重大事故や犯罪を犯してしまった人が
「知らなかった(だから仕方がない≒罪はない)」と弁明する記事や記録に
ときおり接することがある。
果たして〈知らなかった〉からといって、彼(彼女)は許されるのか?
いや、そもそも(知らない)ことは、罪なのだろうか?
この難問に直面するたび、私はどこにも考えを進めることができず
ひたすら際限のない足踏みを繰り返してしまう。
それでも、なお、ひとつの事実だけは自信を持って宣言できる。
――〈知らない〉より〈知っている〉ほうが、絶対マシだ。
間違いなく《心の抽斗(ひきだし)》が、ひとつ増えるのだから。
てなわけで、おもっきし説教&ジジ臭いマエフリで紹介する今回の作品は
実際の作品に目を通す前から、著者については"異端の歴史学者"とか
"決まった土地に定住して働く人々(主に農民)ではなく
土地に縛られずに暮らす人々(確か「まつろわぬ人々」と呼んでいたはず)に
スポットを当てることで、日本の歴史に新たな光を当てた人物"
などという断片的な情報だけを、勝手に頭の中でつなげ
いっちょまえに、わかったつもりになっていた。
しかし、見ると聞くとは大違い――だと、ちょっと違うか
百聞は一見に如かず――のほうが、まだ近いな。
研究に研究を重ねた専門家ならではの
シロートにはちょっと手強い文章をしっかり噛み砕きつつ、飲み込んでいくと・・
(とはいえこれは、講演記録をまとめたもの。
まだしも口語体で綴られている分、消化しやすくはなっている)
・・まあ、目からウロコが気持ちいいほど、落ちること。
自分では、それなりに歴史書(まではいかず、大半がエッセイレベル)を読みこなし
世界や日本の歴史に関する知識は、そこそこ充実しているはず。
――との自負は、さくっと吹っ飛ばされた。
たとえば、「聖徳太子は"日本人"ではなかった」(17ページ)
また「八世紀から九世紀にかけてのヤマト民族による日本統一事業は
東北や南九州に対する"侵略"行為でしかなかった」(26~27ページ)
さらに「〈百姓=農民〉という捉え方は、根本的に間違っている」。
これまで、江戸時代は農業を中心とした社会であり、大名は農民から厳しく年貢を収奪していたと考えられてきました。確かに「百姓」を農民と考えれば、人口の八十パーセントが農民になりますから、そのような解釈が生まれるのは当然です。しかし、私は全国的にさまざまな事例を調べているうちに、実際には田畠で穀物を生産する厳密な意味での農業人口は全体の半分以下で、江戸時代は高度な商業と産業、流通・金融組織を発展させた経済社会ではないかと考えるようになりました。そうすると、これまでの江戸時代像は一変せざるを得ませんし、それはまた近代以後の日本社会に対する見方を大きく変えることにもなります。「百姓」の一語に対する理解は、歴史にそれほど大きな影響を及ぼしてくるのです。 (87ページ)
確かに、そうとでも考えなければ、明治維新後、
わずかな時間で西欧の科学技術を取り入れるどころか、改良まで果たし
自国の隅々にまで行き渡らせた、あの神がかり的な躍進は、説明できない。
さらに著者は、
ならば、なぜ「百姓=農民」という〈誤った常識〉は、作られてしまったのか?
その作為の裏にあった、日本独自の社会構造について、どんどん掘り下げていく。
まさに、《快刀乱麻を断つ》の明快かつ納得できる歴史観である。
ところが・・
今なお、彼の提唱する「本当の歴史」は
梅原猛氏の「怨霊史観」や井沢元彦氏の「逆説の日本史」ほどではないにしても
いまだ、歴史学のメインストリームになり得ていない(はず)。
それこそ、〈歴史資料〉のみを"聖遺物"のごとく絶対視し
史料に記された「真実???」以外を断固として認めようとしない
〈史料原理主義学者〉たちの"成果"でもあるのだが・・
これについて書き始めたらキリがないので、このぐらいにしておこう。
とにもかくにも、わずか200ページ少々の文庫本、一冊のおかげで
ギッシリと中味が詰まったひと棹の《抽斗》を、手に入れることができた。
これを"喜び"と呼ばず、なんと呼べようか。
だから、今日も、明日も、明後日も、
おそらく死ぬまで読み続け、勉強し続けるのだ。
ちなみに、ある分野でそれなりに成功した人物が欧米に渡り
同じ分野で新たな知識や技を吸収しようとしたとき
「勉強しに来ました」なんて言うと、バカにされるんだってさ。
「〈勉強〉とは未熟な人間がするものだから、いい大人が口にしてはならない。
勉強ではなく〈リサーチ〉と言ってください」とのこと。
――価値観の違いを、実感するなぁ。
いいじゃん、勉強で。
上から目線でそっくり返ることが《大人の証明》ではないだろうに・・。
なんて、"永遠の若輩者"は今日も少しだけ怒ってみせる。
ではでは、またね。