280ページの"クロニクル大作" 『夏の祈りは』須賀しのぶ 周回遅れの文庫Rock

500ページを楽々と超える「超大作」が幅を利かすなか

本文280ページに満たない本書を手に取ると

"軽く読める小品"というイメージを抱くかもしれない。

だがそんな予想は、見事に裏切られる。

 

第一話から第五話まで、連作短編集の体裁をなしている本作。

実は、県立北園高校の野球部を舞台にした〈甲子園を目指す戦い〉を

30年余りに渡って断続的に描き出していく、一大年代記=クロニクル巨編なのだ。

だというのにーー繰り返しになるが――

全五話合わせても、280ページに満たないコンパクトさ。

要するに、それだけ「中身」がギュ~ッと詰まっているのである。

 

なにより、各話ごとの〈主役の切り替え〉が、見事だ。

第一話「敗れた君に届いたもの」では、北園高校野球部が背負う"悲願"が描かれ

30年ぶりにその悲願がのしかかったキャプテンの視点で描かれる。

続く第二話「二人のエース」では、題名どおり突然大化けした二番手ピッチャーと

対照的に調子を崩すエースの対比という、"残酷な現実"を見せつけられる。

ところが第三話になると、主役は"雑用係"に過ぎない女子マネージャーへと移る。

ストーリー自体も、思わぬ方向へと大きな広がりを見せ始める。

さらに第四話「ハズレ」は、大健闘を果たした三年生と期待の一年生の間に挟まれた

自他ともに認める〈ハズレ学年=二年生部員〉を主役に据えてしまう。

そして、最終第五話では、ここまで描かれてきた"すべて"が

見事、たったひとつの結末に向かって雪崩れ込む。

 

残り少ないジグソーパズルのピースが

ひとつひとつ、"約束された場所"に収まっていくように

三〇年という歳月に込められた「祈り」が、大きな実を身を結ぶさまを

本を持つ手が震えてくるほどの感動とともに

ぜひとも、体験していただきたい。

 

なにごとも疑ってかかるのが癖になっているのか

高校野球に対する一方的な思い込みを捨て去ることが出来ずにいる。

たとえば、競争の激しくない過疎の県に全国から優秀な選手を集めたチームを結成。

毎年のように甲子園への出場を果たす"造られた強豪校"とか。

学業は最低限に抑え、一年中合宿所暮らしで"超エリート球児"を育てる私立高校と

その背後で蠢く、各宗教団体の画策だったり。

けれど、それらすべての〈打算〉を承知しつつもなお

決して曇らされることのない"強烈な輝き"が、確かに存在している。

 

大げさかもしれないが、『高校野球の見方が変わる作品』だと思う。

 

蛇足とは思いつつも、「心揺さぶれた言葉」をみっつほど。

やりきったから後悔はない? そんなはずがあるか。全身全霊でやったこそ、苦しいのだ。56p

「ただ泥まみれになってプレーするだけが野球じゃない。とくに高校野球は、日本をあげての巨大な祭りみたいなものだ。参加する方法や、好きである形は、いくつもあっていいんだよ。君が今の形で、野球を愛しているように」151p

指導者として、今度こそ悲願を。                        そう願うことは、容赦なく切り捨てることと同じなのだ。196p

 

ではでは、またね。