2章 凍土のめぐみ 居住霧とたった四時間の太陽
「マイナス40度以下になると、ヤクーツク市内での撮影はむずかしくなりますよ」と前から現地のテレビ局の人に言われていました。
“居住霧”が発生するためです。これは、人間や動物のはく息、車の排ガス、工場のけむり、家庭でにたきする湯気などの水分が、ことごとく凍ってしまってできる霧です。人口が密集している地域には、必ずこれが発生します。風でもあれば、この霧をふき飛ばしてくれるのですが、冬になるとここはほとんど風がふかないのです。
霧が出ている時、まちを歩くと一〇メートル先、ひどい時には四メートル先のものもミルク色の霧におおわれて見えません。何しろ寒くなればなるほどこの霧も濃くなるからです。人間も車もいきなりヌッと霧の中から現われて、またすいこまれていきます。
おまけに日照時間は一日四時間足らずです。太陽は午前十一時ごろ、ボーッとした顔を地平線のかなたからもっそり出してきたかと思うと、午後二時過ぎにはそそくさとさくれていきます。
ここの一日は、十八時間の夜と、六時間のたそがれ時から成っているのです。[24]
かたむいた家のナゾ
ヤクーツク市内は木造家屋が多いのです。見るからにシベリア原生林育ちのみごとな丸太を組んでできた家々です。
ただ、どの家もおそろしくかたむいています。見ているわたしたちの方が平衡感覚がおかしくなってしまいそう。
「ここが永久凍土地帯だからですよ」と、オフロさんが説明してくれました。
ヤクートの大地は、地表から二〇〇ルートるほど下まで、地層が岩のようにコチコチに凍っています。これは一万年前の氷河期の地表がこの地域にだけ残ってしまったものなのです。
夏になると、この凍土の地表から約一・五メートルあたりまでの層がとけます。ところが冬になるとまた凍ります。このように地盤が凍ったりとけたりをくり返すうちに、建物は土台からねじれ、ひん曲がっていくのです。
ですから、どんな建物も五十年はもたないそうです。 [28]
天然の“冷凍庫”“地下貯水池”
炭鉱から戻る米原さん。うしろに見えるバスは常に前後に動いている。停止するとエンジンがかからなくなるからだ。※写真に添えた一文 [42]
つり上げ、十秒で“冷凍”
「休日をどんなふうにすごしますか」とわたしたちがたずねると、ヤクート人もロシア人も、男はみんな迷うことなく「狩りか、つりだね」と答えました。
「とくに氷上のつりのだいご味を覚えたら、やみつきになるよ」というのです。[50]
さて、魚がかかったら引きあげます。空中にひき上げられたスズキによく似た魚は、ピクピクッ、そして三度目にピクッとする前に凍ってしまいました。[53]
時間にして十秒ぐらい。さわってみるともうコチコチ。天然瞬間冷凍というわけです。
すべらない氷――真冬の車はチェーンなし
寒い→氷→すべる、これはわたしたち暖かい国に住む人間の連想だったのです。「寒いと氷はすべらない」。これがヤクート人の常識です。
そういえば、理科の時間に習ったことがありました。氷そのものがすべるのではなく、氷の上を動くもの(スケートなど)と氷のまさつで熱が生じ、その熱で氷の表面がとけて水のまくができるのです。この水のまくがすべる原因なのです。ところが、あまりにも寒いと、たかがまささつ熱では氷がとけません。だから水のまくもできないし、すべることもないというわけです。
スピード・スケートも、少し暖かい方が良い記録が出るのは、同じ理由です。[56]
3章 ヤクートでディナーを 飛行の三つの大敵
マイナス四〇度になると、人口密集地であるヤクーツク市には例の居住霧が発生するため空港は閉鎖されてしまいます。当日の気温はそのギリギリ手前のマイナス三九度で、わたしたちを乗せた飛行機は無事飛び立つことができました。ただその三十分後には気温が下がり、ヤクーツク空港は閉鎖されたと後で聞きました。二時間後オイミャコン郡の郡都ウスチネラ町に着陸。気温はマイナス五二度。予定ではここで飛行機を乗り継いでオイミャコン町にむかうはずでした。はずというのは、飛行禁止を言いわたされてしまったのです。マイナス五〇度以下になると機体の水分が氷結してエンジンの動きがにぶり、気体そのものが重くなるので墜落の恐れが生じるからです。 [60]
ここらへんが折り返し点(本文120ページ弱)。
男前の女傑・米原万里による"幻の処女作"。
もっと読みたいor興味が出た方は、「元本」を求められたし。
ではでは、またね。