忘れていた"あの味"が、舌の奥でむくりと起き上がる 『世界ぶらり安うま紀行』西川治 周回遅れの文庫Rock

最後の海外旅行(キューバ&メキシコ)から

そろそろ1年半が過ぎようとしている。

人生初の国境越え(解放間もない中国を放浪)以来

かくも長い間パスポートを開かなかったことは

なかった気がする。

 

予想外に広がり長引く「新型コロナ禍」のため

この先も、いつまたパスポートを携えて出かけられるか

まったく見通しが立たない。

依然として〈国内引きこもり〉を余儀なくされている、今日この頃。

掛け声だけの緊急事態宣言の合い間を見つけては

国内の温泉宿に泊まるのが精いっぱい、という状況だ。

そんな砂を噛むような日々。

数少ない"慰め"になってくれるのが

海外での豊富な体験をつづった紀行文である。

 

『世界ぐるっと朝食紀行』『-ほろ酔い紀行』『-肉食紀行』三部作(既読)に続く

本書は、〈もっとも安い食べ物が、もっともうまい〉のサブタイトルが示すように

高級料理ではなく"庶民が手軽に口にする日常食"がテーマ。

いわば「世界各地の版B級グルメ」を集めた、コスパ抜群の一冊だ。

要するに、この35年ほど我々が海外で味わってきた〈三度のメシ〉と

面白いぐらいにオーバーラップしている。

 

それは、単なる「追体験」に留まらない。

かつて訪れた場所で、同じような食べ物について記された箇所を読むと

遥か昔、一度口にしたきり忘れていた"あの味"が

突然、舌の奥で"むくっ"と身を起こし、鮮やかに蘇ってくるのだ。

おまけに、料理の前後に体験した行動の記憶すらセットになっているのだから

正直、たまらない。

 

たとえば、「ここの餃子が北京で一番うまいんだ 中国*北京」〔18-23ページ〕

著者は、北京在住の友人に人気の餃子店に連れて行ってもらう。

食譜(メニュー)を見ると、すべて水餃子ばかりで、焼いたり、蒸したりしたものはない。その他も凝った料理ではなく、どの家でも普通に食べられているような料理だ。

いろいろな野菜餃子が基本てあり、そこに猪肉、牛肉、羊肉などを選んで混ぜるという仕組みになっている。                       〔19ページ]

この一文に接し、次ページ下部「食卓に出された水餃子」の写真を目にした瞬間。

舌の奥から、唾液と共に、35年前に西安で食べた餃子の味が蘇ってくる。

もちろん「蘇る」といっても、そっくりそのままの"味"でないのは当たり前だ。

それでも、あの時、口の中いっぱいに広がった水餃子が与えてくれた

〈旨さ〉に対する驚きと感動は、意外なほど劣化していない。

しかも、続く文章が、さらなる「記憶」を目覚めさせる。

皮は日本のように薄くはなく、ぼったりと厚い。それが皿から溢れんばかりに盛り上がり、ぴかぴか光っている。白いというより、健康な若い人の歯のような象牙色だ

ーーそうそう、その通り! 具だけじゃなく、皮がもちもちして美味かったんだよ!!

文字を目で追いながら、無意識のうちに、カクカクと頷いてしまう。

 

そしてひとたび〈記憶の列車〉が動き始めると、もう停まらない。

1泊2日の夜行列車(硬臥寝台)に揺れられて北京から西安に到着した時の

駅前に聳え立つ城壁、ホーム一杯に溢れる人民服の大群衆、砂埃舞う殺伐とした駅前。

ソビエト製の旧式ホテルで出会った日本人の若い男性コンビ。

たった一人でチベット(ラサ)を旅してきたという30代?の女性との出会い。

一軒も高層建築のない、広い広い西安のメインストリートを歩き

彼らと一緒に入った西安名物「解放餃子店」で、夢中になって水餃子を食べまくり

後でお腹が苦しくなったことまで。

どこかにしまい込み、そのまま忘れていた、"人生初の海外旅行の記憶たち"が

秘密基地を発進する国際救助隊のように、次から次へと姿を現す。

たった5ページの「北京餃子」の小文(と写真)だけで

こんなにも感動の体験ができるなんて、なんだか申し訳ない気分だ。

 

同じように、バイン・セオ(ベトナムホーチミン)、ルジャック(バリ*ウブドゥ)

アランチーニ(イタリア*ミラノ)、石焼ビビン・バップ(韓国*全州)

ガラムマサラ(インド*ムンバイ)、サテ(タイ*チェンマイ)などなど

過去の旅(食事)とオーパラップするページに差し掛かるたび

忘れていたはずの「味」と「旅」の思い出が、たちまち蘇ってくる。

なんと贅沢な"読書"なのだろうか。

 

ただ旅が大好きで

時間と財布の許す限り、「安い海外旅行」を繰り返しただけのこと。

ハナから"思い出作り"をする目的で、あちこち飛び回っていたわけじゃない。

それでもいま、はからずも豊かな"脳内旅行"が愉しめるのは

35年余りかけて積み上げてきた〈旅の記憶〉のおかげに他ならない。

 

いま、ジリジリした気分で

パンデミックの鎮静化と海外旅行の再開を、待ち続けている。

実際、コロナ禍のせいで、昨年初夏に予定していたアイルランド旅行と

秋に予定していたリスボンバルセロナの旅は、キャンセルせざるを得なかった。

それでも、ときどき相方と旅の思い出を語り合うと

決まってどちらからともなく、こんなことばを掛けてしまうのだ。

 

――いろんなところに行っておいて、よかったね。

 

まったくもって、人生ってやつは、何が起こるか分からない。

「自分は長生きできる」とか「海外旅行なんかいつでも行ける」などと

〈予定〉を〈決定〉と勘違いせず

やりたい時に、やりたいことを、やっておく。

結局、これに尽きるんじゃないかな。

 

ではでは、またね。