『へろへろ- 雑誌『ヨレヨレ』と「宅老所よりあい」の人々-』 鹿子 裕文   -引用三昧 23冊目-

[概略・・・のようなもの]

"一人のお年寄りに、最期まで自分らしく生きてほしい"という想いから

型破りな人々が福岡の街なかで始めた、介護施設「よりあい」。

さらに彼らは、前代未聞の特別介護老人ホーム開設を目指し大奮闘を繰り広げる!

ーーあらゆる困難を、笑いと知恵と勇気で乗り越えていく実録痛快エッセイ。     

 

02 濁流うずまき突入篇 1 

「宅老所よりあい」の介護は、一人のお年寄りからすべてを始める。その人の混乱に付き合い、その人に沿おうとする。添うのではない。沿うのだ。ベタベタと寄り添うのではない。流れる川に沿うように、ごく自然に沿うのだ。              自然に沿う以上、こちらの都合で流れをせき止めてはいけない。流れを変えてもいけない。ひとつひとつの川には、それぞれの流れ方がある。海に至るまでの道のりは、ひとつとして同じものはない。   [49]

混乱に付き合い、人に沿う。                          文字にすれば十文字程度で済むことも、やろうと思えば千里の道を行くが如しだ。職員の数も必要だし、時間もかかる。それは人手と根気がいる「効率とは無縁の世界」にあるものだ。それでいて、いただける介護報酬は――職員目線のプログラムを組み、効率的な介護をする施設と――同じなのである。                   下村恵美子がときどき使う「日本一貧乏な運営をしている施設」という表現は、幾分自虐的ではあるものの、決して大げさなものではない。   [50]

 

 二〇一一年のことである。「宅老所よりあい」は特別養護老人ホームの建設に向けて重い腰を上げた。このまま放っておくと、そのうちどえらいことになる。にっちもさっちもいかなくなって、お年寄りも職員も共倒れになる。そうなることはもう目に見えている。やるなら今しかない。やりたくないけど、やるしかない。  [52]

在宅生活の支援は、職員がどれだけきめ細かく心を砕いても、必ずいつかは限界が訪れる。一人暮らしのお年寄りは、ぼけと老いの深まりによって自宅での生活が徐々に困難になっていくし、家族と同居しているお年寄りも、十年二十年と歳月を重ねていくうちに、今度は支えていた家族が老いの時期を迎えるようになっていく。いわゆる「老老介護」というやつだ。                             「泊まり」の利用が急速に増えたのは、高齢化社会が抱える必然でもあった。    本日の「泊まり」利用者は七人。そんな日が当たり前のように続く状態になっていけば、職員の肉体的精神的負担も当然重いものになっていく。職員一人あたりの夜勤日数は、増えていく一方だった。過重労働。なかなか寝付けないお年寄りのケアに忙殺され、夜勤の間に済ませるはずだった書類業務は自ずと後回しになり、仮眠もろくに取れず、恐れていた長時間労働もいつしか常態化するようになっていった。       そんな中で職員は、施設存続のために絶えることのない資金稼ぎにも励まざるをえなくなった。それはただでさえ少ない休みを犠牲にして行なわれることがほとんどだった。当然のことながら、体調を崩す職員が出始めた。「自分には無理です」と辞める職員も増えていった。施設全体に疲弊が色濃く充満し始めた。              やればやるほど自分たちの首を絞める。このままの運営を続けれは、そう遠くない将来、「よりあい」は確実に潰れてしまう。職員とお年寄りが共倒れになって崩壊する。絵空事ではないカタストロフの波が、もうそこまで押し寄せていた。 [58]       

 無謀と言われればそうかもしれない。無計画と言われればきっとそうだろう。でも前例がないからとか、保証がないからとか、そういうことを頭に少しでも浮かべてしまったら、新しいことは何ひとつ動き出しはしない。新しいことはいつだって、無謀で無計画で、前例がなくて保証がないところからしか生まれてこないのだ。 [74]

 

03 資金調達きりもみ爆走篇 

「テレビや新聞を通じて広く知ってもらえれば、Tシャツも売れるし、寄付をしたいという人もたくさん出てくると思う。こんなチャンスはめったにない」        募金箱を置いてもらえる場所もきっと増えるはずだし、運がよければ向こうからその申し出が来るかもしれない。いいことずくめじゃないか。僕はそう思った。すると下村恵美子は即座に「だめだ!」と言った。                     「世の中には、もらっていいお金と、もらっちゃいかんお金がある!」       珍しく厳しい口調だった。                          「そんなものを利用して集めたお金は、自分たちで集めたお金とは言わない。    自分たちで集めたと胸を張って言えないなら、そんなお金にはなんの意味もない。意味のないお金でどんなに立派な建物を建てたって、そんな建物にはなんの価値もない!」そして下村恵美子は「そこを間違ったら、私たちは間違う」と言った。  [107]

 臆病風に吹かれなければ、事は少しずつ動き出す。大切なことは、申し訳ないと思う気持ちを、ありがとうという気持ちに変えることだった。それができれば自然と腹は据わってくる。調子に乗ることもなけば、間違うこともなくなっていく。[115]          

 

04 ひとりぼっちのヨレヨレ篇 1  村瀬孝生は「ぼけても普通に暮らしたい」というお題目で講演を続けている。「ぼける」という老化現象の一つでしかないことを、まるで豪病-ごうびょうのように扱い、「予防しよう!」と呼びかける世の中の風潮に対して「本当にそうでしょぅか?」と「ぼけの世界」で暮らす人々の豊かさを離して回っている。もう十五年近く、そのことばかり話し続けている。それはどうしてなのだろう。よくよく考えてみれば――「ぼけても普通に暮らしたい」というお題目が成立するのは、「ぼけたら普通に暮らせない」社会になっているからだ。なぜそんな社会になっているのだろう。誰がそんな社会にしてしまったのだろう。ただ「ぼけた」というだけで、住み慣れた家での生活に終止符を打たれてしまうのはなぜだろう。その終止符を打っているのは誰だろう。追い立てるように施設に入れて、それで安心を得ている生活者とはいったい誰なんだろう。それにしても――。                 僕らを待ち受けている「老い」とは、本当にそういうものなのだろうか。       そんなせこい話なのだろうか。    [167]

ぼけた人を邪魔にする社会は、遅かれ早かれ、ぼけない人も邪魔にし始める社会だ。 用済みの役立たずとして。あるいは国力を下げる穀潰しとして。どれだけ予防に励んでも無駄だ。わたしはぼけてない、話が違うじゃないかと泣き叫んでも無駄だ。      きっと誰かが冷たく言うのだ。                         じゃあそのおぼつかない足腰はなんだ。ろくに見えないその目はなんだ。まともに働けないその体はなんだ。ばかなやつだ。ただ「ぼけてない」ってだけじゃないか。そんなもんはなぁ、俺たちからしてみりゃ、五十歩百歩の違いでしかないんだよと、そして肩をぽんと叩かれてこう言われるのだ。こんな街の中いたってしょうがないだろう。どっか隅のほうに姿を消してみないか。それが子のため孫のため、ひいてはお国のためってやつだよと。     [168]

 

作品の中には、絶対に外すわけにはいかない〈勘所〉が存在する。

今回も、それが半ば過ぎ(167-8ページ )に登場。

そんなわけで、またも"自主規制"をちびっと破ってしまった。

果たして、"入居者ファースト"の特別養護老人ホームは実現するのか!?

ぜひ元本を手に取り、結末を確かめていただきたいぞ。

 

ではでは、またね。