発見だらけの"そーだったのか本" 『挑発する少女小説』斎藤美奈子 周回遅れの新書Rock

『小公女』『若草物語』『ハイジ』『赤毛のアン』『あしながおじさん

秘密の花園』『大草原の小さな家』『ふたりのロッテ』『長くつ下のピッピ

 

題名ぐらいは、全部知っている。

あらすじだって、なんとなくだけどインプットされている。

(アニメやドラマのイメージが強いかもしれないが)

とはいえ、「一冊の本」として読み通した作品は、ただのひとつもない。

そんな、男にとっては"謎めいたブラックボックス"でしかない

物語群・少女小説を徹底的に分析。

「良妻賢母教育ツール」なるタテマエの裏に隠されていた

《本当のメッセージ》を読み取り、新たな視点を確立してみせた。

 

いや。ホントに驚いた。

夢見がちな女の子たちが、大人になるまえのひととき

空想の羽を思い切り伸ばして、"理想の自分"を重ね合わせる物語。

言ってみれば、"少女向け中二病小説のハシリ?"、ってあたりでしょ・・なんて

読みもせずに判った気になり、勝手に決め付けていた薄~い先入観が

次から次へと、ベリベリ!メリメリ!剥がされてゆく。

――そんな、驚きと発見に満ち溢れた一冊だ。

 

はじめに――少女小説って何ですか? という冒頭のタイトルがあり

数ページ後の小見出し少女小説を特徴づける四つのお約束ごとで、こう打ち出す。

例外はありますが、人気の高い翻訳少女小説には、いくつかの共通した特徴が見つかります。                                                               ①主人公はみな「おてんば」である。                        ②主人公の多くは「みなしご」である。                     ③友情(同性愛)が恋愛(異性愛)を凌駕する世界である。            ④少女期からの「卒業」が仕込まれている。7-10p

なんと明解かつシンプルな要約か。

だが、これしきで少女小説を"判った気"になってもらっては困る。

上に挙げた共通点を〈足がかり〉に据えたあと。

改めて著者は、敵(少女小説)の本丸(真意)へと襲い掛かってゆくのだから。

 

以降、冒頭に並べた作品をひとつひとつ俎上に挙げ

具体的なストーリーを紹介しつつ

「家庭小説」という表向きの仮面を剥いでは

作者が伝えたかった〈真のメッセージ=裏テーマ?〉に、スポットを当ててゆく。

 

たとえば、バーネットの『小公女』(アニメ『小公女セーラ』の方が有名か)。

著者は、セーラを 並外れた空想力と鈍感力の持ち主 と定義。

ヴィクトリア朝時代のイギリスが抱える「階級&植民地問題」を紹介しつつ

「みなしご」となる〈試練〉を経て、セーラがどう成長していくか炙りだしてゆく。

その後彼女には、元の"お嬢様"に復帰するというハッピーエンドが訪れるのだが

著者が注目したのは、「いつ少女時代を卒業したか」という一点だった。

 

想像の世界に生きていたセーラが、現実に目覚める象徴的なシーンがあります

・・との一文から始まり、

魔法の力を借りなくても、人の力で道は開ける、美貌の力で男に選ばれるだけが物語の上がりではないと、『小公女』は主張します。魔法使いと決別したところから、物語は、いや人生は始まるのです。39-40p

 

この1ページにも足りない、わずか十数行の文章を読むうち

いつのまにか、自分が姿勢を正し、背筋を伸ばしていたことに気づいた。

それほど、〈少女小説に込められたメッセージ〉は、鋭く、強烈なものだった。

 

続く『若草物語』も『ハイジ』も

トップバッターの『小公女」に勝るとも劣らぬ《発見》をもたらしてくれた。

とりわけ"認識を改めざるを得なかった"のは、三作目の『ハイジ』だ。

アニメ『アルプスの少女ハイジ』をリアルタイムで観て育った世代だけに

原作とアニメ版の間に存在する大きなギャップとともに

自分の"無知=先入観だけで生きている人間"か、しみじみ痛感してしまった。

 

ていねいに語ると、延々引用するハメになるので、極力要点だけピックアップしたい。

まず、こうくる。

絵本やアニメで親しんだ人は、アルプスの美しい山々を背景にした、野生児ハイジの牧歌的な物語という印象が強いのではないでしょうか。しかしながら、原作の『ハイジ』は近代の光と影が交錯する、なかなか複雑な作品なのです。70p

正直、この程度の予備知識は、仕込み済みだった。

なんて偉そうに構えていられたのも、ここまで。

そもそもなぜ舞台がスイス・アルプスだったのか。・・との答えは

ひとつは、当時のアルプスが観光地として絶賛売り出し中だったことです。

『ハイジ』はつまり少女の成長譚であると同時に、観光ガイドの役割も果たしていた。

もうひとつ重要なのは、当時のスイスが資本主義の矛盾に直面していたことです。72p

 

さらに、傭兵から隠遁生活者になった祖父

ペーターは資本主義社会の犠牲者だった・・と、盛大なベリベリ!メリメリ!が続き。

こうしてみると、『ハイジ』はアルプスの自然を背景にした、単なる祖父と孫娘の心温まる物語ではありません。80p 

というダメ押しで、ガラガラガラと崩れ落ちる。

 

とはいえ、ここまでは『ハイジ』という小説世界の分析どまり。

少女小説」としての〈真のメッセージ〉は、さらにその彼方で翻っている。

少女小説は基本、少女の成長を描いた物語です。しかし『ハイジ』は少女の成長の裏にある近代の現実を教えてくれます。牧歌的な野生児の物語どころか、これは過酷な資本主義社会を健気に生きる子どもたちの物語というべきでしょう。          そこまで考えて、はじめて『ハイジ』が放つメッセージが浮かび上がります。     『ハイジ』表向きのメッセージは「自然がいちばん」「故郷がやっぱり最高だ」です。それは近代の市民社会の価値観、都会の暮らしに疲れた人々のニーズとも合致します。が、それは見せかけのメッセージ。作品の真意はズバリこれでしょう。89p

 

この先を書いてしまうの、さすがに野暮というもの。

横着せず、ぜひご自身の手でページをめくり、思う存分味わっていただきたい。

 

長くなりすぎるので断念したけど

赤毛のアン』や『あながおじさん』にも触れたかった。

発見また発見の連続で、久しぶりにワクワクで一気読みした新書だったよ。

 

ではでは、またね。