「後始末」しかできないこの国の、為体(ていたらく) 本日の”なんだかなぁ”

連日、不名誉な”記録更新”を重ねる

この国の「新型コロナウイルス感染者数」。

声高に非難する人々の視線は

専門者会議の意見を無視してGotoキャンペーンを続ける

政府関係者(主に菅総理)に集中している。

 

しかし、最も大きな声を上げるべきは、「そこ」なのか?

 

自粛自粛の掛け声と、互いに密告し合う〈暗黙の監視網〉に盲従して

すべての経済復興プランを即刻ストップ。

お得意の同著圧力を強めて、先の見えない”自主的なひきこもり”を強要。

厖大な数の商店や企業を底なしの経済危機に引きずり込み

その結果、未来への希望が見いだせぬまま

次々と自らの命を断っていく若者たち〔モノ言わぬ犠牲者〕らの屍を

賽の河原の石塔のように、黙々と積み上げていく。。。。

それが、この春先から半年以上もの間

ひたすら耐え忍んできた私たちが手にする、《我慢の対価》なのか?

 

違うだろう。

 

偶然か、生活習慣か、はたまた民族が獲得した免疫効果のおかげなのか

この半年余り、我々日本人は、新型コロナによる犠牲者数を

欧米諸国より1ケタ以上少ないレベルに留め続けることができた。

では、その間に、最もやるべきことは、何だったのか。

言うまでもない。

今後、いつ急増するか分からない感染者(重症者)を確実に受け入れ

最も適切とされる治療をほどこすための、受け皿づくり。

つまり、新型コロナ患者に対応できる入院&治療施設および

そのために必要な医師・看護師の充実、だったはすだ。

 

だが、現実はどうだ。

日本国内における重症者数は、12月9日の時点で550名に到達。

その知らせを受け、至る所から「もはや受け入れ態勢は限界」「医療崩壊が始まる」

という悲鳴のような訴えが上がっているが。

実はこれ、今年5月半ばに記録した重症者数276名の、2倍にすぎない。

あえて「すぎない」と言い切った意味を

どうか正しく受け取ってもらいたい。

 

中学生なみの頭の持主なら誰でもが最重要課題と理解できる

「コロナ渦における医療訂正の拡充」に

この国を動かす人々は、なぜか、まともに取り組んでこなかったのだ。

 

それどころか、採算度外視でコロナ患者の受け容れた医療機関と医療従事者に対し

少なくとも当初は、なにひとつ報いようとせず。

「コロナ患者を受け入れた結果、経営危機に陥ってしまった」という

まるで笑い話のような事態まで引き起こしてしまう。

その後も、医療関係者への「丸投げ姿勢」はほとんど見直されることなく

この期に及んで、「看護師がどんどんやめていく!」「医療崩壊が始まる!」

などと、当然予想できた現実を前にパニクっている情けなさ。

そんなの、あんたたちが、一番大変な思いをする人たちに

適切な補償やサポートをしてこなかったらに、決まってるじゃん。

 

もちろん、いずれ劣らぬ優秀な学歴を誇るみなさん(特に官僚)のこと。

感染爆発という事態が到来する可能性が、頭になかったはずはない。

では、なぜ未来に立ちはだかるリスクを予測しながらも

有り余る(数十兆ぐらい、どうにでもできるでしょ?)予算を

新型コロナ患者受け入れ&治療体制の大規模な拡充に

つぎ込むことができなかったのか?

 

それこそ、たぶんこの国の致命的な「欠点」のひとつだ。

ひとことで言うと、こんな感じだろうか。

――今、目の前に存在する現実に対してしか、動くことが出来ない。

もう少し具体的には・・

「すでに起きてしまった事態には、お金を出せる」が

「それがどんなに危険なことであろうと、まだ起きていないことには、

 可能なかぎり、お金を遣おうとしない」のだ。

 

こんな幼稚なやり取りが交わされていたとしても、私は驚かない。

 

官僚A「確かに、重症者が一気に増えたら、入院施設もベッド数も充分とはいえない。

    でも、少なくとも、今のところは問題ないんだろう?」

官僚B「ま、そりゃそうなんだけどね。

    だからって、ほっとくわけにもいかないでしょ」

官僚A「でもさ、慌てて大金を投入して、受け入れ態勢を万全にしたところで

    コロナの流行が収まったりしたら・・それ、金をドブに捨てたのと同じだ。

    最悪、俺たちは〈オオカミ少年〉呼ばわりされかねないぞ」

官僚B「なるほど。だったら、いま生活に行き詰っている企業や国民に対して

    適切に補償したほうが、確実でハズレがない方法ってワケか」

官僚A「そういうこと。もちろん、医療機関に対してもある程度の援助は必要だ。

    しかし、最優先なのは、いま国民が感じている不安を軽くすること。

    患者が増えたときは、そのつど柔軟に対応していこうじゃないか」

 

政治の舞台裏など覗いたこともないド素人オヤジの妄想に過ぎないが

そんなに大きくハズレていないんじゃないか、と思ってる。

 

だって、思い返してみてごらんよ。

阪神淡路大震災のときも

東日本大震災と福島の原発事故のときも

政府がやったことといえば

目の前で起きた問題に対する「的外れな後始末」だけ。

ほかには、〈復興の名を借りて大企業に丸投げした土木事業)くらい。

それもまた、気持ちいいほどマト外れだった。

故郷とは似ても似つかぬ高台の上に新興住宅地を造成して

いったいどれくらいの住民が、喜んで戻ってくると思ってるのか。

100年しか保たない巨大なコンクリートの壁で

どうやって1000年に一度の大津波が防げるのか、教えて欲しいよ。

 

いつも、いつも、その場しのぎの片手間対策ばかり。

空いてる方の手は、ずーっと目先の金を巡るソロバン勘定で大忙し。

数年先、数十年先まで考えた長期的なプランなんぞ、どこにもありはしない。

哀しいけど、それがこの国の「政治」の正体なんだよね。

 

だからさ、やっぱ、お上に頼らず

ひとりひとりが、他人の意見に従うのではなく

しっかり自分の頭を使って、生き残れる道を見極めていこう。

――そんな、慰めにもならないスローガンを発信するしかないわけ。

 

ではでは、またね。