戦わないと手に入らない"平和"もある 『時宗(全4巻)』高橋克彦 周回遅れの文庫Rock

2001年に放送されたNHK大河ドラマの原作小説。

時の経つのは早いもので、今から20年以上も前の作品である。

しかしそのおかげで、登場人物とドラマで演じた役者の顔が重なり合うことなく

違和感バリバリ(体型も容貌も大違い)の今風イケメン男が、武士のカッコで大暴れ!

ーーなんて気持ち悪い映像を思い浮かべずに済んだ。

 

それはともかく、本書(四巻)を通読し

改めておのれの"無知ぶり"にショックを受けた。

何故なら、二度にわたった元の日本侵攻(元寇)は

どちらも大嵐のおかげで元の船団が全滅。

元軍と日本軍(鎌倉武士)との戦いは、小競り合い程度しか起きなかった・・

そんなふうに、勝手に思い込んでいたのだ。

 

しかし現実には、中継地の対馬壱岐で発生した壮絶な戦闘&虐殺を皮切りに

筑前博多の沿岸部を舞台に、幾度となく両者の死闘が繰り返されていた。

実際に「神風が吹いた」のは

博多を攻めきれず、減の船団がいったん壱岐対馬の間まで引き返した時だったり

肥前筑前の海岸に上陸した元軍と一ヵ月もの間、激闘が続いた後だったのだ。

小説の出来とは関係のない、単なる歴史的事実に過ぎないのだけど

あまりにも「そーだったのか!!」が大きかったので、書かずにいられなかった。

 

本件件に関しては、最終四巻の解説を手掛けた縄田一男氏も触れている。

この作品で特徴的であるのは、二度にわたる元寇での日本軍の勝利を"神風"であるとはしていない点ではないのか。無論そこには最新の歴史学の成果も踏まえられていよう。しかしながら本作で、文久の役を阻止し得たのは、時頼が断腸の思いで考えた苦肉の策(「巻の四 戦星」の「奮戦」の章は何度読んでも目頭が熱くなる)のお陰であり、元軍がこれで示威行為が完了したと判断したためであった。そして弘安の役では敵兵三千が病に倒れ、元軍の合流策に齟齬が生じたためなのである。 巻の四 398p

 

では改めて、肝心の"内容"について語ることにしよう。

なにより、〈助走〉が長い長い長い。

前述したように、本作は文庫本で全4巻。

ページ数にして1354(本文のみ)という大長編なのだが

第4巻の71ページ目まで待たなければ、元軍の船団は壱岐に攻め寄せてこない。

実に全体の4分の3以上が、遠からず襲来する元に対抗するための

〈挙国一致体制作り〉に、費やされているのである。

しかも、作品名こそ『時宗』ながら

前半の2巻は、その父にして五代執権・北条時頼を中心にストーリーが展開する。

要するに、本作は、時頼・時宗の親子二代、三十七年に渡って営々と積み上げられた

"対クビライ統一戦線"を描いた、まさに「大河物語」なのだ。

 

政治的駆け引きや、外交交渉、腹の探り合いなどの、いわゆる〈権謀術数〉ものは

読んでいてシンドイことが多く、途中で投げ出すこともしばしばなのだが

本作に限っては登場人物ひとりひとり、特に時頼・時宗の主人公父子の言動が

常に"直球勝負"っぽい「志」に満ちており、不思議と陰惨さを感じることがなかった。

実際の時頼・時宗がここに書かれたような人物かどうかは定かではないが

読んでいるだけで清々しくなるキャラに仕立て上げたのは、ひとえに作者の力だろう。

 

ともあれ、ここには「鎌倉武士とはナニモノだったのか?」という問いに対する

ひとつの明快な回答が、執権父子の姿を借りて見事に描き出されている。

彼らが見せた迷いのない"志"と"果断さ"が、いまどこにも見いだせないことが

とても哀しい。

 

それと、何の気なしに「元寇」をググってみたら

フビライの使者を殺して元寇を招いた鎌倉幕府は愚か者だ。

 平和裏に外交を行なっていれば、双方ともに実り多かったのに」てな記述があった。

「日本のようなちっぽけな国に、わざわざ大軍を率いて占領するほどの価値はない」

というのが主な根拠だけど・・・

それって、フビライ(元軍)と歴代の中華王朝を混同してないかい。

実際、〈金持ちほど金に汚い〉のが世の常。

どれほど広い領土を抱えていようと、もっともっと!と騒ぎ続けるのが人の業だ。

現に、太平洋戦争終結後にも、当時の超大国ソ連

条約を一方的に破棄して満州北方領土を奪い取っていったじゃないか。

いまこのときだって、ウクライナで「ちっぽけな土地」を巡る殺し合いが続いている。

 

どれほど声高に「憲法第九条」を唱えようとも

しょせんは日本国内だけで通用する"ローカルルールに"にすぎない。

ほんとにもう・・ウクライナと同様の武力侵攻が始まったら

いったいこの国は、どうするんだろう。

今度こそ、原発事故の時みたいな「想定外でした」じゃ済まされないんだよ。

 

――久しぶりにドツボにはまったところで、書き逃げるのだった。

 

ではでは、またね。