長生きするのが"生きがい"なんて、哀しい 『風光る』(全45巻)渡辺多恵子 周回遅れのマンガRock 

出口の見えないトンネルを手探りで進むような、いまこの時期。

23年間描き続けられた本作の完結に立ち会えたのは

何かの巡り合わせのように思えてならない。

 

多少なりとも幕末史の知識を持っている方なら

新選組の3人(近藤勇土方歳三沖田総司)が織りなすこの物語が

どんな経緯をたどり、いかなる結末を迎えるのかは、とうにご承知のことだろう。

「神谷清三郎」という架空キャラ(男装女子)をヒロインに据えた本作も

彼女(彼?)が関わるエピソード以外の「出来事」に関しては

愚直なまでに歴史的事実に従って描かれている。

たとえば、「源義経は大陸に渡ってジンギスカンになった」といった

安易なファンタジーに逃げることは、ついになかった。

登場人物たちにふりかかる運命(生死)もまた、例外ではなく

少女漫画としては類を見ないハイペースで、続々と「あの世」へ旅立ってゆく。

しかも作者は、そんな"殺し合い"の真只中にヒロイン・清三郎を放り込み

見事、一人前の"武士"にまで育て上げてみせた。

 

正直なところ、40巻を越え、新選組沖田総司の「明日」が暗雲に包まれると

本作の続きに目を通すのが、息苦しくなっていた。

なぜなら、彼らに訪れるはずの〈史実〉を知っているから。

それゆえに、こう考えてしまったのだ。

――これ以上、「少女マンガ」で史実をなぞるのは厳しいんじゃないのか。

  どこかでファンタジーに路線変更しても、オッサンは責めないぞ。

 

しかし、作者は、最後まで"日和る"ことなく

「神谷清三郎エピソード(もちろんフィクション)」以外の史実を

きっちりかっちり守り抜き、物語の幕を閉じてくれたのだ。

その一点だけでも、よくぞ描き切ってくれた! と感謝したい。

 

他にも、特筆すべき点は、枚挙に暇がない。

『聖14グラフィティー』の昔から、一度も裏切られることがなかった

怒涛のギャグセンスは、本作でも八面六臂の大活躍。

どう考えても、真っ黒ドロドロなシーンにしかならない修羅場が

抑制のきいた"掛け合い漫才"のお陰で、どれだけ軽く明るく転じたことか。

文字通り〈明日の命も知れぬ〉殺し殺され合いの日々を

殺伐とした"憎しみの連鎖"で塗り潰さなかった作者のバランス感覚には

拍手を送るしかない。

 

また、本作を描くにあたっての徹底した勉強ぶりにも、舌を巻いた。

毎巻末の「風光る日誌(R)」に、その一端は垣間見えていたが

「江戸と京都の違い」はじめ、"可能な限り史実どおりに描く"という姿勢は

生半可な学者先生の域を遥かに凌駕している。

ましてや、孝明帝暗殺から戊辰戦争に至る薩長連合の「悪略(ゴマカシ)」を

ここまではっきり描いてみせたのは、漫画史上初なんじゃないかな。

専門家の皆さんは、何かと言えば「史料がない」の一点張りで

勝者である薩長土肥が自分たちに都合いいことだけ書いた「正史」を

"唯一絶対のバイブル"だと崇め奉ってるけど

いまだに「大本営発表」しか信じないって・・どんだけ応用力ないんだよ。

 

そして、ラストの45巻。

最後の最後で、神谷清三郎に訪れる「運命」には

――そうきたか!! と、心の膝を何べんも叩いてしまった。

 

けれど、そんななかにあって、読了後、最も強く胸に沁みわたったのは

20~30代という若さで生涯を終えてゆく登場人物たちの

俺(あたし)は力いっぱい生きた!!

と言わんばかりの、《最後の迎え方》だった。

 

もちろん、"死"を美化しようなんてつもりは毛頭ない。

事実、惑わぬはずの40を迎えても、一区切りのアラカンになろうと

依然として、私にとって"己の死"は最大の恐怖である。

だが、行き渡らぬワクチンを求め、我先に殺到する高齢者の姿を見たときとか。

ふと考えてしまうのだ。

――そんなにまでして、長生きに縋りつかなくても、いいんじゃないかな。

  長生き=しあわせ? ・・・・違うだろ。

 

ま、こんな偉そうなことを言ったところで

いざ自分がコロナに感染して、生死の境を彷徨うことにでもなったら

身も世もなく「助けてくれ!死にたくない!!」

とか、大騒ぎするのがオチだろう。

それでも『風光る』の余韻に浸っている、いまこのひとときは

胸を張って宣言できるのだ。

 

どんな手を使ってでも長生きしたい? 

・・けっ、そんなみっともないこと、できっかよ!

な~んて。

 

ではでは、またね。