こんな疑問を抱いたことは、ないだろうか。
「なぜ日本など東アジア地域でばかり、稲作が盛んなのか?」
「もっと世界中で作物を育てれば、飢えに苦しむ人は少なくなるのに。
どうして"ほったらかした"ような荒地ばかりが、無駄に広がっているのか。
単に農作業が面倒だから怠けてるだけなんじゃないの?(ひどい偏見だね)」
物心ついたころからず~~っと、ぼんやり心の中に浮かんでは消えていた
「土地(土)」と「人の営み」に関する様々な"ハテナ"が
体育館をいっぱいに使ったドミノ倒しのように
雪崩をうってバタバタバタと〈タネ明かし〉されてゆく・・。
そんな、恐るべき知的快感に満ち満ちた、"気づきと発見の書"である。
たとえば、「なぜ地球上の限られた場所でしか農業が行なわれていないのか」。
農業に関する基礎知識さえ持っていれば、あっさり解答できるのだろうが
あいにくうたた(俺だ)のような"一般人"には、永遠の謎に等しい「難題」だ。
で、本書を読んでわかった〈正解〉は――
水や気候に恵まれ、多少の肥料を投入したとしても
箸にも棒にもかからぬ"残念な土地(土壌)"が、いっぱいある。
むしろ地球規模で考えば、"農業に適さない土地(土)の方が広い"ぐらいだ。
――という「常識」を、著者は世界中の土を掘りに行っては
大きく12種類に分かれる〈世界の土壌〉を、ひとつひとつ紹介してくれる。
その途上で、淡々と「驚愕の事実〈常識?〉」が明かされる。
泥炭土は、地中深く数千万年も眠れば石炭に化ける。それは私たちの使う電気の燃料になるだけでなく、ジーンズを染めるインディゴの原料にもなっている。植物から絞っていたインディゴを石炭から合成することに成功したのは、世界最大の化学メーカーであるBASF社だった。染料で発展したBASF社は、石炭を使って窒素肥料と火薬の大量生産に成功した。窒素肥料は世界人口を倍増させた一方で、火薬は戦争での死傷者数を倍増させた。泥炭度土は世界の陸地面積の1パーセントに過ぎないが、その影響力は大きい。 〔80ページ〕
砂質土壌で肥料をやらなかった場合、作物はほとんど育たない。粘土質土壌で無肥料栽培をするよりも、収穫量の落差が大きい。とはいえ、化学肥料は元手がかかるし、サトウキビの買取価格は、農民の都合と関係なく国際市場が決めてしまう。多くの肥料投入が必要な砂質土壌では、純利益が小さい。結果として、農民は貧しくなる。 〔85-6P〕
タイ北東部の"未熟"土では、充分な雨が降るために農業自体は成立した。しかし、多くの砂漠未熟土は農業に適さない。養分も水も保持できないためだ。北米大陸の砂丘地帯にはカジノが多い。有名なのがラスベガスだ。周りにはデスバレーと呼ばれる砂丘地帯がある。未熟土の見せる、もう一つの姿だ。世界には農業ができない土壌が存在し、生活の選択肢を限られたものにしている。 〔86P〕
エストニアのアカマツ林の広がるポドゾル地帯にはね、マツタケがあちらこちらに生えている。日本では「親兄弟にすら在り処を教えない」といわれる高級キノコが、ぞんざいな扱いだ。マツタケの香り(マツタケオール)とカビ臭の原因物質は化学構造がそっくりで、世界の多くの人々がカビ臭として一括している。日本人は、微妙な違いを嗅ぎ分けてマツタケを神格化している。日本人のほうが珍しい存在なのだ。 〔92P〕
なんだか、直接土壌(土)とは関係のない話ぱかりピックアップしてしまったけれど、
こんなふうに著者は世界中を渡り歩いてゆく。
100億人を養ってくれる肥沃な土を探すため(6P)に。
熱帯雨林を語る本のたぐいには、豊かな森の下の土壌は薄く脆弱で、伐採すると不毛化する‥‥ということが常套句のように書いてある。しかし、私の調べた限りでは、熱帯土壌が薄いというのは落葉層、腐食層に限った話であって、土そのものは深い。日本の山なら1メートルも土を掘れば岩石面に到達するが、熱帯雨林では数十メートルの深さまで土が続く。高温で湿潤な熱帯雨林では、活発な生物活動が岩石の風化を加速するためだ。 〔117P〕
熱帯雨林を伐採してしまうと土はレンガと化し、不毛な大地となるという。どれも真っ赤なウソだ。 〔122P〕
北極圏から赤道直下まで1万キロメートルを駆けずりまわり、ようやく地球の12種類の土をすべて見ることができた。土のグランドスラム達成である。トロフィーがあるわけではない。12種類の土をすべて集めると願いが叶うわけでもない。メガネとスコップに残った多くの傷と引き換えに分かったことがある。 肥沃な土壌は、そう多くないということだ。 〔136P〕
私的な発見ポイントを挙げてるとキリがないので、このくらいにしとこう。
おしまいに、本書で最も大きな「そうだったのか!!」を味わった箇所に触れたい。
それは、「なぜ日本中で水田の稲作がこんなに広がったのか?」という
素朴な疑問に対する、明解な回答である。
まず、一般に日本の土壌は酸性が強く、植物生育に必要なリンやカルシウムも乏しい。
そのまま稲を植えても、ろくな収穫は望めない"やせた土"だ。
だが大量の水を取り込むことで、(灌漑用水中の)カルシウムなど栄養分が補給。
すると、粘土にくっついていた酸性物質が中和され、土が中性になる。
おまけに土の中から鉄さび粘土が溶け出し、拘束されていたリン酸イオンが解放。
イネはこれを吸収することで、リンに困ることなく成長できる。
日本の土が抱える二つの問題が、水田土壌ではなくなるのだ。 〔197-8P/一部略す〕
山から引いた水を田んぼに張ることで、土壌を酸性から中性へと改良。
水分と栄養分を併せて補給し、余分な肥料を加えずに豊かな収穫を得ているわけだ。
この点に関しては、著者もこんな一文を寄せている。
日本の稲作で水を利用する仕組みは、芸術的だ。 〔202P〕
とはいえ、この"芸術的"な日本の稲作は
急峻な山地(養分となる土壌)を削る大量の降雨が必須である。
当然、台風や集中豪雨、洪水、土砂崩れなどの災害と隣り合わせなのだ。
膨大な雨水と、それが運ぶ肥沃な土によって成立する、日本の稲作ーー
まさに、「ピンチとチャンスは紙一重」を地で行く"生きざま"じゃないだろうか。
こんなふうに、数多くの発見と、多彩な考察を引き出してくれる
〈触媒書物〉とでも呼ぶべき名著なのだ。
ではでは、またね。