タチの悪い『正義』が、のさばりはじめた  本日の”なんだかなぁ”

緊急事態宣言などどこ吹く風とばかり、増え続けるコロナ感染者数。

掛け声ばかりで、いっこうにはかどらないワクチン接種。

行き場のない不安が際限なく膨れ上がり

ぶちまける相手=敵を求め、右往左往しはじめた。

 

たとえば、"奇跡の復活"を遂げたスイマー・池江璃花子に向けて

「オリンピック辞退」を求める声が、投げつけられる。

投稿者にすれば

「社会的な影響力を持ち、東京オリンピックのシンボル的な存在になった彼女が

 『ノー』と言ってくれれば、中止や延期への声が一気に高まるぞ」

程度の軽い気持ちで、ポチッと、発信したことなのだろう。

幸いなことに、この恥知らずなムーブメントは

"著名人に対する無神経な個人攻撃"との多数意見により、否定されつつある。

そもそも、文字通り命がけで病と闘い、復活を遂げたアスリートに対し

なにひとつ失うことも、責任を負わされることもない匿名者が

いったいどのツラさげて、人の人生を左右する決断を迫れるというのか。

たとえ「国民の命と健康こそ大事」とばかり

"自分はいいことをしている"と勘違いした結果であろうと

あまりにも大きな〈想像力・共感力の欠落〉に、開いた口が塞がらない。

 

ただ、残念ながら、どれほど〈根本的な勘違い〉を指摘しようとも

この手の人々がオノレの勘違いに気付く可能性は、限りなくゼロに近い。

ユリウス・カエサル曰く

人は、自分の信じたいことしか信じない——からである。

 

現実問題として、この手の〈むちゃぶり〉は、今後ますます増えるだろう。

なぜなら、いまこの国の中では

「今年のオリンピック開催に反対しない人はろくなヤツじゃない」と言わんばかりの

〈エセ正義〉が、日を追って拡大し続けているからだ。

よりぶっちゃけて言うと

〈オリンピックなんかよりも人の命が大切〉という「正義」を達成するためなら

"多少の犠牲はしかたない"方向へと世論が大きく傾きつつある。

・・それが、とてつもなく、気持ち悪い。

 

たとえば、テレビ。

しばらく前から、「開催賛成」を表立って口にする人は、ほとんどいなくなった。

いっぽうで、「反対意見」が数十万に達したことを、声高に報じ始めた。

冷静になって欲しい。

1億数千万のなかの、20とか30万人だ。

あたかもそれが〈国民の総意〉であるかの如く、口角唾を飛ばして論じるのである。

 

実際のところ、心から反対している人は、何割ぐらいいるのだろうか。

「国民の半数以上が反対を表明しているじゃないか!」

と、鬼の首を取ったようように胸を張る〈反対派〉の方々もいらっしゃる。

だが私には、その「反対」が本心から発したものだとは、どうしても思えない。

なぜなら、すでにこの国に住む人々の心の中で

《オリンピック反対=正義》《オリンピック開催=悪》の図式が

完全に出来上がってしまっているから。

表立って「開催賛成」を表明しようものなら

冗談抜きで〈お前なんか非国民だ!)とバッシングされかねない空気が

色濃く漂っているのだ。

 

そう。日本人の大好きな、法律や善悪を越えた判断基準・同調圧力

いまやそれが、新型コロナウイルスでも、政府でも、都道府県でもなく、

東京オリンピックを「敵」と見なし、際限なく膨張しつつある。

この概念を何と呼ぶか、知ってるかい?ーー差別だよ。

 

てなわけで、1年前から変わることのない私見で、この稿を閉じたい。

 

そもそも、「オリンピック開催」と「人の命」が両立しないと勝手に思い込み

〈オリンピック=悪〉と決め付ける拒否反応を、改めていただきたい。

むしろ、バブル方式で選手・関係者の感染拡大を可能な限り防ぎ

無観客で開催される2週間の東京オリンピック

〈ステイホームのテレビ観戦〉で楽しむように"お願い"したほうが

ろくな法的強制力を持たない「緊急事態宣言」なんぞより

よっぽど感染拡大を抑える"有効な対策"に、なり得る。

そう信じて疑わないんだけど

――誰か「富岳」あたりでシミュレーションしてくんないかなぁ。

 

ではでは、またね。