崖っぷち みんなで立てば 怖くない? 『THIS IS JAPAN 英国保育士が見た日本』ブレイデイみかこ 周回遅れの文庫Rock

厄介ごとに正面から向き合うことが苦手な方(大多数の日本人)には

おそらく頭のてっぺんから尻尾の先まで

「見ないふりをしてる間に、事態はこんなにヒドイことになっていたのか・・」

とため息をついたり、頭を抱たくなる"現実"がてんこもりだ。

 

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』でブレイクした作家だが

目の前に立ちはだかる様々な問題を

〈母子の視点〉というオブラートに包んで料理した大ヒット作より

とことん直球勝負を挑んだ本書のほうを、個人的にはオススメしたい。

少なくとも、「問題提議」という意味においては

まさに〈地雷原〉を踏破したかのごとき読後感を保証する。

 

ではいったい、どんな〈地雷〉が埋まっているのか?

たとえば「第一章 列島の労働者たちよ、目覚めよ」では

キャバクラなど風俗で働くキャバ嬢の、劣悪すぎる労働条件に光を当てる。

なんだかいろいろなものが差っ引かれてしまうというのだ。            「普通に給料から税金とした10%が引かれますが、実は店側は納めていない場合が多いんです。あとは、厚生費や雑費という名目を給料から引かれていきます‥‥。ヘアメイク代とか送り代とかそういうのだけじゃありません。ティッシュペーパー代に1000円引かれてたり、ボールペン代や、客に出すおしぼり代ってのもありました」    「遅刻や欠勤の罰金もあるし、時給3000円とか言われていても、実際にはその半分しか貰ってないことが多い。あれこれわけのわからないものを引かれるともともとの時給が低い人たちでは最低賃金を割っているケースもある」             「給与の未払いがあっても日払いでちょこちょこ貰ったりするから、たとえそれがギリギリ生活できるぐらいの金額でも、続けさえすれば何とかやっていけると思って黙って働いている子たちもいる」                            いったいいつの時代の労働者の話なんだよと思えてきた。女工哀史ならぬ、キャバ嬢哀史である。                                    そしてこの現代の奴隷制を成立させているのが、絶えず互いに競争させられる新自由主義の論理なのだという。給率制とやらで売上と給与をパーセンテージで比較され、給与のほうが売上より多いことを明示された女の子たちは自信を失い、「私が悪いのだ」と思い込んでしまう。すべてが「自己責任」に帰結してしまう日本人特有のメンタリティーがこのネオリベ奴隷制を強固になものにしているのだという。女の子たちは互いに給料の話をすることも禁止され、賃金の話をしていることが店側にわかると解雇されたり、厳しく減給されるケースもある。〈中略〉個人単位にばらけさせて互いに競争させ、成績によって差別的に各人の待遇を変えて、女の子たちが群れて文句を言ったり、連帯して雇用主と闘ったりしないようにする。実に巧妙な管理法ではないか。[23-4p」

帝国主義時代の植民地経営と同じことが、令和の日本で堂々と行われているのだ。

さらに、未払いの賃金を払ってもらおうと、女の子たちがNPOと抗議に向かうと・・ 

黒服やらキャッチやらなんだかよくわからない人々やらの怒号は最高潮に達していた。わたしたちを閉じ込めようとしたボーイも姿を現して仁王立ちし、           「何やってんだよ、てめーら、いい加減にせえよー、おらああ」          と体を弓なりにして威嚇している。                       「さっさと帰れ!」                               「勝手なことやってんじゃねえ、アホが!」                    「だっせーなもう」                              と嘲笑してわざとらしくメンバーの前に立ち、スマホをかざしてアップで一人ひとりの顔の動画を撮ろうとする黒服たちもいる。ポップコーンが宙に舞い始めた。誰かがこちらに向かって投げているのだ。〈中略〉                     「働けっ!」

げらげらとさざ波のように笑いが広がる。わたしの脇に立っていた若い黒服がダミ声で野次を飛ばした。                                
「そのとおり!」                                ここに来てようやくわたしはこの言葉の意味がわかったのである。彼らは、賃金未払いを訴えている人に対して、まだ「働け!」と言っていたのだ。      〔29-30P〕

 

同じように雇用者にこき使われている(低賃金で)、同じ立場であるはずの労働者が

弱者がさらなる弱者を踏みつけて喜ぶように、ふんぞりかえって「働け!」と嘲笑う。

――なんて陰惨なシステムがまかり通っているのだろうか。

 

続いて話題は、日本とイギリスの若者が抱く〈政治(問題)意識の違い〉へ移る。

「英国の若者たちの反緊縮運動は当事者運動であり、みんなが『このままでは自分もヤバい』という危機意識を持っているが、日本の若者にはそれが希薄すぎて、実際にコケるまでわからないんじゃないか」みたいなことをわたしが言ったとき、彼女〈*エキタスの藤川さん〉は穏やかに、しかし、しっかりとした口調で言った。       「私が思うには、『考えたくない』と思うんです」                「ああ――‥‥」エキタスのメンバーたちから一斉に声が漏れた。            「考えたら、先を考えたらもう終わってしまうんです。本当は中流じゃなくて貧困なんだけど、貧困っていう現実に向き合うと終わっちゃうから、アニメ見ようとか、地元の友達と飲もうとか、そういうので発散しちゃって‥‥。じゃあ政治のこと考えましょうとか、そういう話をすると『まー、まー、好きにやってください』みたいな感じなんですよ。自分のこととして労働問題とかを考えることをすごい嫌がるんです。だから、友達とかと会話するときに、そういう話題を出せないんです。『何か頑張ってるね』みたいな感じになるし」                                   [73p]

 

まだ本文の4分の1だが、すでにお腹いっぱいになるほど"認めたくない現実"ってシロモノが、豪華絢爛たる大名行列を繰り広げている。         

エグい色彩と強烈な悪臭をまき散らすこの行列が、いったいどこに向かっていくのか。--そのあたりは、実際に読んでもらったほうがよさそうだ。

でないと引用文ばかりが膨れ上がって、軽く一万字を超えてしまうから・・・。

だが、しかし。

それでも書かずにはにいられない「激文」が、次から次へと襲いかかる。

 

「国民が一番に望んでいるのは、ちゃんと安心して暮らせる社会保障制度の実現で、第2位が経済、景気対策なんです。これは世論調査でもはっきりしています。だから安保とか、戦争法案を最優先に何とかしてほしいなんて意見は本当にリストの下のほうなんです。国民が最優先しているのは、要するに暮らしなんですね。なのに、暮らしを何とかしてほしいという運動が日本にはなくて。だから安保法制も、あれは政府の思惑なんですよ。そちらに意識を向かわせて抽象論を展開しておいて、暮らし自体を見させないという思惑です。だからそちらに誘導させられてはいけないんですよね。憲法9条を守れ、戦争を起こすな、と言っていますけど、戦争をなくすのに一番有効なのは貧困をなくすことです。貧困、格差、差別、抑圧をなくすこと。戦争に行きたいと思う人たちは、自分は報われていないと思う人たちですから」              [89-90p]

 

ある種の人々にとっては、ちょっとでも金の話が出て来たり、金をつくる話になるとその瞬間にすべてが汚れてしまう。だが金の話こそがすべての基盤であり、経済的に自立しないと言いたいことも言えないのだという中村さんの信念は、そんな思い込みよりもっとリアルで、もっと自由だ。                      [189p]

 

現在、多くの人々が自立するだけの収入がなくても生存できているのは、両親の援助があったり、両親と同居しているからだ。2014年に、『ビッグイシュー』が、ネットで20代、30代の年収200万円未満の若者約1800人を対象にアンケートを取ったところ、6・6%がホームレス体験をしたことがあると答え、親と別居して独立している若者は全体の20%程度に過ぎず、そのなかでホームレス体験のある人は13・5%だったそうだ。

「そもそも、いまの若者は親の住宅が持ち家じゃない世代ですからね。20年後、30年後はどうなるの? と思うと怖いです」                      [235p]

 

わたしは大きな項目が含まれていないことに気づいた。                                               「貧困」である。「貧困問題」が人権課題に入っていないのだ。英国の小学生たちはヴィクトリア朝時代やディケンズに関する授業で、「貧困はヒューマニティに対する罪だ」ということを話し合う。日本で「貧困と人権」という話になると、路上生活者へのいじめはやめましょうとか、そうした「差別」の方面から語られることは多いが、そもそも、著しい貧困は人の尊厳を損なうものであり、そのことを社会が放置することの人権的な問題は教えられていないのだろうか。差別だけが人権課題ではない。貧困をつくりだす政治や経済システムもまた人権課題なのである。           [223p]           人権は日本の社会運動が「原発」「反戦」「差別」のイシューに向かいがちで経済問題をスルーするのと同じように、人権教育からも貧困問題が抜け落ちているのではないだろうか。まるでヒューマン・ライツという崇高な概念と汚らしい金の話を混ぜるなと言わんばかりである。が、人権は神棚に置いて拝むものではない。もっと野太いものだ

 

日本では権利と義務はセットとして考えられていて、国民は義務を果たしてこそ権利を得るのだということになっています」                     と大西さんは言った。つまり、国民は義務を果たすことで権利を買うのであり、アフォード(税金を支払う能力がある)できなければ、権利は要求してはならず、そんなことをする人間は恥知らずだと判断される。〈中略〉                 日本では「アフォードできない(支払い能力がない)人々」には尊厳はない。何よりも禍々しいのは、周囲の人々ではなく、「払えない」本人が誰より強くそう思っていることで、その内と外からのプレッシャーで折れる人々が続出する時代の到来をリアルに予感している人々は、「希望」などというその場限りのドラッグみたいな言葉を使用できるわけがない。                                    [242p]

 

本書(ハードカバー版)が出たのは、2016年8月だ。

それから5年以上の時間が過ぎているが

コロナも手伝い、事態は悪化の一途をたどっている。

だから、今こそ行動に出なければ!!

などと主張するつもりは、これっぽっちもない。

これまで一度たりともデモの類に参加した経験がないように

背中を丸め、パソコンのキーを叩くのみだ。

 

それでも、「知ること」を面倒臭がり

不快に繋がりかねない事象から目を逸らし

"見て見ぬふり"を決め込むことだけは、決して許さない。

 

おっ。久しぶりに"ふんぞりゲッチョ"がしゃしゃり出てきたな。

これ以上調子に乗らせたくないので、知ったかぶりっ子の能書きは、ここまで。

 

ではでは、またね。