今を遡ること、およそ百五十年。
「幕末最後の反乱」ともいえる西南戦争が起きた翌年の
一八七八年(明治十一年)春。
横浜埠頭に降り立った四十七歳の英国人女性が
たったひとりの日本人(伊藤)を通訳兼ガイドをお供に
東京から日光、会津、新潟、秋田、青森、函館、室蘭を経て
白老・白取などのアイヌ集落を訪ね歩くという、大旅行を決行した。
本書は、三ヶ月余りに及んだこの〈探検行〉のあいだ
本国の妹に宛てて送った手紙をまとめた、「日本旅行記」である。
一読して驚いたのは
五感をフルに活かして描写した〈百五十年前の日本〉の
臨場感あふれる情景の数々だった。
当時の平均寿命からすれば、ほとんど晩年に近い五十歳前の女性・イザベラが
まるで「赤毛のアン」のような、好奇心の塊と化して
明治十一年の日本を、感じたまま遠慮会釈なく書き記している。
たとえば、こんなふうに。
上陸して最初に私の受けた印象は、浮浪者が一人もいないことであった。街頭には、小柄で、醜くしなびて、がにまたで、猫背で、胸は凹み、貧相だが優しそうな顔をした連中がいたが、いずれもみな自分の仕事をもっていた。桟橋の上に屋台が出ていた。これは、こぎれいで、こぢんまりとした簡易食堂で、火鉢があり、料理道具や食器類がそろっていた。それは人形が人形のために作ったという感じにのもので、店をやっている男も五フィートたらずの一寸法師であった。 [26ページ〕
ほどなく彼女は、当時日本にいたハリー・パークス、アーネスト・サトウ、ヘボン博士らの助力を得て、東京以北の全日本とエゾ(北海道)への旅を許可する、という事実上通行無制限の旅券を入手することに成功。口八丁手八丁の日本青年イトウ(十八歳)をお供に、日本奥地を一人旅する最初の外国人女性として、勇躍、北へと旅立った。
だが、実際の旅は、〈英国レディーの一人旅〉なるイメージを見事に裏切る。
缶詰・葡萄酒・寝具などの荷物こそ、数頭の馬に背負わせることで携行できたが
途中途中の宿で待ち構える地元民の大集団(数百人の地元民が一晩中見物している)
容赦なく襲い掛かる蚤、シラミ、ダニ、蚊の大群。
貧しすぎる食物に、悪路で暴れる馬からは振り落とされる・・など。
文字どおり〈苦行〉以外のなにものでもない、旅の日々を重ねてゆくのだ。
暗くならないうちから蚊が飛びまわり、蚤は砂蠅のように畳の上をはねまわった。卵はなくて、米飯ときゅうりだけであった。日曜日の朝五時に外側の格子に三人が顔を押し付けているのを見た。夕方までには障子は指穴だらけとなり、それぞれの穴からうす黒い眼が見えた。 〔248ページ〕
しかし、なぜ、彼女はこんなにも過酷な旅を己に課したのか?
冒頭の「はしがき」で、イザベラ自身が『健康回復の手段』と記しているものの
とてもではないが、病弱な人間に耐えられるようなシロモノではない。
やはり最大の理由は〈好奇心〉なのだろう。
実際来日する前から彼女は、アメリカ・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド・ハワイなどに数カ月ずつ滞在。数冊の旅行記を出版している。
特に今回の「日本旅行」では、エゾの原住民=アイヌの人々を訪ねることが
強い動機として挙げられている。
だが、それにしても、本書を読んでいると
雨や泥で全身スプ濡れになるのは日常茶飯事。
馬と一緒に崖から転げ落ちたり、増水した川で流されそうになったりと
呆れるほどの"危機一髪"の連続といっても過言ではない。
ときには己の命も顧みず、道なき道を突き進む、壮絶な日々。
そんなイザベラの姿から伝わってくるのは
〈限界に挑む不屈の闘志〉ではなく
〈降りかかる苦難を喜ぶマゾヒスティックな充足感〉なのである。
確かに一般論で考えれば、痛みや苦しみは、可能限り避けたい「負の感覚」だ。
しかし、ときにそれは、ある種の"快感"と密接に結びついている。
足の痛みに耐えながら山道を登り続けたり
化膿したおできを潰してみたくなるのも
これに類似した衝動と言えるだろう。
そしてまた、厄介なことに――
これらの"苦痛"を耐えに耐え、乗り越えた後だからこそ
到達した場所の景色に心を揺さぶれたり、涙が込み上げたりもするのだ。
しばしば苦痛は〈感動の増幅装置〉へと姿を変える。
そうした心の働きを熟知していたからこそ
彼女は敢えて苦痛に身をさらすことを、厭わなかったのではないか。
もしかしたら、考えすぎかもしれない。
だが、イザベラが書いた次の一文からも、その"匂い"を感じ取ってしまうのだ。
日本では、太陽が照ると、森におおわれた山、庭園のような野は天国と化してしまう。六〇〇マイルも旅をしてきたが、日の光をあびて美しくならないような土地はほとんどなかった。 〔295ページ〕
生き生きとしたアイヌの人々の描写にも触れたかったが、
そろそろ"お腹いっぱい"になってきた。
イザベラ女子の「蝦夷地旅行」は、ぜひ本書で実体験していただきたい。
きっと、一緒に"素敵な旅"ができるはずだ。
ではでは、またね。