”異常すぎた"からこそ、我々は生まれた 『不自然な宇宙 宇宙はひとつだけなのか?』須藤靖 周回遅れの新書Rock

本を読みながら

表紙裏あたりに貼り付けておいた付箋を使って

「なーるほど!」「知らなかったなあ・・」「うそ、マジかよ!?」など

眼と心が立ち止まった箇所をチェックする、という習慣が

かれこれ40年以上続いている。

でもって読了後(毎月読み終えた書名を記録したあと)

付けた付箋を取り除きながら

〈やっぱ面白いなぁ〉と思った文章について

よせばいいのに、わざわざキーボードを叩いて書き写している。

たぶん読書よりも長い時間を、この「書き写し作業」に費やしているはずだ。

そんなことやってもムダだよ・・

と、頭では理解しているのだが、どうにも止めることが出来ない。

 

でもって、本書。

読み終えた後の率直な感想は

「・・うーん、わかったような、わからんような」。

 

我々が暮らす宇宙〈ユニバース〉の外側?には

マルチバース〉と称される幾つもの(ほぼ無数の)宇宙が存在し

さらにその外側?には、我々と因果関係を持たない〈レベル2マルチバース〉が

もひとつ時間経過に従って分岐する多世界(よくSFに出てくるネタ)が作り出す

〈レベル3マルチバース〉までもが存在している(はず)というのだ。

 

よく聞く〈シュレーディンガーの猫〉のおかげもあり

どうにかこうにか、このあたりまでは呑み込むことができた。が・・

続く「量子自殺」「並行宇宙は加算無限個か」「レベル4マルチバース

のトリプルアタックまでくると、もうイケナイ。

全文理解は放棄し、《理解できるとこだけ読むモード》に切り替えた。

そんなわけで、個人的な基準からすると

とうてい本書はブログに取り上げる条件を叶えていないはずだったのだが――

 

読了後、ルーティンワークの〈書き写し作業〉にとりかかると

付箋でチェックした部分の抜き書きが、スイスイと頭の中に入って来たのだ。

ぶっちゃけ、理論や計算などの途中経過を全部すっとばし

結論パートだけを並べたわけだから、そりゃ理解しやすいよね。

 

んで、この〈結論シリーズ〉を書き写して初めて判ったことが面白かったから。

改めて、この文章を書くことにした、というわけだ。

・・・なんとまあ、長い前置きだろうか。

 

いいかげんバテてきたので、要点だけいくぞ。

 

私たちの暮らす世界は

1センチメートルの生物を中心として

30桁大きい巨視的世界と30桁小さい微視的世界の先で

いずれも宇宙につながっている。

つまり、世界全体の構造は

自分の尻尾をくわえた一匹の巨大なヘビ(ウロボロス )で表現できる。

 

んで、例えば陽子の質量と惑星・恒星の質量が60桁も違うために

現在知られている「4つの力」のうち

重力と電磁気力の強さの違いも40桁近く違うという

極めて「不自然(偏った?)な宇宙」が創り出された。

だが、その極端な偏りこそ、生命誕生への必須条件だった、というのである。

 

言い換えれば、重力と電磁気力が40桁近くも懸け離れていたおかげで

我々人類につながる生命は誕生することできた、ってこと。

例えばこの偏りのおかげで、生命の主成分「炭素」が大量に存在できたという。

 

他にも、大気の光を吸収する波長帯が、わずかにズレただけで宇宙からのX線やガンマ線が地上に降り注ぎ、人間(生命)のタンパク質は致命的な損傷を受けたか、不透明な大気の中で、今とは異なる「視覚」を発達させることになった。

水の特殊性(液体の密度が固体よりも大きい)のお陰で温室効果が抑制。

生命維持に必要な適温が立たれた。

絶妙の量の水が、生物の発生と進化(海で生まれ陸へと進出)をもらたした。

――などなど、《奇跡の連続》なしに人類出現は有り得なかった、と記されている

 

人間の存在は、宇宙を支配する物理法則に加えて、無数の偶然の積み重ねに依存しているという結論です。しかもこれらの偶然はいずれも、普通に考えると滅多に起こらないと思われるほど可能性が低い事象です。これらの多くの偶然の1つでも起こらなかったとすれば、我々人間が誕生することはなかったかもしれませんし、全く異なる形態の生物となっていたかもしれません。

このように、あたかも奇跡であるように思えるこれらの偶然が実現した例外的な惑星であるからこそ、我々はこの地球の歴史にの謎に首をかしげているわけです。そのような偶然を経験しなかったごく平凡な惑星を想像してみれば、そこには生物あるいは知的生物が存在しない可能性が高そうです。とすれば、知的生命が存在している惑星は、何らかの偶然が連鎖的に重なった不自然な歴史をたどっていることになります。

その結果、この宇宙の他の惑星に知的生命が存在したとすれば、それらもまた我々地球人と同じく、「なぜよりにもよってこの惑星にはありえないほどの偶然が実現してきたのだろう」と悩んでいるに違いありません(191~2ページ)

 

本書の主題は、無数ともいえる「マルチバース」の存在についてだが

あいにく私が飛びついたのは、生命誕生を巡る《偶然に次ぐ偶然の連鎖》だった。

なので、そちらのほうをピックアップさせていただいた。

あしからず。

 

また、この〈奇跡的偶然〉の帰結として著者は

「こんなにも膨大な数の宇宙〈マルチバース〉が存在する(と推測できる)のだから

いかに条件が厳しかろうと、人類以外にも数多くの知的生命がいるはずだ」

と展開させ、ファーストコンタクトの可能性が少なくないと論じている。

しかし私は、むしろ〈奇跡的偶然〉だからこそ

我々が異星の知的生命体とコンタクトできる可能性は、極めて少ないと考える。

 

理由は、いたってシンプル。

マルチバース〉の存在によって

たとえ知的生命の住む惑星が数百・数千万・数億に達しようとも

そもそも分母の〈マルチバース〉がほぼ無限大なのだ。

これでは、どれほど分子の「知的生命惑星生数」が多数カウントされようと

まさしく焼け石に水

”大砂漠に紛れた1粒の砂”より密度的には低くなり

我々人類が他の「砂粒」と遭遇する確率もまた

果てしなく小さなレベルに留まるはずだ。

3次元的な距離の隔たりだけでなく、時間的な隔たりも無視できない。

なにせ我らが宇宙の年齢は、推定138億年。

対する人類の(文化的な歴史)は、たかだか5000年。

科学的に宇宙研究が可能になったのは、さらに短くルネサンス後。

500年そこそこでしかないのだから。

・・同様の考察は、本ブログの初期でもトライしている。

興味があれば、ぜひそちらもナナメ読みしてほしい。

 

ともあれ、こんなに面白い内容なのに、ハードル高すぎ。

もうちょいシロート向けに、読みやすく噛み砕いてくれると助かったなぁ。

ぜひとも次は、数式やらグラフ抜きの『青少年”向けバージョン』を!

 

ではでは、またね。