「寄宿舎+乙女+Fushigi」の王道ファンタジー 『ひみつの階段➀➁』紺野キタ 周回遅れのマンガRock

しばらく開いていないと

無性に手に取りたくなるマンガがある。

本書もそのひとつで

2010年に入手して以来

だいだい2年に1回のペースで"禁断症状"に襲われ

そのたび書棚から抜き出しては

冒頭作『ひみつの階段』から順番に読んでいる。

なので最新のRe-readでかれこれ6-7回目になるのだけれど

まったく飽きることがなく、最初の1ページから紙面に引き込まれ

終始幸せな気分のまま2巻目のエンドマークへと到達。

そして、いつも必ずーー続編、出てくんないかなぁ。

と、せんない夢を呟いたりしている。

 

いやいや、決して、認知症を患っているわけではない。

事実、同じような"マイ殿堂作品"で

何度も読み返しているマンガは少なくないのが

多くの場合、印象的な場面やエピソードが近づけば

"・・そろそろアレが来るな"と、先の展開を思い出すのが常なのだ。

 

では、なぜ、本書に限って

何度読んでも飽きることなく、常に新鮮な気分で読み通すことができるのか。

おそらくそれこそが・・・おおっと、ここまで全く内容に触れずに来てしまった!

遅ればせながら、簡単なあらすじをば。

第一巻の背表紙には、次のように記されている。

不思議な出来事が起きる寄宿舎で

少女たちは友情を育み、悩み、大人へと成長していく。

心温まる学園ファンタジー!!

 

もう少し具体的に捕捉すると・・

舞台は、寄宿舎を併設した古い女子高校(だよな)。

歴史ある学び舎の常で、「七不思議」的な言い伝えが語り継がれている。

最も有名なのが、本書の表題でもある『ひみつの階段』。

3段ほどしかない渡り廊下の階段を踏み外した、と思ったら

一階分もの長い階段を転落。

暗闇の中で痛さにうめいていると、同じく階段を踏み外したらきし女学生と遭遇。

足首をひねったという彼女に肩を貸して階段を昇り、仕切り扉を開けて振り返ると・・

そこには誰もおらず、3段に戻った階段だけが足元に伸びている。

という「学校の怪談」なのだった。

 

季節は、衣替え前の初夏。

慣れない寄宿生活にようやく馴染み始めた「夏ちゃん」が

この「秘密の階段」を体験するところから、物語は幕を開ける。

どうやら他の生徒たちよりも、"霊感"?に秀でているらしき「夏ちゃん」は

その後も、様々な〈学校の不思議〉に遭遇。

やがてそれらが、"付喪神(つくもがみ)"のように魂を宿した古い寄宿舎の悪戯で

様々な世代の少女たちが、時を超えた出会いを繰り返していることに気づくのだった。

 

・・てな感じで、とんでもない仕掛けを秘めた学園のなかで

夏ちゃんと寄宿舎仲間・同僚・先輩・後輩・教師・寮監(老婆)など

幾世代にも折り重なった夢と希望と不安と挫折が、万華鏡のように交錯していく。

そのくせ、毎回物語の背骨を支えるのは

"祈れば叶うご都合主義のファンタジー"ではなく

生徒や教師、さらにもっと上の世代が抱える等身大の悩みや願いだったりする。

だから、夢見がちな少女たちの「おとぎ話」だとは知りながらも

ついつい感情をシンクロさせ、一緒になって、はらはらどきどきしてしまうのだ。

 

いうなれば、ファンタジーという大風呂敷のなかで

小さな"想いの玉"がコロコロ転がっているような、些細なエピソードばかり。

殺人や暴力はもちろん、大げさなアクションも呪文も登場しない

そうした〈薄口ストーリー〉だからこそ

何度読み返しても、飽きることがないのだと思っている。

 

もちろん個人的には、作者・紺野キタが描く絵柄が大好物という要素も大きい。

ひと昔前の少女マンガを思わせる(川原由美子とかが近いかな)

輪郭のくっきりした、そのくせ優しい線画は、何回だろうと見とれてしまう。

また、王道少女マンガならではの「手書き文字ギャグ」や「花背景」なんかも

ひかわきょうこ渡辺多恵子に親しんできた読者には、たまらない魅力だったりする。

 

そんなこんなで恒例《2年に一度の紺野キタWeek》は、絶賛継続中!

おりしも『つづきはまた明日(全4巻)』の2冊目にさしかかったところで

清(さや)ちゃんの可愛さと、リカコちゃんの「底値っぷり」に心を震わせている。

必ずしもベストセラー作家ではないけれど

間違いなく紺野キタは、マイ・フェィバリット・クリエイターのひとりなのだ。

 

ではでは、またね。