「戦えない日本」は、ワクチン接種競争でも"不戦敗" MakeMakeの遠吠え

つい先日、我らが菅総理は、高らかに宣言した。

「9月中には日本国民全員にワクチン接種できる見通しが立った」

だが、その舌の根も乾かぬうちに

その発言が、何の根拠もない「口約束」に過ぎなかった事実が真相が露呈した。

すると、あとは、お得意の"だんまり作戦"へと方針変更。

責任ある地位の方々が誰一人

ワクチン接種の具体的なスケジュールを公表しないまま

「接種可能になった時点でお知らせします」という

いつも通りの後手後手泥縄式で、やりすごすつもり満々となっている。

 

アメリカやイギリスなど、欧米諸国では順調にワクチン接種が進行。

すでに国民の過半数が接種済みとなり

マスク着用義務の解除すら行なわれつつあるというのに

なぜ、この国では、医療従事者ですら接種を受けられないほど

"置いてけぼり"を食らってしまったのだろうか。

物事を客観的に考える頭さえあれば

この夏にオリンピックを開催する覚悟があるのならば

世界中どの国よりもワクチン接種に全力を尽くすべきだと分っているはずなのに。

 

理由は、明白。

 

あらゆることが『希望論』や『掛け声』のみで完結してしまい

それに当然伴うはずの『行動』が、見事までに欠落しているせいだ。

 

ならば、どうして、国の舵取りを任させたトップたちは

国民の顔色をうかがうばかりで

断固とした『行動』をとることができないのか。

 

それは、新型コロナパンデミックという〈全世界的な非常事態下〉にあっても

未だ、この国の人々が、《戦い》を拒み続けているから――

 

たとえば、「非常事態宣言」。

文字面だけ見れば、どんなに厳しい法的制限がかかっているのかと思いきや

日本の場合に限っては、外出の制限どころか、マスク着用すら義務化されていない。

どんなにウイルスをばらまく恐れのある行為に出ようと

それを罰する具体的な法律が、なにひとつ存在しないのだから。

 (飲食店に対する規制がようやく出始めたが、この期に及んでも罰則まで行かず)

結局のところ、最初から最後まで《国民の良心頼み》、一本やり。

なぜ? どうして? 

国民の圧倒的大多が、法による規制や罰則を伴う

〈本当の意味での非常事態〉を拒み続けているからに他ならない。

そのワケは・・"戦時を連想させるからイヤ"。

単なる、感情論である。

だが、その「感情」こそが、第二次大戦に敗れて以来

日本という国を動かしてきた、もっとも強く、大きな力なのである。

 

いっぽう、〈非戦〉の呪縛に捕われずに済んでいる、大多数の諸外国は

"イザという時"の、ギアの切り替え方を熟知している。

常時〈臨戦態勢〉にある、アメリカ・中国はもちろん、ヨーロッパ諸国も

スパイと謀略の国イギリスを筆頭に、いつでも〈生き馬の目を抜ける〉態勢にある。

だから、表では「全ての国で平等にワクチンが接種できる体制づくり」を進めながら

裏では「どこよりも早く大量のワクチンを確保するぞ!」という両面作戦を決行。

事実、国民全員がワクチン接種を一回完了させたイスラエル

予定を大幅に早めた接種完了を宣言したアメリカなどの

〈戦争巧者〉ほど、まんまと抜け駆けに成功しているではないか。

 

要するに、〈平時〉と〈戦時〉または〈建前〉と〈本音〉。

この両面の使い分けがきっちりできている国ほど

今回のワクチン接種競争では、勝者側に立っていると断言できるのだ。

 

もちろん、東日本大震災など未曽有の災害に遭いながら

(一部の例外はあったが )争わず・列を乱さず・じっと我慢し・助け合う

日本人ならではの美徳を、否定するつもりはない。

だが、国際社会にまでドメスティックな「良識」を持ち出し

いかなる危機に陥ろうとも

「つらいのはお互い様」「仲良く順番を待ちましょう」などと

綺麗な〈表ルール〉を唯一絶対の道と盲信し、ひたすら耐え忍ぶ姿は

決して自慢できるものではないだろう。

 

頼むから、一刻も早く

国民を不幸にするだけの《戦争アレルギー》から脱却し

何が起ころうと"感情"に振り回されず

マトモな判断と行動が出来る国になってほしい。

そう、切に祈るばかりである。

 

ではでは、またね。