まだ、終わってほしくない。
なのに、ページを繰る手が止まらない。
――久しぶりに、そんなやるせなさを胸に抱えながら、読了した。
ひとりの将棋指しと、彼を巡る様々な人々の物語だ。
読者は、彼と一緒に将棋に出会い、魅了され、裏切られ
別れと出逢いを繰り返しながら、ひとつしかない人生を、歩んでいく。
いっぽうで、身元不明で発見された遺棄死体の正体を追求し
日本中を訪ね歩く2人の刑事の日々が、描かれる。
この2つの〈足取り〉が重なり合ったとき
そこに立ち現れる光景は、いつかどこかで見たような姿をしている。
ところが物語は、さらにそこから、一歩、二歩と、踏みだす。
そして〈あくまで予定調和に乗りながら、少しずつぶち壊していく〉
力強さが、いつまでも心に残るのだ。
・・というような、一歩引いた冷静な能書きを垂れてはみたものの
実際のところ、下巻の残り100ページを切ったあたりからは
別の意味合いで〈ハラハラドキドキ〉しっぱなしだった。
それは――あとこれだけっきゃないのに、どうやって終わらせるんだよ!?
文字通り、手に汗を握りながら、読み進んでいたのだ。
そして、最終ページにたどりついた、次の瞬間。
何の予告もなしに「投げっぱなしジャーマンスープレックス」をくらった
新米レスラーのように、私(読者)は、言いようもない《喪失感》に直面する。
え・・・・ここで終わるのか?
確かに物語としては閉じているけど・・、でも、佳介は? 石破は?
――もっと、この先を、教えてくれよ!!
そして、ここにいたって初めて、自分がどれほど登場人物ひとりひとりに
気持ちを重ねていたのか、という事実を思い知らされる。
そう。読者は、登場人物たちの〈その後〉を考えざるを得なくなるのだ。
結果、長い長い余韻が、心の奥底で響き続ける。
少なくとも私の中で、この物語は、まだ終わっていない。
なお、本書をパラバラめくってみれば気づくと思うが
作品の途中、何度か将棋の対局シーンが描写されており
駒の位置を表す「☖☗マークと数字の組み合わせ」が登場する。
将棋に関してあまりよく知らない、という人は
この記号を見ただけで、多少の苦手意識を抱くかもしれない。
もちろん、頭の中に将棋盤がパッと浮かび
書かれた通りに、スイスイ駒を動かせる方であれば
この小説の面白さは、さらに膨らむことだろう。
しかし、だからといって臆することはない。
私がそうであったように、いちいち頭の中の将棋盤に駒を置いて
その意味をじっくり考えるのがもどかしくなり、途中でその作業を放棄。
前後の言葉を拾うだけに留めたとしても、充分以上に楽しめることを保障する。
最後に、文庫版特典ともいえる解説も、秀逸だ。
書いた人は、ご存知、羽生善治。
作中に登場する「壬生竜昇」のモデルにもなった、人物である。
だが、ここで本人は”モデル”についてひと言も触れない。
代わりに、次の名言で締めくくっている。
これ読み返すたび、己の書き散らした駄文が、恥ずかしくなる。
「人が魅了されている姿に人は魅了される」。
この作品の多くの登場人物は将棋に、捜査に取り憑かれ、追いかけてゆく。
しかし、目的地やゴールはない。
ただひたすらに向日葵の咲く場所を追いかけ続けてゆく人々の姿がある。
ではでは、またね。