猪木さんと一緒のエレベーターに乗ったこと MakeMakeの追憶

ニュースや事件に関する意見・感想を述べようとしても

"現実"なるものが余りに重すぎて、どうしても身構えてしまう。

挙句に、「なにか気の利いたことを書かなくては」などと自分勝手な縛りに囚われ

アップできずに終わるのが、ここしばらくの通例だった。

結果、旅と読書の記録ばかりが続いていたのだが

それだけだと、なんだか息苦しさを感じるようになってきた。

なので今回からは、もそっと軽い気分で

1週間分のニュースにたいして、思いついたことを書き散らしてみたい。

 

その記念すべき?第1回目。

うたたにとって最大のニュースは、安倍晋三国葬でも

プーチンによるウクライナ東部四州の強制併合でもなかった。

アントニオ猪木の死」である。

長らくテレビ番組の制作に関わる仕事に従事していたおかげで

彼とは一度だけ、エレベーターで同席?したことがある。

 

かれこれ20年以上も前のことだが

日本テレビで10年以上続いていた、有名人の人生を振り返る番組で

異種格闘技の元祖・前田光世を特集した。

その出演者(ゲスト・パネラー)のひとりに、猪木氏を招待したのだった。

・・といっても、しがない裏方(構成作家)の立場ゆえ

直接彼と挨拶したり、言葉を交わす機会には恵まれなかった。

それでも、長年プロレス&格闘技ファンを続け

新日・UWF・リングス・パンクラスetc.・・の会場に

何度も足を運んだ"功徳"が実を結んだのか。

 

たまたま、局のスタジオに向かおうと閉まりかけたエレベーターに駆け込んだところ。

マネージャーらしき男性と中に立っていた"先客"が

ほかでもないアントニオ猪木氏、その人だった。

 

一瞬、入るのをやめようかと考えたが

ここで背中を向けるは、かえって不自然だと思い直し

軽く頭を下げて、エレベーター(6人乗り前後)に乗り込んだ。

 

高価そうなダークスーツに身を包んだ猪木氏は

あの鋭いまなざしをこちらに向け、ほんの一瞬だけ、チラリと視線を合わせてきた。

ここでうたたが根っからのテレビ屋だったら

「おはようございます!」とか軽く挨拶できるのだろうけど

あいにくこちとら根暗な作家センセイだ。

視線が絡んだタイミングに合わせて、軽く頭を下げるだけにとどめ

すぐに180度向きを変え、エレベーターのドアとにらめっこを始めた。

 

直接猪木氏と対面したのは、たったこれだけ。

時間にすれば、ほんの2~3秒に過ぎない。

それでも、彼から伝わって来たのは・・明確な緊張と警戒心だった。

当時、猪木氏は50代の半ばを過ぎたあたりだろうか。

確かまだ現役選手として活動していたはずだが

当然肉体的な衰えも進み、実際に満身創痍だっただろう。

しかしどんなに身体が悲鳴を上げようとも

トップとしてリングに立ち続けなければならない。

そんな悲壮感が、否応なく漂っていた――ように感じてしまった。

 

そして、もうひとつ。

よく強く抱いた印象が、あった。

ーー思っていたほど、大きくないんだなぁ。

 

公称されているプロフィールには「身長190㎝」とあったが

170台前半のうたたと視線を合わせた瞬間の仰角は

"ちょっと見上げる"程度の少なさだった。

よほど猪木氏が猫背になっていたのか。

あるいは、公称より低い身長の持ち主だったのか。

失礼を承知で選ばせてもらえば、やはり後者だった気がする。

 

別に身長の水増しなんて「プロレスラーあるある」の典型だから、別にいいんだけど。

あのとき、全身に漂わせていた緊張感と合わせて考えると。

きっとこちらの想像を超える"重荷"を、いっばい背負っていたんだろうなぁ――

なーんて、凡人は毒にも薬にもならない妄想を巡らせてみたり。

 

なにはともあれ

本当に、本当に、お疲れさまでした。

 

ではでは、またね。