと僕は思います。かつての日本人の多くは、死ぬと閻魔-えんま大王がその人の罪を裁いて、極楽(天国)に行くか地獄に行くかを決めることになっていると考えていました

閻魔大王は自分の中にいると僕は思っています。自分の中の閻魔大王は自分の長所、短所など、ありとあらゆることを知っている。他人だったら嘘をついたり、ごまかしたりできるけれど、自分にはそれはできない。だから自分の中の閻魔大王と向き合うのは怖いですよ。怖いから、死後には何もない、無になると言っている人が多い気がします。

目に見えないものは認めない、科学的に証明されないものは認めないというのが現代社会の発想です。でも目に見えないものがあってもいいという視点に立てみるのも悪くない。時には死んだふりをして、自分が死んだらどうなるか、生きていて一番大切なことは何か、などを考えることは意味あることだと思います。 [64]                                                             

ビートルズと三島さんに導かれて

実際にインドに行くと、生と死は一体としてからみ合っているものだということを体で感じることができました。そもそも生と死は一体のものですが、日本ではそれが隠されていて、特に死は日常生活から切り離されている。そして普段はまったく信仰していないのに、人が死ぬと急に仏教徒になって、あの世のことを考えたりする。

インドでは、老人が死にかけて横たわっているその隣で、おばさんが必死になって生きるための食べ物を売っている。このような光景に何度も出くわしました。生と死が渾然-こんぜん一体です。死んだり、死にかけているからといって、悲しんだり、悔やんだり、泣いたりする人はいない。

また、街を歩いていると物乞いがひっきりなしに手を差し出してくることにも驚かされました。枯れ木のような細く弱々しい手でシャツの端を摑まれた時には、冷たい霊気のようなものを感じました。貧困もあからさまで、これも日本ではなかなか見られないものでした。        [71]

 

下痢をしてインドがわかる

インドでは、天国のような感動と地獄のような苦しみの両方を体験しました。

感動の例をあげれば、カシミールの中心地スリナガル(シュリーナーガル)にあるナギン湖の夕暮れです。湖の対岸に位置するヒマラヤの山々の万年雪がピンク色に輝き、日没が近づくと青い影がせりあがってきて、徐々に山々の輝きを消していく。そしてあたり一面が青一色になると、今度は野生の鳥が一斉に鳴き出して、世界は生命に溢れているということを感じさせてくれるのです。

地獄のような経験といえば、ひどい下痢にかかったことでしょう。僕はインドに行くと必ず下痢になりますが、インドへ行った日本人はほとんどそうなるんじゃないかな。衛生状態が違うし、水が違うから仕方がない。

お腹を壊すと苦しくて、力が出なくなる。でもそれを解脱-げだつと思えばいいんです。体が浄化されるのだから。

下痢になると、体から水分が排出され、何も食べられなくなるから、体がどんどん弱っていきます。それに従って精神も弱っていく。けれども精神が弱ってくると、少しずつインドがわかってくる。

清新な健全な間は、日本から見ているインドですが、下痢はそれを強制的に壊してくれる。日本的なもの、文明的なものを体外に排出し、吐き出してくれるようなものです。そして空っぽになれば、必要なものが全部入ってくる。言ってみれば強制的に「死んだふり」にさせてくれるわけです。     [75]

 

一九七八年にミュージシャンの細野晴臣さん、写真家の大石芳野-よしのさん、ライターの太田克彦さんたち六人と一緒に南インドを旅しました。僕以外の六人はインドが初めてなので、「インドに下痢は付き物です。でも二、三日で治ります」と説明していました。その前の二回のインド旅行では、下痢になったけれど、断食をすれば二日程度で回復していましたから。

五日目くらいからメンバーに症状が現れて、細野さんが一番重症でした。〈略〉

僕は一晩中、便器を抱えている状態でした。細野さんはその前からだったので、もっとひどくて、スルメのように厚みのない体になってひっそりと寝ていた。

細野さんは「ここで死んでもいいだろうなと思った」と、後で教えてくれました。

そんな時に皆でマドラスの日本総領事館を訪ねることになりました。そこで細野さんと僕の症状を話したら、総領事は「水を飲まなかったでしょうね。インドで肝炎にかかると治りません。死にます」と言うのです。それから、「明日自宅で日本料理を用意するから。とにかく来てくれ」と招待してくれました。

久しぶりの見事な日本食で、僕と細野さんにはおかゆが用意されていました。

こんなおいしい食事はインドで初めてです。それから二人は見る見る元気を取り戻し、無事に帰国できました。

このひどい下痢によって、僕は僕自身の地獄と対面できました。しかし病気の後は、常にインドに驚きインドに怯-おびえる自分ではなくなっていました。

下痢によって「私」への執着を消すことができたのでしょう。このことは、インドならではの病気のご利益かもしれませんね。  [77]

 

豊島横尾館は生と死の出会う場所

死をテーマにした僕の個人美術館があります。それは二〇一三年に立てられた「豊島-てしま横尾館」で、瀬戸内海の親釜県と香川県の中間に位置する豊島にあります。

これは、岡山に本社があるベネッセの会長(現・名誉会長)の福武聡一郎さんから「自分の葬館-そうかん」=弔いの館を作ってほしいと頼まれたものです。福武さんは、この地域の自然を大切にしつつ、地域を活性化したいという考えから、個人資産を寄付して直島-なおしまや豊島に美術館を作り、瀬戸内国際美術祭を企画しています。     [79]                           

塔は男性器を、滝は精液を象徴しています。その滝の水はナイル川となって庭の池に流れていきます。庭には赤く塗った石を多数配置して、異世界を感じさせる空間としました。だから「死の島」は同時に「生の島」です。       [83]

 

第3章 面倒くさいで救われる 

「面倒くさいことはやらない」主義

僕は「面倒くさい」という言い方を日常的によく使います。難しい局面、ちょっとややこしいな、と思った時には、いじくりまわさず、そのままほっちゃらかしておく。僕はそうして生きてきたように思います。

面倒くさいことはやらない、その結果困ったことになっても、「しゃーない」と受け入れて、そのうちなんとかなるだろうと楽天的に考える。そういうラテン的な考え方は関西人に多いのかもしれない。

物事に白黒つけて、論理的に考えていくことは社会生活をする上では必要なのでしょう。けれども突き詰めて突き詰めて論理的に解明しようとすると、そのことにとらわれて悩みがどんどん膨らんでいくこともあります。また、そもそも自分ごときには処理しきれない事柄かもしれない。

それならば、「面倒なことをしない」という無責任さで対応したほうがいいんじゃないですか。無責任な、と誰かが顔をしかめてもかまわない。この無責任さを貫くのにも、なかなか責任が伴うので大変です。        [92]

 

仕事のことで、手間や時間がかかって面倒だなということはそれとは違います。僕は仕事を引き受ける時に、受けたほうが得か損かという計算はしません。

好きか嫌いか、それだけです。

仕事では、なるべく人のやっていないことをやろうと考えるので、それなりに手間と時間がかかることもあります。けれども、自分の思っていることを実現するための作業だから、大したことではない。

仮に長い日にちのかかる作業でも、先のことは考えず、その日やるべき仕事をやっていれば、いつかは形になります。面倒な仕事でも、自分の人生を左右する問題ではないから、気が楽なのです。        [93]

 

結婚は相手任せ、職業は運任せ 

美大を受験することになって猛勉強をしたこと、試験の直前に中止したこと、印刷所に勤めたこと、神戸新聞社でデザインの仕事をやるようになったこと、そして結婚したこと。これらは、すべて自分でやりたいと思ったことではなくて、そういうふうにさせられてしまったことです。しかもそれが全部、現在につながっています。

だから、放っておけば、その人にとって必要なことをさせられるようになっていくのが運命だと思っていました。運命に身を任せればよいところに連れていってくれる、これが僕の実感です。      [102]

 

受け身の姿勢、優柔不断で生きてきた僕ですが、自分で道を決めた一番大きな出来事は画家に転向したことです。

一九八〇年にニューヨーク近代美術館(MoMA)で「ピカソ展」を見ていたら、何の前触れもなく、「画家になる」という言葉が閃-ひらめきました。僕の頭の中で誰かがそう言っているような、突き上げるような感覚です。抵抗できないくらい激しいものでした。              [104]

 

運命に身を任せれば

よいところに連れていってくれる

これが僕の実感です。     [107]

 

 

今回は、107/188まで

毎度のことだが、ここから先はさらに面白い

 

ではでは、またね。

 

※明日から5日間ほど

津軽エリア(青森県西部)を回る予定

ブログの再開は、11.3以降かな