「全国旅行割」との激闘を終え
ひとやすみしたところで
ようやく感想文の"続き"を書く気力が沸いてきた。
てなわけで、角田光代著『大好きな町に用がある』の第二便。
本書は旅にまつわるエッセイ集なのだが
中盤以降、"歳を取ると見えてくる新たな旅の側面"に度々言及している。
その中でも、一文読むたびに"心の膝"を打ちまくったのが
「旅と内的変化」と題された、こちら。
若いときの旅と、年齢を重ねてからの旅を比べて、変わったなあとしみじみ思うことはたくさんある。いちばんの変化はやはりコンピュータと携帯電話の普及だ。今は、初めていくような異国の町でも、スマートフォンで地図を見ることができる。まったく土地勘のない、看板の字も読めない土地で、ホテルやレストランの名前を入力すれば、自分のいる位置とそこまでの道順が出てくる。絶望的なほどの方向音痴である私には、『ドラえもん』という漫画に登場するひみつ道具が現代にあらわれたとしか思えない。そのアプリを使うたびに感動している。153p
まったくもって、そのとおり!
特に言葉や文字で苦労する海外において、旅行そのものの概念から一変した。
実際、懐かしき《BG(ビフォア・グーグルマップ)世紀》において
頼りになるのは、自分の足と「地球の歩き方」ぐらい。
あとは現地の人に目的地名を連呼するのみ(親切な人は、これだけで教えてくれる。
でも、その情報が決して正しいとは限らないんだよなぁ・・)。
おかげで「歩き方」に書いてあった一軒のレストランを探して
夕暮れの街を一時間以上も右往左往。
結局たどり着けず、日本から持参した携帯食で飢えをしのいだり。
(忘れもしない37年前、解放間もない中国での体験。
町じゅうに物騒な空気が漂っており、一見の店に入れる心境じゃなかった)
ガイド役を買って出て、相方とその母親+妹の3人と乗り込んだ4回目のスペインでも
繁華街にあるはずのシーフードレストランがどうしても見つからず
泣く泣くホテル近くの日本料理店で、高くてまずいうどんをすするはめに。
(こちらはまだ十数年前、Ⅰユーロが170円台まで値上がりした際の旅路。
ただでさえ割高なヨーロッパで、あっという間にお金が消えていった)
いずれも、あらかじめ地図(地球の歩き方)で場所を何度も確認。
ここだ!と思って行ってみたら、影も形もなかった・・という、大空振り。
ところが、スマートフォンでグーグルマップ(オフライン)が使えるようになった
7~8年前から、その手の右往左往は、ほぼ完全に解消された。
それもプリペイドSIMカードを現地で購入せず、ネットに接続できない状態でも
前もってオフラインマップをダウンロードしておけば、充分活用できるのだ。
おそらくのべ100時間以上、世界中の路上をさ迷った身にとっては
まさしく〈魔法〉以外の何物でもなかった。
オフライン状態ですら、各施設の位置・営業時間・人気まで一発で分かるのだから。
しかしその反面、かつては旅(特に海外)につきものだった
"不安なドキドキ感"が失われてしまったことも、忘れてはならない。
足を棒にして歩き続けた果てに、やっとのことで目的地に辿りつくことができた
あの、全身が震えるような(大げさだな)達成感は、決して味わえない。
単に苦労が多かったから喜びも大きかった、とも言えるけど。
同様の"コンビニエンス化"、携帯電話(スマートフォン)の普及による
常時コネクト体制の確立にも当てはまるだろう。
往年の名作ドラマ『君の名は』(アニメ作品じゃないよ)ばりに
互いに会いたいと願う相手に会えず何度もすれ違いを繰り返す・・なんて
イマドキ、考えられないもんな。
たったひとつの「角田語録」から、こんなに長々と書き連ねてしまったけど
それ以外にも"共感のネタ"は、山ほど出てきている。
同じ「旅と内的変化」の後半にある
"年齢を重ねてから変わった旅のスタイル"にも、激しく心を動かされた。
もっとも大きな内的変化は、自然の光景を好むようになったことだ。ビーチリゾートではない海辺、ひとけのない山々、木漏れ日が落ちる山道、森のような広大な公園。雪をかぶった山々の尾根、燃えるような紅葉、咲き乱れる名も知らぬ花、大地を這う雲の影。そういうものを見て、気持ちが浮き立ったり静まったり、泣きそうになったり、帰りたくないと思ったりするようになった。154p
もともと雑踏や繁華街は苦手で、なるべく静かで人口密度の低い土地を志向していたが
近年、その傾向に、ますます磨きがかかってきた。
思えば、12月に予約した「沖縄旅行」も
最初の内は"でかいリゾートホテルでのんびり過ごすのもよさそうだ"と思い
糸満のリゾートホテルに滞在するツアーを予約した。
しかし、「ファミリー旅行に最適」とか「アトラクションがいっぱい」とか
「便利で楽チン」などと、利便性をアピールする宣伝文句を眺めるうち
・・・これは、ちょっと違うかもなぁ。
などと、アンチな気分が徐々に高まっていき、急遽キャンセル。
最終的には予算オーバーを承知で、宮古島(ホテルは伊良部島)に変更したのだった。
雑踏の中よりも、自然の中に身を置いた方が満たされる。
そんなふうに思ったときから、人は"晩年"を迎えるのかもしれない。
おしまいにあとひとつ、「単行本版あとがき」から。
シンプルで牧歌的で、垢抜けない未知の世界の旅は、過去にしかない。あんなふうに、一方ではどきどきびくびくとあたりをうかがいながら、一方では理解できない恐怖におびえることなくのんきに、迷いながら、怒りながら、人と出会いながら、ときどき泣きながら、不便にたえながら、旅することは、きっとこの先二度とないだろう。そう思うと、下手くそでさえなくて貧乏たらしい若き日の自分の旅さえ、泣きたくなるほどなつかしい。193p
この数行と寸分たがわぬ感慨に気づき、思わず目頭が熱くなった。
ーー四十年以上、旅とともに暮らしてこれたのは、存外幸せだったらしい。
ではでは、またね。