登山の目的は無事に降りてくること‥ンなわけあるか! 『世にも奇妙な人体実験の歴史』トレヴァー・ノートン 周回遅れの文庫Rock

"人生(登山?)の達人"的な方が、おもむろに語る〈奥深い言葉〉のなかに

「山登りで目指すのは、頂上を制することではない。

 無事戻ってくることこそが、最大の目的なのだ」(だったかな)

という禅問答的?なひとくさりがある。

頂上に到達できたとしても、下山途中に事故ってしまっては何の意味もない。

無事に帰宅し、元の暮らしを取り戻してはじめて〈登山に成功した〉といえるのだ。

・・てなニュアンスだろう。

早い話、「家に帰るまでが遠足」と、根っこのところでは大差ない。

 

たけど、おっさん(私だ)は、この〈一見奥深い言葉〉に

ず~~っと、奥歯にモノが挟まったような、居心地の悪さを感じていた。

でもって、自分自身10代から30代まで山登り(山歩き)をやっていた経験から

次のように反論せずに、いられなかった。

「いや、でも、山登りって、そうじゃないでしょ。

 《命の危険があるからこそ楽しい》って側面も、絶対にあるはずだ」・・と。

 

で、今回、登山に関する本でないが

「人体実験の歴史」を扱った本書に巡り会うことで

上記の疑問を確信に変えることができた。

ご想像の通り、本書は、

医学・薬学・海洋地質学・宇宙科学などなど

様々な分野において、最前線に立った研究者や専門家が

自分自身の肉体を実験台にして、危険極まりない未知の世界に挑み続けた

まさに〈事実は小説よりも奇なり〉を地でゆく、壮絶な記録なのである。

 

たとえば、18世紀後半の医師は、外科手術の際に必要な麻酔法を会得するため

何の予備知識もないまま、手当たり次第に様々なガスを吸い込む。

彼はさまざまな種類の気体を自分で吸収し、試してみた。一酸化炭素を吸入したときには、『死への縁へと引きずり込まれる」ところだった。「私には、口を開けてマウスピースを落とす力しか残っていなかった。‥‥私は三回吸入したが、あと一~2回多く吸入していたら即死していただろう」と彼は述べている。すぐに純粋な酸素を吸入したため、彼は一命を取り留めた。恐怖によって彼の熱意に歯止めがかかることはなかった。一週間後には揮発性溶剤を吸い込んで咽頭蓋を火傷し、窒息しかけた。こうした危険な実験のあいだ、このままで死んでしまうと思ったときでさえ、彼は冷静に自分で脈を測っていた。                        (38~39ページ)

 

一歩間違えれば、たちまち命を落としてしまう、この手の「自己人体実験」が

およそ考え得る限りのバリエーションで、繰り返されてゆく。

(実験のため死に至るケースもまた、呆れるほど多数にのぼる)

だが、宝くじで1等賞を引き当てたような「大発見」に繋がることも、ときにはある。
一八五八年、イギリスの医師フィールドはニトログリセリンを舐めてみた。たちまち彼は青ざめて倒れた。頭が爆発しそうだった。鼓動もほとんど止まりかけたが、医師たちの必死の介抱のおかげで何とか息を吹き返した。

フィールドが死ぬほどの目にあったにもかわらず、その後ウィリアム・マレルという若い医師がフィールドと同じ実験を試みた。マレルの実験方法は驚くほどカジュアルだった。彼はニトログリセリンで湿したコルクを舐め、それからいつもの診察を始めた。しかし、すぐに頭がズキズキし、心臓がバクバクし始めた。「鼓動のその烈しさといったら、心臓が一つ打つ度に体全体が揺れるのではと思われるくらいだ。心臓が鼓動する度、手に持ったペンがガンクと動いた」。にもかかわらず、彼はニトログリセリンの自己投与を続け、その実験はおそらく四十回以上に及んだ。彼は、ニトログリセリンのいくつかが当時血管拡張剤として使用されていた薬のそれに似ていることに目ざとく気づき、自分の患者にニトログリセリンを試してみた。現在、ニトログリセリン狭心症の痛みを緩和するための標準的な治療薬になっている。     (76~77ページ)

 

こんなふうに、どいつもこいつも(と罵倒したくなるくらい)、おそらく平然と

淋病や梅毒患者の膿を自分のペニスに塗り付け

互いの手足と歯茎にコカインを注射し合い

サナダムシや住血吸虫の卵を飲み

マラリアを媒介する蚊に3千回も刺され

黄熱病患者の嘔吐物(ゲロ)を自分の血管に注射してしまうのだ。

むろん、どれも山登りのように単純な「冒険行為」ではない

とはいえ、病気の克服や医療技術の発展により人類の幸福を目指す〈崇高な行為〉だ!

・・・・って、果たして言い切れるのかな?

 

そして後半、さらに本書は〈冒険のための冒険〉色を強めてゆく。

一九四〇年代、不発弾処理将校の平均余命は七~十週間だった。自ら志願して不発弾処理将校になった例の伯爵は三十四個の不発弾の解体に成功したが、三十五個目の爆弾によって自分が解体されてしまった。               (255ページ)

驚くべきは、そんな彼らにまつわる戦後の話だ。

障害を追うこともなく無事に引退できたときには、心の底からほっとするに違いない。これからは、爆発とはいっさい無縁の静かな生活を送れるのだから。しかし、リタイアした爆弾処理将校の中には、爆弾という死を招く装置に挑戦したいという欲求を捨てきれない人もいる。そういう人は引退後、ロンドン警視庁で爆弾処理に従事することになる。                             (257ページ)

ここでは、淡々と記述されているが

「安全な帰還」ではなく「死への挑戦」に強烈な魅力を感じ

積極的に求め続ける一群の人々が、間違いなく存在しているのだ。

 

その後も、本書は、

限りなく死に近い気絶を繰り返しながら、自らの体で毒ガス実験を繰り返したり。

急激に気圧を変化させる実験に望み、両耳の鼓膜を破裂させ、片方の肺を潰したり。

食糧も水も持たずに漂流し、四十三日間生き延びたり。

ついには、ご存知〈マッハの壁〉を超えた男チャック・イエーガー

文字通り"命がけの挑戦"へとなだれ込んでいく。

理屈も教訓も哲学もいらない。

チャレンジしたいから、チャレンジするだけだ。

そんな《冒険野郎(男女問わず)》たちのホンネが、びんびん伝わってくる。

 

おそらく現在では、大半が実行不可能な〈暴挙〉のオンパレード。

なんとも壮絶、されど痛快な「セルフ人体実験の歴史」に、魅了されてしまった。

 

ちなみに、念のため断っておくが

いまこの瞬間も、新型コロナの治療に命を削っている

一般的な医療従事者については、上記の図式はまったく当てはまらない。

あくまでもこれは、

自らの意志で、自分自身の身体を使って実験した人々の記録だ。

「感染拡大の抑制」をなによりも重視し

〈無事に戻ること〉を最大の目標にしている医療従事者のみなさんとは

根本的に別の世界だということを、ご理解いただきたい。

 

ではでは、またね。