『死神の浮力』伊坂幸太郎 / 引用三昧 20冊目

「昔のロックバンドのドキュメンタリー。ドラムの人がインタビュー中にぼそりと言っていたんだよ。『アメリカでは二十五人に一人は、良心を気にしない脳みそを持っているらしいが本当か?』って」

サイコパスと呼ばれている人たちだ」僕はずっと昔、小説を書く資料として読んだ本の何冊かを思い出した。「冷淡な脳と書いてあるのもあった」

彼らは表面的には、ごく普通の人間で、ごく普通の親であり、たとえば動物を飼い、たとえば立派な肩書を持ち、生活している。成功者であることも多い。ただ、他人に共感をすることがなく、社会のルールを守る意識も薄い。良心を持たず、自分の行動が誰かにどういった影響をもたらすのかを、まったく気にせずにいられるのだという。

「『できないことがない』人たちのことだよ」

「え?」

「僕が読んだ本にはそう書いてあった。僕たちは普通、自分の欲望をそのまま叶えることはできない。相手を傷つけたり、ルールを破ってしまうことを恐れるから。だだ、良心を持たない人たちは、無敵だ。できないことがない」

「なるほどね」美樹は静かに、感情を込めずに呟く。

「そういった人たちは、他人の苦痛はまったく気にならない」

「迷惑をかけようが」

「何も感じない。ただ、だからと言って、そういった人たちが犯罪に手を出すわけじゃない。誰かの心を傷つけたり、誰かを利用したりはするけれど、分かりやすい罪を犯すとは限らない」

「分かりやすい罪?」

「僕の呼んだ本にはこう書いてあったよ。良心を欠いた行為で捕まるのは例外的だって」

「わたしたちのことを犯人同然に扱った記者が、捕まらなかったように」

「そうだね」僕はうなずく。[14]

 

「普通、人間たちは誰か別の人間との関係で満足を得ようとするものなんだ。助けあったり、愛情を確認し合ったり、たとえば、優越感や嫉妬といった感情も、生きる原動力の一つだ。でも、『良心を持たない』彼らには、感情はほとんど意味がない。だから、彼らが唯一、楽しめるのは」

「楽しめるのは?」

「ゲームで勝つこと。そうらしい。支配ゲームに勝つことが、彼らの目的なんだ」

「支配ゲーム、って何なの」

「もちろん、そういうゲームを彼らが意識しているわけではないのかもしれないけれど、ただ、他者を支配して、勝つことだけが原動力になるんだ、って本には書いてあった」

彼らは慢性的に退屈なのだ、とも書かれていた。刺激を求め、ゲームに勝っためには、何でもやる。良心がないのだから、できないことはない。[23]

 

Day1 一日目 

「毒と薬は」

紙一重ですよ」本条は表情を変えず、話す。「解熱剤を大量摂取すれば、体温が低下して、虚脱状態になります。副作用が起きれば、ただの風邪薬でも、全身が火傷状態になって、失明する可能性もゼロではない。それに、山野辺さんの、『植物』でも書かれていたように、どこかに先住民の毒矢の成分も、筋弛緩剤の役割を果たすわけですし、毒も薬も一緒です」[51] 

 

人を利用することに長け、平然と嘘をつく。飼い犬を餓死させてもさほど気にかけない。そういった人間を調査したことは、何度もある。彼らは健康で、知能が高く、他人を魅了し、惹きつける。そして面白いことに、彼らは犯罪を犯すことは滅多になく、普通に暮らしている。[54]

 

「裁判はあくまでも、国や社会のためです。よけいな流血沙汰を避けるため。家族を殺害された人間は、誰一人、裁判なんて望んでませんよ。あれは、被害者家族のためのものではありません」[67]

 

「記者が我慢強いのは」美樹が口を挟んだ。「興奮するからじゃないのかな」

「興奮? じっと待っていることに?」

「そうじゃなくて、目標物を発見した時の興奮だよ。森の中で鳥を見つけた時とか、何かを発見した時って、頭に何か出るんでしょ、たぶん」

「何か出る?」私は訊く。

「ホルモンとか?」山野辺が言うと、美樹がうなずく。「脳内麻薬みたいなのが。たぶん、それがあるから待っていられるんだよ。手柄を立てた時とか、誰かを出し抜いた時とか、人間の頭には、脳内麻薬ってすごくたくさん出そうでしょ。その興奮を覚えているから、頑張れる」[72]

 

Day2 二日目

「大事な肉親をなくした喪失感は、本当に何と言ったらいいのか」僕はそう喋りながらも、深呼吸をしたくなる。「ひどいものです」

しかも、被害者の僕たちを世間は放っておいてくれない。警察や記者たちとのやり取りが続き、精神は草臥れる。突然のショックと怒りと悲しみと、慌ただしい環境の変化に翻弄される。疲れ果て、息も上がり、とにもかくにも、この状況が落ち着いてくれること、それだけを望むようになる。

娘の死を悲しむ余裕が欲しいほどなのだ。

「心を安全地域に避難させるのが、精一杯でした」苛められた子供が、なぜ、復讐をしないのか。なぜ、逃げ出すだけで、それ以上のことをしないのか。

今なら分かる。穏やかな生活を確保するだけでも大変で、それ以上のことは考えられないからだ。「それに、やはり人は、そう簡単に他人を攻撃できないんだと思います」                           [101]

 

「怖い、というのもまた主観に過ぎない、と思いませんか」

「どういうことだい」

「他人に害を与える行為も、大きな視野で見れば、進化の過程だとも言えます」

「生き物はみんな死にます。千葉さん、それくらいは知っています」

「そうか。分かっているのか」千葉さんは、僕の返事を信じていないようでもあった。「そのことを本当に知っている人間は、あまりいないからな」

「そりゃそうですよ」僕は即答している。「『われわれは絶壁が見えないようにするために、何か目をさえぎるものを前方においた後、安心して絶壁のほうへ走っていくのである』」

「何だそれは」

パスカルの言葉ですよ。人間は、死のことを真面目に考えたら、耐えられません。彼のメモをまとめた、『パンセ』に載っています」[118]

 

カメラやマイクは、取材をする側の傲慢な、万能感の象徴だ。暴力同然の強制力がある。怒りを覚えずにはいられない。マイクを向けられれば、発言しなくてはならない思いに駆られ、カメラに捉えられれば、こちらは不用意な行動は取れなくなる。一方、構えるあちら側は、といえば、安全地帯から銃を構えているのにも似た、余裕綽々の態度なのだ。リスクのない場所から、人の心を眺め、いじくってくるだけだ。[131]         

             

説明を拒む者や、言い淀む者を問い質すのは彼ら記者たちの得意科目だ。説明しろ、説明責任がある、と詰め寄る。が、「説明する義務」を持つ人間がどれほどいるというのか。さらにいえば、「説明を強要する権利」は誰にあるのか。[134]

 

Day 3 三日目 

「あともう一つ、法律では、一事不再理というルールがありますから」

「何だったか」

「一度裁判で無罪が決まると、その人は二度と、同じ事件では裁判にかけられない、といルールです」

「ほう」

「わざと捕まって、その上で無罪になる。そうすれば、あの男は今後、二度と菜摘のことで罪を問われることはない。それを狙ったんでしょう」

「そのほうが、おまえたちをがっかりさせられるからか」

「千葉さん、分かってきましたね、そうです」[186]

 

人間は、一度自分で決めたシナリオができあがると、それに沿わない助言や忠告は撥ねのける傾向がある。[193]

 

「わたし、思うんだけれど、他人のことを気にしない、良心のない人間は強いでしょ」

「何でもできる」

「そう。しかもそういう人間は、他人の弱みを見つけるのが、得意中の得意だから。誰かを蹴落としたり、利用するのも容易でしょ。そう考えれば、最終的にはそういった人間ばっかりが、なんていうの、自分のことだけを考えている人間、利己的な人間というのか、そういう人が生き残るんじゃないのかな」

「どういう意味だ」

「強い種類の生き物が残っていく。それが、生き物の決まり、って言うじゃない。四文字で言えば」

「弱肉強食か」

自然淘汰か」香川が言う。「だけど、いまだに人間は、利己的人間ばかりになっているわけでもない」

確かにそうだな、と私もうなずく。「なぜだろうな」

「何で、利己的人間ばっかりにならないんだろうね」[220]

 

私は、以前、同僚から聞いた話を思い出した。

「銃を所持できる国では、どうして人は銃を買うか知っているか」

アメリカとかですか? そりゃあ、あっちはあっちで物騒でしょし、強盗犯や強姦魔を銃でやっつけるためですよね。銃で身を守るために」

「そうだ。ただ」「ただ?」

「実際には、銃を保持すると、それで自殺するリスクがぐんと上がる」

「自殺?」

「ニュースを見れば、世の中は恐ろしい事件ばっかりだからな、防犯に気を配りたくなるのも分かる。ただ、暴漢に襲われるリスクよりも、銃を持っていることで、自己や自殺が起きるリスクのほうが高い」

「そうなんですか?」

「らしいな」私が聞いた話ではそうだった。銃の所有率の高いエリアのほうが、所有率の低いエリアよりも、自殺率がずっと高い。銃の売買を禁止した場所では自殺率どころか、殺人事件も減ったという。人の死や死因は私の仕事に不可欠なものであるから、そのあたりの情報はよく覚えている。

「でも日本では、銃の所有が認められていないにもかかわらず、自殺が年間三万人もいるけれど」

「銃があればもっと増えるってことだろ。ようするに、だ」

「何ですか?」

「人は、自分でコントロールできるものは安心だと考える傾向がある」

「安心?」

「銃を使うのは自分で、使うタイミングはコントロールできる。だから、危険なわけがない。そう考える。それよりは意図しない恐ろしい事件のほうが怖い。そう考える。 だから銃を手に入れようとする。まさか、自分がそれで自殺を図るとは想像もしない。なぜなら、銃をいじるのは自分で、自分のことは自分がコントロールできる、と思っているからな」

「違うんですか」

「発作的に死にたくなった時、手近にあった銃で自分を撃つ可能性もぐっと高くなる」

「でも、それは銃のせいとも限りませんよ。銃がなくても別の方法で死ぬかもしれないですし」

「だが、銃は未遂にはなりにくい」

「どういう意味ですか?」

「よっぼどのことがなければ即死になる。ほかの自殺の方法なら、未遂で終わる可能性はまだ、ある。銃はそうはいかない。銃さえなかったら、ということになる」[226]

 

「自力でやらなくとも手柄にかわりはない。助太刀を頼んでも臆病者とさげすまれるわけでもない。復讐はとにかく、速やかにやることが大事。だと」 [242]

 

Day 4 四日目

僕は、「それなら箕輪君は、安直な、のほほんとした平和な物語を書けというのか」と言い返したが、すると彼は、「そうじゃないですよ。ただ、呑気で平和な話同様、救いのない話も安直です。しかも、救いがない作品のたちが悪いのは、すごそうだと勘違いされることなんですよ」と言った。創作において、やり切れない話は過大評価されがちだ、と。

「とはいえ、世界の傑作には、救いのない話が多い」むしろ多数派じゃないのか。  僕は言い返した。

「本当に才能のある人が書けば、傑作になります。ただ、ほとんどは、そのふりをしたものだけです。どうせ、ふりをするなら、黒字に黒い絵を描くよりは、別の色を使ったほうがいいです」[289]

 

"名言の宝庫"、伊坂幸太郎作品のなかでも強く心に残る一冊。

書き写しているだけで気分が良くなるので、思わず勇み足をしてしまった。

ぜひとも元本を手に取り、熟読してほしい。

 

ではでは、またね。