〔老いる〕とは、「身体が心に追いつけなくなる」こと 本日の”なんだかなぁ”

先月、とうとうビートルズの曲で歌われる年齢に達した。

個人的には、4年前に還暦を迎え

長女&次女一家から「赤いちゃんちゃんこ」ならぬ

「黒いリュックサック」をプレゼントされた時よりもショックだった。

(旅行好きな私に、”これを背負って放浪の旅でもいかが?” という意味だと思う)

 

なにより恐ろしいのは

60代半ばという年金世代ににじり寄っているにも関わらず

精神状態〔気持ち・心〕のほうは

――少なくとも自覚している範囲では――

10代20代の頃とほとんど変化(成長)が実感できない、ということだ。

 

その反動・・なのだろう。

最近10年ほどのことだが、日々の暮らしのなかで

ときどき、いわば〈心と身体のズレ〉に直面するようになった。

 

例えば、全力で走っているつもりなのに、愕然とするほどスピードが出なかったり。

倒れかけたコップを見事キャッチ!・・したはずが、一歩及ばず取り損ねたり。

といった身体機能の衰えは、誰もが体験する老化現象なのだが。

私の場合、それに加え、なにせ〈意識がガキ〉なものだから

40~50歳も年下の相手に対しても、タメ口を使ってしまったり

いまだにマンガやアニメに熱中しラノベの新作を待ち望む、などという

まさに《中二病真っ盛りな精神状態》にあるのだ。

――いいのか、そんなんで?

 

よかったんだよ。これまでは。

しかし残念ながら、この〈心と身体のズレ〉は、年々その幅を拡大させてゆく。

その結果――毎朝鏡に映る自分に会うたび、シミの浮いた顔に呆然とし

坂道や階段を登っただけで、ずーんと重くなる足腰に唖然とし

2~3時間パソコン画面を見ただけで、ぼやけてくる視界に愕然とする。

そのたび私の中の〈少年〉が、”これってなにかの間違いだよね!?”

と、非難の声を上げる。

 

そう。いつまでも若くあり続けようとする心(精神)に

身体(現実)が、追いつけなくなってきたのだ。

ひょっとして、それこそが「歳を取る=老いる」ということなのか?

 

それにしても、こんなにもチグハグでヘンテコな感覚に襲われるのは

私だけなのだろうか。

あるいは、誰もが歳を重ねるにつれ

同じような〈心と身体のギャップ〉を抱えるようになる。

それでも表面上は平静を装い、立派な大人(老人)を演じているだけなのか?

もし、そうだとすれば。

「老人」とは、どうしようもなく滑稽な存在なのかもしれない。

 

いずれにせよ、私のなかの”青二才”は

どうやら死ぬまで成長することを拒み続けている。

こうなったら、年々衰える身体にムチを入れ

行けるところまで、追い掛けていくしかないようだ。

果たして〈その先〉に何が待っているのか――

機会があったら、ぜひ報告したい。

 

ではでは、またね。