「関ヶ原アンソロジー」読み比べ 『決闘!関ヶ原』(実業之日本社)VS『決戦!関ヶ原』(講談社) 周回遅れの文庫Rock

どっちも似たようなものだろう・・と思っていたが

実際に読んでみると、予想以上に色合いが異なっていた。

最大の違いは、"対象との距離感"か。

ひとことで言い表すなら

〈俯瞰〉の『決闘!』✖〈肉薄〉の『決戦!』という感じになる。

 

『決闘!』にラインナップされた10作品には

"従来の定説"から大きく外れずに描かれたものが大半を占め

また、時間的にも空間的にも"関ヶ原"から距離を置いて展開している。

さらに、"個人の闘い"を描く場合でも

あくまでメインは"闘った結果=歴史"であるため

どこか研究(分析)結果に目を通したような、乾いた読後感が得られる。

むろん、作家陣の年代にも関係あるのだろうが

どこかデジャブ感を伴う、〈昔ながらの歴史読み物〉の印象をぬぐえなかった。

つまり――安心して読めるものの、驚きは少なかった。ってところか。

 

いっぽう、『決戦!』に並んだ7作品は

一部の例外を除いて

――えっ、そうだったの!?

と、思わずスマホで登場人物の生涯をググッてしまうような

驚きや発見をもたらす快作(意欲作)揃いだった。

要するに、歴史的事実として伝わっていた「定説」のスキを突いたり

土台ごとひっくり返したりと、新鮮な視点を提示してくれたのだ。

 

しかも、主役に据えらた人物の描き方が

どこまでも〈等身大〉である。

『決闘!』の作家陣に比べ、ぐっと世代が若いせいもあるが

ひとりひとりが、"400年前の武将"ではなく

現代に生きていても不思議ではない自意識や価値観の持ち主として描かれている。

その結果、彼らの言動のひとつひとつに、強い共感を抱き

ついには登場人物と視点を共有。

――同じ立場なら、俺だって"そっち"を選ぶよ。

などと、400年前の関ヶ原へとタイムリープしていくのだ。

 

なかでも強く心に響いたのは

小早川秀秋が主人公の『真紅の米』(冲方丁)。

江戸時代以降の歴史書には、例外なく

関ヶ原の闘いを決めた"ヘタレ武将"」と評されている

あの、日本史上指折りの〈裏切り者〉である。

 

しかし、ようやくここ数20年ほどのことだろうか

【勝者が書いた歴史=事実ではない】という

当たり前の視点が、旧態然とした日本史にも注がれるようになった。

本作『真紅の米』も、そんな「勝者の歴史」に疑問を持ち

小早川秀秋=無能な卑怯者(と書いたほうが徳川幕府にとって都合がいい)〉

といった"後付け評価"を見事にひっくり返し

――あ~~あ、そうだったのか。それじゃ俺も、"秀秋しちゃう"よなぁ。

みたいな強い納得感&共感を、読者にプレゼントしてくれたのだ。

 

もちろん、なんでもかんでも〈読者に引き寄せればOK〉だとは思っていない。

和田竜が著作の中で書いているように

「(戦国)武士の価値観と現代人の価値観はまったく違う」ことも、承知している。

それでも最終勝者が、自分たちに都合のいいように

"後出しジャンケン"で歴史を書き換えているという〈事実〉には

もっと気づいて、改めていかなきゃ、ダメだ。

 

うん。この一作に巡り逢えただけでも

関ヶ原読み比べ〉やった意味、あったよ。

おかけで俄然、小早川秀秋に興味が湧いてきたぞ。

読書ローテーションに支障をきたさぬ範囲で、可能な限り早く

本棚のどこかに待機してる『我が名は秀秋』(矢野隆)を、読まなければ。

 

てなわけで、今回の対決。

巨匠の歴史文学をないがしろにするわけじゃないけど

物語の評価基準はただひとつ――面白いか、否か。

長年「勝者の歴史」に違和感を覚えていたうたた的には

新鮮な驚きと発見をゲットできた『決戦!関ヶ原』のコールド勝ち!!

同じシリーズの『大阪城』『本能寺』など

まだまだ期待は高まるばかりだ!

 

ではでは、またね。