〈不安〉をあおるな。〔希望〕を打ち上げろ。  本日の“なんだかなぁ”

現実から逃れて、楽しかった過去の旅を思い返しているさなかにも

リアル世界のゴタゴタは、否応なく耳目に飛び込んでくる。

それらの中から、特に"なんだかなぁ・・"と感じた幾つかの事柄について

「ガス抜き」の意味も込めて、書き連ねてみたい。

 

まずは、毎度おなじみの「マスコミ報道」。

年末年始の大移動&会食が火種だったことはほぼ確実な

1月に入ってから起きた新型コロナ感染者の全国的な急増ぶり。

ようやく先週末あたりから、その勢いが衰え

"やれやれ、これでマスコミのヒステリックな報道も落ち着くだろう"、と思いきや。

今度は、「重症者数が過去最高!」「死者数急増に歯止めが掛からず!」など

減り始めた新規感染者数から重症者数&死者数へと、素早く乗り換え

そればっかり声高に叫び始める。

いやいや、感染者数が増えた結果として重症&死者数が増えるのは、当然でしょ。

なんでそれを、〈衝撃の新事実〉みたいなノリで大騒ぎするのか。

要するに、あれでしょ?

「不安をあおって注目されたい(視聴率を稼ぎたい・売り上げを伸ばしたい)」

――それだけ。

落ち着いて考えれば小学生にでも予想できる事実に対しても

さも〈衝撃の新発見〉のごとく、画面や誌面上で大騒ぎしてみせれば

その"驚きぶり"に引っ張られた人たちがあわてふためく――という図式。

 

つくづく、いま〈報道の第一線〉を自認する方々の圧倒的多数は

《不安》と《熱狂》をあおることしか、考えてない。

ちょっと困った事態が起きると、それっとばかり批判と反対の大合唱をおっぱじめ

少しでも明るいニュースには、すぐ〈歴史的〉の枕詞をつけてお祭り騒ぎを扇動する。

政治・経済に限らず、スポーツ・文化など、あらゆる分野において

この〈最低〉と〈最高〉、2つのスイッチばかり互い違いに押し続けているのだ。

いくらそれが世間の関心を引く、いちばん手っ取り早い手段だからって

あまりにも無責任だと言わざるを得ない。

 

そんな、"どこから切ってもオオカミ少年"みたいな金太郎飴的報道じゃなくて、

せめてものこと・・

「みなさんの〈身を切る我慢〉が実を結び、ようやく感染者数の増加が収まって来た。

 今後、しばらくの間は、重症者数・死者数とも高止まりを続けることになるが

 あと少しで様々な規制も緩和されると信じ。その日まで、共に頑張ろう!」

みたいな、先を見据えたメッセージのかたちで発信してほしい。

国のトップを含め、誰も彼もが〈具体的な見通し〉に関して口を閉ざし続けるなか

少しでも「トンネルの出口」を指し示すことは、決して無駄ではないはず。

 

タレントまかせのバラエティー番組じゃあるまいし

不安要素ばかりを探し出して、ことさらに怖がってみせるのは

もう、いいかげんにしてほしい。

 

――なんかもう、これだけでお腹いっぱいになってしまったけれど

ついでに、あとひとつ。

本日のニュース(スマートニュース〉で見た

『GoToキャンペーンは新型コロナの感染を拡大させた可能性が高い』とかいう報道。

どこかの大学の先生が発表した「研究結果」らしいけど・・

これまた、当たり前のことだよね。

 

まず、事実として、旅行しようがしなかろうが

公共の場でマスクを着用せず

「午後8時まで」という政府の文言をわざと曲解し

"8時までならハメはずしてもいいんだろ!!"とばかり、大騒ぎを繰り返す。

そんな〈無謀な方々〉は、確実に一定の割合で存在している。

彼等は、Goto=旅行割引があれば、これ幸いと全国各地へと繰り出し

無ければ、大人しく!?、近場の飲食店や遊興施設でウイルスをばらまく。

これに対し、〈ルールを守る大多数の人々〉は

どこに行こうとしっかりマスク着用・手指消毒などの感染対策を励行する。

 

だから、本当の問題は《GoToの是非》ではなく

ルールに従わない〈無謀な方々〉のコントロールなのだ。

それなのに、いつまでたっても「GoToは犯人か否か」という見当違いな議論と

その尻馬に乗って「研究」と称する「集計&確認作業」を実施。

嬉々としてマスコミに発表する〈日本の叡智〉には、正直失望しか覚えない。

 

なんかさあ・・もう少しマシな「研究」って、できないわけ?

仕事の場を失い、生活に困窮。未来への希望も奪われた若者たちを支える方法とか。

新型コロナのせいで、なにかと高齢者の命ばかりクローズアップしてるけど・・

ぶっちゃけ、言わせてもらうね。

徐々に一線から退きつつあり、せいぜい20~30年の未来しかない俺たちと

その数倍もの未来を持ち、これから社会で力を発揮する若者たちを

当然のように、同じ「ひとつの命」で計算しちゃって・・、それでいいの?

むろん、高齢者の命も、生活習慣病に苦しむ方々の命も、軽んじてはならない。

(実際のところ「私」もまた、中高年に片足を突っ込んでいる)

でも、だからといって、未来を担ってくれる若い人々を全力で守らずに

明るい未来が期待できるとは、とうてい思えないのだ。

――何を言いたいのか、わかるよね?

いやはや、過激なところに話が転がってしまった。

だけど、上記の件に関しては

高齢者を狙い撃ちにする新型コロナのパンデミックが発生して以来

ずーっと心のなかに抱え続けていた《疑問》なんだよね。

近いうちに、改めてちゃんと語り〈書き〉たいと思う。

 

ではでは、またね。