後悔しない「人生の"仕舞いかた"」 映画『運び屋』 MakeMakeの目に涙

なまじリアルタイムでニュースが受信できるので

ここ数日間、どうにも落ち着かない気分が続いている。

なので、HDに貯め録りしておいた番組を消化することにした。

たまたまプレイボタンを押したのが

2018年に公開された

クリント・イーストウッド監督&主演作品『運び屋』だった。

 

ストーリーは、シンプルにしてストレート。

ユリの栽培に人生を注いだものの、齢90にして自らの農園を差し押さえられ

長年顧みなかった妻や娘たちにも冷たく拒否された、孤独な老人。

気づいた時には、仕事も、家族も、若さも失っていた男が

ふとしたきっかけで引き受けた仕事が、「運び屋」。

"荷物"を載せた車を運転し、州をまたいでアメリカ国内を移動。

命じられた「場所」に届けるだけで高額の報酬が得られる、ボロいアルバイトだ。

当然、まっとうな仕事のはずもなく

ほどなくて男は、自分が麻薬の「運び屋」をしていたことに気づく。

 

だが、それでも男は「運び屋」を続け、幾度も大金を手にする。

そして、その金を"果たせなかった想い"に提供してゆく。

孫娘の豪華な結婚パーティー?のスポンサーとなり

別の孫娘が大学に進学するための資金を出資することで

冷え切っていた妻や孫たちとの関係を修復。

さらに、地元の退役軍人会のために多額の寄付をおこなったり

差し押さえられた農場を買い戻してゆくのだ。

 

わざわざ言うまでもなく

麻薬の「運び屋」という仕事は、法律に反する明らかな犯罪行為である。

男がこっそり運んだ大量の麻薬によって

人生を台無しにされた"被害者"の数は、数千・数万にも達するだろう。

 

だが、それでも、男の所業が〈おぞましい犯罪行為〉であると

頭では理解しながらも――心から"納得する"ことができない自分がいる。

なぜなら、不正に稼いだ莫大な金のおかげで

老人は、完全に失っていた"夫婦・家族・地域との絆"を取り戻し

文字通り人生を捧げた末に差し押さえられたユリ農園までも

"買い戻す"ことができたのだ。

 

男の心情を我が身に引き寄せて考えるほど

彼を〈極悪非道の犯罪人〉と断ずることはできない。

まんいち、自分が同じ状況に立たされたら

この「誘惑」を拒めるかどうか、正直、自信がないからだ。

 

ケチな感傷はやめて、ストーリーに戻ろう。

「運び屋」で稼いだあぶく銭によって、"人生"を買い戻した老人だったが

むろん、そんな違法行為、いつまでも見逃されるはずもない。

気づいたときには、麻薬取締部隊の手がすぐに背後に迫っていた・・!

という、ある意味"予想通りの"展開へと雪崩込んでゆく。

 

――ゆくのだが

その先に訪れた〈極限状況〉で男が選び取った「行動」こそ、本編の白眉。

監督・イーストウッドが、なによりも伝えたかったメッセージだ・・と思いたい。

なぜなら、まさにそのシーンで

「泣ける!」が大嫌いなうたたが、不覚にも落涙してしまったのだから。

 

その後の展開も、キレイゴトと言ってしまえばそれまでだけど

主人公の老人にとって、最も幸福な結末と言えるだろう。

 

老境に入って以来、新たな作品が公開されるたび

観る者に「老いとは何か」「一番大切なものは何か」と鋭く問いかける

クリント・イーストウッドだが

今回の"それ"は、いちばん深いところに突き刺さったようだ。

 

ブルース・スプリングスティーンと同様に、心からの感謝を捧げたい。

――同じ時代に生きてくれて、本当にありがとう、と。

 

ではでは、またね。