『牛を屠る』 佐川光晴 /引用三昧7冊目

2 屠殺場で働く ナイフ                           

渡されたナイフは新品ではなく、使い込まれたものだった。刃渡りが十五センチほどで、やくざ映画に出てくるドスのように柄(つか} と刃とが一直線に繋がっている。

「いいか、鍔(つば)もねえから、刃先がつかえりゃ指が刃の上を走る。つまり指を切っちまうってことだ。そうならないためには小指と薬指で柄をきっちり握って、人差し指と中指はかるく浮かせる感じで、親指を峰に添えてやる。やってみな。それだと手首が自由に動くだろ。ところが五本の指全部に力を入れて握っちまうと、手首が固まって動かねえだろうよ。これだとガッチリしてるように見えて、手首ごとナイフが揺れるから、まともに研げやしねえんだ」 [31]

 

牛に移る 私は毎朝、始業前にナイフを研いだ。千番という、レンガ色をした砥石で研ぐのだが、屠殺用のナイフは金属とは思えないほど柔らかく、見る間にかたちが変わってしまう。もちろん私のような素人が望むままに研げるはずもなく、それどころか研げば研ぐほどナイフのかたちが悪くなる。

料理人が用いる出刃包丁や柳刃包丁は硬い鋼でできている。それに対して牛や豚の解体では、ナイフを関節にこじ入れるため、硬い鋼では欠けたり折れたりしてしまう。

気づいたときにはナイフのかたちがすっかり狂っていて、一から研ぎ直すのもしょっちゅうだった。刃に添えていた指の腹が砥石に擦れて血が出たり、砥石の上でナイフが跳ねて指を切ったりもした。 [39]

 

4 作業課の面々 共通の心性 前章では夏場の様子を紹介したため、気楽な仕事のような印象を与えてしまったかもしれないが、秋口から年末年始をはさんでの半年間は、まさに息吐(つ)く間もない忙しさだった。  

百五十頭の牛と、五百頭を超える豚を三十六、七人であげるのは並大抵の技ではない。とくに豚の内臓は「足が早い」ために、午前中で解体を済ませないと販売に支障が出るし、枝肉だって午後からのセリに間に合わない。それは牛にしても同じであって、連日になるとからだが保(も)たないので昼飯を食べたが、午後二時過ぎまで通して働くのもしょっちゅうだった。[59]

 

余禄 “余禄”の種類はさまざまで、肝臓を患い、黄疸(おうだん)の出た牛の胆嚢(たんのう)からは牛黄(ごおう)が採れる。要は牛の胆石なのだが、滋養強壮効果のある漢方薬として珍重されている。山吹色をした正三角錐(すい)の物体で、これは久保田さんが独占していた。                             かなりの値段で売れるらしく、一辺が一センチもある牛黄を見つけたとき、私はすぐ傍で仕事をしていたのだが、興奮を隠し切れずにポケットにしまう久保田さんの姿は今でも目に焼き付いている。[72]

 

5 大宮市営と畜場の歴史と現在 芝浦vs大宮

芝浦屠場は、言わずと知れた日本最大の食肉センターである。一日に牛は三百五十頭、豚は千二百頭を屠畜解体する。作業員は全員が東京都の職員。つまりは公務員である。身分は安定しているし、退職金は大宮職人と一桁違う。豚だけでなく牛もオンラインで、牛を寝かせての解体などとっくの昔にしなくなっている。牛のラインは三本あり、一本のラインに二十人以上が付く。作業場はクーラーが効いていて、一人の作業員が行なう工程は大宮より少なく、夏でも長靴の中に汗が溜まることはない。[75]

 

昭和三十年頃の芝浦畜場においては、東京都の職員である「屠夫」が、内臓業者から派遣された若い衆を使って馬牛豚の屠畜解体を行なっていた。つまり作業の実働を担う労働者は内臓業者の従業員だったのであり、彼らは屠畜の仕事からは一切賃金をもらっていなかったのである。                             どうしてこのような「違法就労」が罷(まか)り通っていたのかといえば、内臓業者が一刻も早く内臓を得たかったからだ。モツは傷みやすく、希少品でもあったため、内臓業者の親方たちは人手を無償で提供することで、早く確実に品物を手に入れようとした。東京都のほうでも、内臓業者の弱みに付け込んで、就業契約をあいまいにしたまま、労働者をタダ働きさせていた。                       そうした状況に憤った五十名弱の内臓問屋の若い衆たちによって、一九七一年一月に芝浦臓器労働組合が結成された。それを部落解放同盟が支援して、同年十二月に全芝浦屠場労働組合を結成。東京都の屠畜解体業務にたずさわっている以上、都が作業員を直接雇用すべきだとの要求を掲げて運動を繰り広げた。                一九七五年、東京都が食肉関連の公社を設立して公務員化への道筋が付き、現在に至っている。[76]

 

F1とガタ牛 

子どもを産んでいない牝牛の皮はごく薄く、なんの抵抗もなくナイフが入る。    関節の隙間もたっぷりあって、ナイフをこじ入れる必要などない。ちょんちょんちょんと、三箇所の腱を切ってやれば、脚でも首でも楽に獲れてしまう。

皮の下からあらわれる脂肪は透けるような白さで、とくに乳房は輝きさえ帯びていた。値段も和牛の未経産が一番高い。ただし、全部を未経産で出荷していては子牛が生まれない。そこで和牛の場合は一頭産ませただけで出荷することも多く、未経産に比べていくらか肉質は劣るが、これも解体するのは容易だった。

高価な和牛は万が一にも肉に傷を付けるわけにはいかない。そのため作業は慎重になるが、そうはいってもナイフに力を込めるか込めないかのうちにするするすると皮が剥けてしまうのだから、楽であるのに変わりはなかった。

それに対してガタ牛は、皮はゴワコワと厚く、脂肪もすっかり落ちている。

長年からだを支えた脚の関節は圧-おし潰されて、骨と骨がくっつき、ナイフを入れようにも隙間がない。乳の出が悪くなったあとは、農家もろくに面倒を見ないのだろう。爪は伸び放題でそっくり返り、皮に糞尿と藁屑(わらくず)がこね合わさった固まりがこびり付いている牛も多かった。[80]

 

オッパイの山 酪農家も卸業者も肉屋も、日本一の芝浦畜場で解体された牛だとのお墨付きが欲しいのだろう。銘柄のついた和牛はことごとく芝浦に集まる。一方、われらが大宮屠場には北関東一円はもちろん、遠く北海道や東北各地のガタ牛が集結する。しかも牛を寝かせる時代遅れの解体方式で、オンラインに比べて格段に肉体を酷使するのに賃金は安い。[82]

 

「逃げ屋」と「まくり」 爪には三種類あるという。               

一つめは、使うにつれて大きく硬くなる爪で、丈夫でいいように思えるが、爪の先が開いてゴミが入る。場合によっては捲(まく)れ上がって爪がはがれることもある。

「おれや阿部さんのがそうだよな」 

そう言って見せてくれた新井さんの左手は、どの指先も団扇(うちわ)のように膨らんでいて、分厚い爪は根元まで真っ黒だった。

「まったく、これだからなあ。みっともねえから、外を歩くとき、左手はポケットに入れたきりだぜ」   

二つめは、使うにつれて減っていく爪で、圧力に負けて爪がどんどん後退していく。しまいには指がソーセージのようになって、爪は生え際にわずかに付いているだけになってしまう。

「永島がそうだけどな。あれだと皮が引っかからねえし、指は痛いしで、ヤツも相当きついみたいだな」 

永島さんは「まくり」をしていたが、小柄でリーチもなく、正直に言って腕前はそれほどでもなかった。しかし後日見た永島さんの左手は、ただでさえ小さな手にはほんの気持ち爪が付いているだけで、これで新井さんの向こうを張って皮を剥いているのかと思うと、その気力に頭が下がった。

そして三つめは、いくら使っても変わらない爪で、私の爪がそうだと言う。  

じっさいは、心持ち厚みを帯びて、大きさも増しているのだが、前の二つに比べれば変化は微々たるものでしかない。  

「クロさんが、お前と同じ爪だよ。いい爪だから、せいぜい大事にするんだね」[85]

 

 

小説家・佐川光晴氏が

デビューする前に働いていた食肉市場(屠殺業)の体験を綴ったもの。

ここまでで、折り返しポイントを過ぎたあたり。

未知の情報が満載で、ほとんど"異世界物語"を読んでる気分だった。

もっと&しっかり読みたい人は、「元本」を入手されたし。

 

ではでは、またね。