世界各地を旅することに夢中になっていた、30~40代にかけて
旅先では可能な限り、〈地元の料理〉を料理を口にするよう心掛けていた。
せっかく食文化の異なる土地を訪れているのだからと
塩とケチャップの味しかしないアメリカの地方都市だろうが
オリーブオイルこてこての南ヨーロッパだろうが
羊肉オンパレードの西域&イスラム教エリアだろうが
徐々に増えつつあった「和食」「日本食」「ラーメン」の看板には目もくれず
「伝統料理の店」に入り、"その国(地域)ならではの料理"を頬張っていた。
しかし、いつの頃からだろうか。
訪問先が数十か国を数えたあたりで
"そんな意地を張らなくてもいいかな・・"みたいな気持ちに変わった。
自分の味覚に逆らって、無理やり口に合わない料理にチャレンジするより
〈単純に美味しいと思える物を食べよう〉という本能に従うことにしたのだ。
最大の理由は、やっぱりこのひとことに尽きる。
ーーどんな名物料理より、日本で食べる料理が一番うまい!!
世界の三大料理と称賛される「フランス」「イタリア」「中華」。
(今はもう違うか)
バターとクリームまみれの伝統的フランス料理は論外だが
一週間程度の滞在なら毎食OKのイタリア&中華料理にしたところで
これが10日以上続くとなると、いいかげん飽きて・・いや、倦み始める。
"いい加減、日本食が食べたいなぁ"との欲求に、逆らえなくなってくるのである。
本書『パスタぎらい』は、そんな私の実感を全力で後押ししてくれる一冊だ。
十代半ば?にしてヨーロッパで暮らし始め
イタリア人と結婚して、ポルトガル・シリア・シカゴなど各国を渡り歩き
人生の半分以上を「日本以外の食文化」の国で過ごした著者が
確信を持って、こう宣言している。
あちこちで自称グルメが偉そうなこと言ってるけど、日本食がイチバン!・・と。
たとえば、フランスやドイツなどの"パン先進国"に比べて
イタリアで食べるパンの味がイマイチだと語った、そのあと。
私にしてみればパン単体の美味しさを知らない彼ら(イタリア人)はちょっと気の毒でもある。実際かつて日本に連れて来た住人のイタリア人のオバさんたちは、日本で最も美味しかったものの一つにパンを挙げていた(ちなみに一番はイタリア料理だった…)
とにかく私にとって、世界におけるパン美食国ナンバーワンは日本である。
それは、欧州生まれの機関車を新幹線に、西洋便器をウォシュレットに進化させたのと同様、海外で生まれたものを本国以上のクオリティで製造してしまう、日本のこだわりの職人気質の成果の一つとも言えるかもしれない。 〔20ページ〕
日本人ならではの"職人気質"は、
ジャンクフードの代表格・スナック菓子にも、遺憾なく発揮されている。
今さら強調するほどのことでもないが、日本人というのはとかく舌が肥えている。当地で食べるイタリア料理よりも、日本人シェフの作ったイタリア料理の方がよほど美味しい、などと感じてしまう人も少なくない。それと同じことが、ポテトチップスやポップコーンにも起こる。本国に行けば本場の美味しいものを食べられるのかというと、もうそんな単純な公式は成り立たない。
中東から欧州、中国、南米、南太平洋の島々に至るまで、世界の国々でいろいろなスナック菓子を試して来た結果、私にとってどこよりも美味しいポテトチップスは、やはり日本製のものである。日本のポテトチップスは味覚にこだわりがあるだけでなく、その食感までもが徹底的に追及されている。ジャンクフードと称されるものなのに、このこだわり方は比類ない。 〔77ページ〕
むろん、日本独自の食材(みそ・しょうゆ・うまみ成分など)を口にして育ったため、日本の食文化に沿った味を「うまい!」と認識してしまう、との見方も否定はしない。それでも、いまや日本発の味覚である「寿司」「ラーメン」「弁当」などが、民族の違いを超え広く愛されるようになったのは、決して〈地元びいき〉だけではないはずだ。
ともあれ、いつになるかはわからないものの
コロナ終息後、再び自由に世界を飛び回れるようになった暁には。
どこの国のいかなるレストランに入ろうとも
「食材はいいけど味付けが足りない」と舌が判断したときは
スーツケースに入れてきた〈醤油入りスプレー容器(小)〉を堂々と取り出し
思う存分吹き付けてから戴こうと、強く心に決めたのだった。
日本人は世界の中でも際立って外国語の習得が苦手だと言われているが、味覚適応力だけはどの国よりも傑出している。その証拠に日本では、地域別にまで分類された各国の料理屋が普及し、家庭の中でも普通にアジアや中東、ヨーロッパといった諸外国の料理を調理して食べる人たちが少なくない。外国語を上手く習得できないコンプレックスを覚えるくらいなら、いっそ世界のありとあらゆる味を美味しいと感じられる味覚の寛容性とアビリティを、もっと自慢しまくっていいのではないかと思う。なにせあの多元的味覚への順応は、他の国の人にはなかなか真似の出来ないことだから。 〔121P〕
ではでは、またね。