なんのために生まれ、なんのために生き、なんのために死ぬのか。 そういう問いかけは、「生物としての人間」の在り様にとっては、問うても意味がないものなのに、なぜ、問うように、脳ができているのか。〈中略〉 答えがないと、わかっているにもかかわらず、私は、繰り返し思わずにはいられないのです。なんのための「生」なのだろう、と。20p。
『精霊の守り人』『獣の奏者』『鹿の王』シリーズの作者・上橋菜穂子が
母の死を看取る日々の中で知己を得た、聖路加国際病院医師・津田篤太郎と交わした
往復書簡を、一冊の本にまとめたものである。
最大のテーマは、冒頭に引用した文章に象徴されているが
大樹が枝葉を一杯に拡げるように、「性とは」「死とは」「宗教とは」「創作とは」
「心とは」「身体とは」「命とは」など、多岐にわたる深い思索が綴られている。
なかでも面白いのは、小説家と医師という異なるスタンスの個性が交流することで
空想にも実証にも偏らない斬新な"推論"が、次々紡ぎ出されてくるところだ。
たとえば、「性と死」をめぐる考察は、以下のように展開していく。
「性」とは、親と異なる遺伝子を産み出すことで絶滅リスクを回避するシステム。
だがその結果、遺伝子を提供する〈両親〉は「死」すべき存在となった。
スペースや栄養分を食いつぶしてクラッシュするのではなく、性を通じた世代の交代により、個体は自らの実態を失い、他の何者かへ変化していきます。性のシステムが進化を推進するエンジンであり、個体に"寿命"という期限を設けたというわけです。32p
とはいえ、なるべく多くの遺伝子を生き残らせ、その遺伝子を長く、長く、伝えていく
ことこそが生物(人間)の"生きる意味"だ、なんて言われても納得できるわけがない。
本書にも、同じ疑問が提示されている。
大切なのは遺伝子で、あなたではない。あなたの生命は遺伝子を残すという重要な作業のために消えるようにセッティングされているのですよ、と言われて、なるほど、それはすばらしいですね、そのために私は生きているんですね! と、思って、死を納得できる人は、どのくらいいるものなのでしょう。73-4p
こうした、文字通り"等身大の"推論と考察を重ねるうち
浮かび上がってきたのが、以下の感慨?だった。
それにしても、人の心と身体の関係は不可思議です。 命を繋ぐのに都合が良いように、信じられないほど巧妙にできている生物の身体。環境が変われば、それに適応できるように変化する余地をもっているほどに巧妙で、生き延びて、遺伝子を、どこにも存在しない「最終目的地」へ届けるために、ただひたすら進化してきた身体。 でも、人の心にとって最も大切な「私という個」は、人の身体にとって、遺伝子ほどには重要ではなくて、やがて次世代に場を譲るために消え去るよう、巧妙にセッティングされた乗り物に過ぎない。 「私」が消えることを恐れ、続くことを願う心と、生命を存続させる必要がある間は、生きたいと思わせるように出来ている一方、時が来れば崩壊するよう促していく身体。私たちは生まれ落ちたその瞬間から、果てしない矛盾を生きるように定められているわけです。158-9p
――なんだ、結局、〈矛盾〉と〈不可思議〉を語って終わりかよ!
文字面だけを摘み上げ、そう皮肉る方がいるかもしれない。
しかし、それでもうたた(俺だ)には、上記の〈不可思議〉な〈矛盾〉に
言いようのない"暖かさ"を感じ取ってしまうのだ。
ここまでざっくりたどった『生(性)と死問答』の他にも
本書の中では、細い目を思わず見開く刺激的な考察が、縦横に展開されてゆく。
おそらく読者によって、"食いつかれるポイント"は異なるだろう。
それでも、真剣に"生と死"を考えたことがあれば
きっとどこかで、痛みにも似た衝撃を体験できるはずだ。
最後に、個人的にいちばん「やられた!」文章を紹介して終わりにしよう。
多くの人は、意識せずとも、心の深いところで感じているのかもしれません。産むとい行為も、生まれるという行為も、魂を永遠から有限の世界へと引きだす、死への歩みをはじめさせる行為でもあるのだ、ということを。 それはなんとも、哀しく虚しく、そりゃないよ、と言いたくなる、やるせなくて容赦ない真実です。75p
ではでは、またね。