人生がつまらないのは、あなたが冒険していないからだ。 『イタリア発イタリア着』『イタリアの引き出し』内田洋子 周回遅れの文庫Rock

前回(『ジーノの家』)のときは

"ドキュメンタリー至上主義"を信奉する解説文にすっかり気分を害され

読後感より「ドキュメンタリーってそんなに偉いのか?」と

反発心ばかり書き連ねてしまったけれど、今回は大丈夫。

脱力系を演ずる偽悪家・宮田珠己氏のおかけで、気持ちよく読了できた。

 

てなわけで、さっそく本文の感想だが

――うまい。

それも、ため息が漏れるほど。

たとえば、4~5年ほど前のイタリア旅行の際

2泊しか滞在できなかったナポリの町を、著者はこう描写している。

ナポリは歩く町である。                            曲がりくねった道。坂。抜け道。分かれ道。穴。階段。角。行き止まり。切り通し。いくつもの出入り口。                               平坦でまっすぐな道は少なく、進んでは止まり、歩を歩めては息を整え、壁伝いに身を支え足下に目を向けて歩くかと思うと、建物と建物の境の青空に見とれたりした。歩くたびに道順と速度は変わり、同じ地点の往来なのに毎回いつ到着するか計り知れないのだった。                                   迷って、町を知った。遠回りをしたおかげで、見つけた風景があった。    〔62ページ〕

 

ナポリに2泊」と書いたが、1泊した翌日はアマルフィ海岸まで旅したので、実際にナポリ市街を歩き回ったのは、せいぜい10時間といったところだろう。

それでも上記の一語一語を飲み込むたびに、自分の五感で味わった"ナポリの情景"が、つい昨日のことにように、このうえなく鮮やかによみがえるのだ。

自慢話にしかならないので、ほどほどにしておくけれど              この《デジャブ感》ばかりは、実際に現地に足を運んだ者にしか理解できないだろう。

著者の"ホームタウン"といえるミラノはもちろん、学生時代に一年間留学したナポリ、フランスとの国境に近いリグリア州の田舎町、サルデーニャシチリアの島まで。

イタリア各地の自然・文化・営みの描写が、とにかく秀逸だ。

先のナポリとミラノ駅内ぐらいしか実際に立ち寄った場所はないけれど、彼女の文章に触れたとたん、自分の中に残ったなけなしの「イタリア体験」が総動員され     街角の喧騒や鼻孔をくすぐるコーヒーの香りとなって、立ち現われる。

「朝のラッシュ」を描いた次の一文にも、ナポリの"魅力"が、ぎゅっと詰まっている。

通りには、収拾が付かなくなつた朝の光景が広がっている。困った顔をしながらも、人々は騒動が通り過ぎていくのを待っている。道に座り込む子ども、は通りで繰り広げられる騒ぎを毎朝、地べたから見上げている。この町で暮らすという意味と、やっかいを乗り越えていく術を見聞きしている。                       一期一会を楽しむ。待ち時間の贅沢を堪能する。           〔57ページ〕                建物が複雑に重なる景観のとおり、町は人の心の襞の間へと沁み入り捉えて離さない

 

町や情景の描写ばかり賞賛してしまったが                    大多数の読者が真っ先に挙げる〈著者の魅力〉といえば、《人との関わり》だ。

本書『イタリア発イタリア着』の中においても、登場したイタリアの知人友人が   "いくらなんでもできすぎだろ!"と、思わず茶々を入れたくなる絶妙な瞬間に       これ以上ないほどドラマチックな「決めゼリフ」を、ポツリ呟いたりする。

 

ま、今更ながらだけど。

これ、絶対に脚色してるよね。

いくら相手が、芝居っ気と洒落っ気に満ちたイタリア人だろうと

背景など細部に至るまで、図ったようなジャストタイミンクで披露できるわけがない。

間違いなく、時間帯をずらし、場所を変更し、セリフに手を入れている。

従って、最も厳密な意味で、本書を「ドキュメンタリー」と呼ぶことはできない。

けれども、〈人が作ったもの〉である限り、それが当たり前なのだ。

従って、テレビや映画など「ドキュメンタリー」の制作現場においても

趣旨に反する情景は絶対フレームに入れないし、主張に沿った言葉だけを公表する。

そうしないと、〈視点〉も〈テーマ〉も曖昧になり、作った意味がなくなる。

だから、誰もが、"嘘をつかない"という最低限のルールを守りつつ         知恵をふり絞ってアレコレ手を加えることで(それを「脚色」「演出」と呼ぶ)   ひとつの完成した物語へと仕上げていくのだ。

どれほど〈事実だけを集めたドキュメンタリー)だと謡い上げようとも       その過程に関しては、フィクションと変わることはない。

だって――作品、なのだから。

 

うわ。やっぱ前回のムカムカを引きずってたなぁ。

初めてこれを読む人は、いきなり何を主張しはじめたのか、理解できないよね。

勝手に気持ちの整理をつけただけだから、あまり気にしないでほしい。

そんなわけで、話を戻そう。

 

本書『イタリア発イタリア着』は、著者の豊富な体験を下敷きに

見事な脚色と演出によってピッカビカに磨き上げられた、珠玉のドキュメンタリーだ。

なかでも、イタリア(人)の特徴をシンプルな言葉で一刀両断するさまは

読んでいるだけでも、ドキドキしてくる。

短すぎて意味不明かもしれないけど、こんなふうに。

「やっぱりイタリアは、後ろ姿だよなあ」                      隣席で友人がしみじみと呟く。                  〔168ページ〕

「個々の瞬発力と臨機応変さが、組織全体の機動力へと結び付かないところがまた、よくも悪くもイタリアの特色なんだろうなあ」                    自嘲と自慢半々で、助手席の友人は笑う。             〔188ページ〕

 

上のふたつの言葉が、どういう意味を持っているのか。

素晴らしい『謎解き』は、ぜひご自身で確認していただきたい。

 

イタリアに魅せられた"旅人志願者"は言うまでもなく

「旅行なんて面倒くさくて疲れるだけだよ」などとおっしゃる出不精さんにも

ぜひとも、手に取ってほしい一冊だ。

ラストで解説を書いてくれた宮田珠己先生も、こう言ってるし。

「人生がつまらないのは、あなたが冒険していないからだ」     〔297ページ〕

 

ではでは、またね。

 

全然触れなかったけど、『イタリアの引き出し』も、たまらない。

これまでさほど魅力を感じてなかったミラノに、俄然行きたくなった。

『イタリア発・・』と違い、一篇が2~3ページ程度のショートショートだから

こちらの方がとっつきやすいかも。