「愛娘」を"探検"してみたら、こうなった。 『探検家とペネロペちゃん』角幡唯介 周回遅れの文庫Rock

本人はあれこれと理屈をこねまわしているが

紛れもない「親バカ本」である。

だって、いきなりコレなのだから。

私の娘は異様にかわいい。異様にかわいいのだ。問題の核心がここにある。         おいおい、自分の娘を異様にかわいいとか公言するなんて、こいつ親バカにもほどがあるなぁと思われるかもしれないが、私はべつに親バカかどうかという次元の低い議論をしているのではなくて、純粋に客観的かつ公平的基準からして私の娘は異様にかわいいということをいっているのである。10p

ここまで書きながら、"異様にかわいい"娘さんの容貌が確認できないのは、理不尽だ。

いくら個人情報などの問題があるとはいえ、これでは〈客観的判断〉の下しようがない

ではないか。ズルイぞ、角幡。

                           

だが、そんなフラストレーションとは裏腹に、妻の妊娠から出産。

そして娘(ペネロペ)の成長に伴う"密着取材"のあれこれは

誰が何と言おうと『探検記録』以外の何物でもないのだ。

たとえば、妊婦となった妻を〈探検者目線〉で観察していくと・・

妻を見ているうちに私には、妊娠・出産には極地探検やヒマラヤ登山などがおよびもつかない自然体験度、命実感度があるのではないかというふうに思えてきたのだ。胎児は、自分の子供とはいえ、他者である。別個の生命体である。ことなる生き物が自分の腹のなかにいて、自分の管から栄養分が注入され成長し、蠢(うごめ)いているのである。想像を絶する話ではないか。22p

探検家・角幡は、この"自分には決して味わえない体験"に臨む妻を、激しく嫉妬する。

 

男・角幡の"未知なる体験=妊娠&出産"への憧れは、出産が迫るにつれ次第に高まり、

分娩室での右往左往に結実してゆく。

「自然に産みたい、自然に産みたい、頑張れ、私‥‥」              自らを鼓舞する妻の姿を見ていると、彼女は今とてつもない戦いを演じているのだと思う、私も胸が熱くなってきた。何か手助けしなければと思い、腕や足をマッサージしたり、励ましの声かけなどをしたりしたが、しかし妻からするとただウザいだけだったようで、「どこも触らなくていいから‥‥」「二酸化炭素をこっちに吐きかけないで」などと逆に迷惑がられてしまう。36p

 

無力な傍観者の状態が半日続き、角幡の想いは妻からまだ見ぬ子へと移ってゆく。

「大丈夫だって。産める。絶対産めるって」                     励ますことしかできない私であるが、その壮絶な奮闘ぶりを見ているだけで、胸に熱いものがこみあげてくる。それにしても母親にこれほどの難産を強いるとは。なんたる頑(かたく)なな子供だろう。薬物を使ってまで、早く出てきなさいと登場を促進しているにもかかわらず、絶対に嫌だと断固拒否する態度を貫こうとしているのだ。今ならよくわかるが、娘は、誰に似たのか、親のいうことを素直に聞かないひねくれた性格の持ち主で、誕生日の時点ですでにその性分を存分に発揮していたのだ。40p

この一文だけで、著者・角幡の妄想&暴走ぶりが、お判りいただけるはずだ。

誕生する前からペネロペは、この親バカ探検家ならではの"色眼鏡"を通して

これでもかとばかり観察・分析・考察され、強引極まる推論へと紐づけらるのだ。

子供とはDNAが人生にしかけた爆弾のことだ。ワトソンとクリックが考えだした巧妙な罠である。子供ができることで人間ははじめて二重螺旋構造の真の意味を知る。そうかっ! 二重螺旋とは単にポリヌクレオチド鎖が絡みあって配置されたデオキシリボ核酸の立体構造のことではなく、親と子供の切っても切り離せない命運のようなものを指すのか、と。そして私は今日もペネロペを両手に抱き、「お前が一番かわいいなぁ~」といいながら居間の絨緞の上をゴロゴロと転がる。すると抱きかかえられたペネロペも「お前が一番かわいいなぁ~」と呼応する。54p

いったいお前はどこに行くのか・・?

そう声を掛けたくなるほど、妄想は暴走を呼び

探検家・角幡の育児?記録は、未踏の北壁に挑む天才クライマーの如く

読者が想像しえなかった斬新なルートをたどって、"頂上"を目指してゆく。

 

その見事なまでの逸脱ぶりは、

あまりにも魅力的かつ個性的な「ペネロペちゃん」の言動共々

ぜひご自身で、直接堪能していただきたい。

・・と結ぶその手?も降ろさぬうちに一節だけ、紹介してしまおう。

とにかく、ペネロペが面白過ぎるのだ。

生後十カ月で二足歩行をおぼえると、もはや彼女の自由意志を防げる障害はいっさいなくなった。それ以後は歩く歩く、そして走る走る。さらにそこに生来の剽軽さがくわわり、走ったと思ったら急に立ち止まって顔中しわくちゃにして変顔をしたうえ、パラパラみたいな独特のおかしな振りつけで踊りはじめる、などという奇天烈な行動をとるようになった。しかもまだ二歳の幼児、常識や公衆道徳の概念が育っていないので、そのおかしな動きに歯止めをかけるものは何もない。親としては、できれば枠にはめるような教育はしたくいなという戦後民主主義的な思いもあり、つい見守ってしまいがちになるのだが、そうするとペネロペのふざけた態度はさらにエスカレートして、ストッパーなしの天真爛漫な自由意志の表現体と化す、その結果、本屋に行っては文庫本をバシャバシャ投げ飛ばし、登山道具店に行ってはサングラスや登山靴を床にぶちまけ、スーパーに行っては野菜を放り投げてついでに変顔&パラパラ踊り等々のやりたい放題となり、「いい加減にしろ! 待てっ!」とこっちが怒鳴ってつかまえようとすると、追いかけっこがはじまったと勘違いして大喜び、「ウキャキャキャキャー」とサルみたいな歓声をあげて逃げまくるのだ。97-9p

 

はたで見ている分には面白いけど、関係者にはなりたくないーーというヤツ。

当のペネロペは、現在8歳(前後)。

もはやこういう光景を目にすることは叶わないが

できれば、一度ナマで拝みたかったな。

 

例によって、風呂敷拡げっぱなしな感想文だったけど

まっとうな「父親論」や「父娘論」としても、読みごたえ満点だ。

ちなみに、むかし北アルプスを縦走したうたたは

ラストの「ペネロペ、山に登る」で、もらい泣きせずにいられなかった。

 

ではでは、またね。