手の届くところには、いつも
「小説」「それ以外の本(エッセイ・ルポ・紀行・歴史・学術etc.)」「コミック」の
3点セットがあり、状況に応じとっかえひっかえ読む毎日だ。
ようするに、重度の活字中毒者に他ならない。
なので、このところ小説への言及が途絶えがちなのは、読んでないからではなく
単に〔取り上げたくなるほど心に響く小説に出会えてない〕だけのこと。
否定からは何も生まれない。そう信じている。
てなわけで、「次女一家の訪問」と「本の雑誌12月号」で滞っていた
『変わらないために変わり続ける』を、本日ようやく読了した。
5日前に書きそびれたことに加え
またも〈目からウロコ体験〉が出来たので
そのあたりのワクワクドキドキについて、ちびっと語りたい。
いちばんガツン!ときたのは
本文ではなく 「変化するものが逃げのびる」と題された
(おそらく文庫版用の)あとがき。
ここでハカセは「生命」を
"ほっとくと転げ落ちる坂道を登るリング"にたとえている。
いったいどうやって生命=リングは、重力に逆らって坂道を登るのか?
そのからくりを、ハカセは
「たえず自らを変化させながら存在し続ける動的平衡システム」を使って解説する。
つまり、上り坂に接するリングを少し削り(破壊し)反対側を少し足す(生成する)。
この〈破壊⇒生成〉を常に繰り返すことでリングを回転させ、坂を登り続ける。
言い換えれば、生き続けている、というのだ。
なるほど、ハカセが唱える「動的平衡」は、そんな風にビジュアル化できるのか。
確かにそのほうが、イメージしやすく分かった気になるぞ。
(「動的平衡」については5日前に紹介したので、??な人はそちらを参照のほど)
――と、納得したのも束の間。
ドキっとしたのは、これに続く文章である。
分解と合成を同時進行させならが、坂を逆行する弧。
このモデルで、弧が坂を登るためには、つねに分解が合成を先回りして起こっている必要があるけれど、これがずっと続くと、弧の全長はすこしずつ短くなっていかざるを得ない。
つまり生命の環は必然的に有限の時間しか坂を登り返せない。これは個々の生命体に寿命があることに理由になる。(304ページ)
そう。生命は動的平衡によって命を継続させている。
ほぼ確定しつつある、この前提を認めた場合
『タイムリミットがあるからこそ私たちは生きていける=不老不死などあり得ない』
という結論もまた、受け入れざるを得ないのだ。
実は、物心つく頃から
「俺が生きているうちに不老不死が実現しないかなぁ」と願い続けていた。
そして
〈私たちを形作るすべての細胞には
再生回数を決める=生命の寿命を決定する遺伝子〔テロメア〕が付いており
1回再生するたび、ひとつながりの回数券がちぎれ落ちるように短くなっていく〉
などという生物学上の新発見を知ったときにも
「じゃ、そいつを長~く作り変えればどこまでも長生きるできるかも!」
とか、一縷の希望を抱いていたのだが・・
うーーーん、やっぱダメかぁ。
凧のしっぽを継ぎ足すみたいにテロメアを長く改造できたとしても
たぶん他の致命的な問題(急激に細胞のガン化が進かんだり)が発生するのだろう。
《生きることとは、限りあること》
そんな、常識人にとっては当然自明のことを
いまさらながら痛感(ガックリ)してしまった次第である。
もうひとつ、今さらながら発見した、これまた自明の理!?
大統領就任からの4年間で山ほど凝りたはずなのに
なぜアメリカ国民の半数近くがドナルド・トランプを応援するのか?
この疑問に対する、明快な解答だった。
少子化・人口減少の日本を尻目に、アメリカの人口はますます増加し、ハカセが学校で習った頃は二億人だったものが、今や三億人。そのほとんどが移民勢力による人口増なのだ。
ニューヨーク市に限って言えば、すでに白人の比率は50%を切り、ラテンアメリカ、アジア、黒人が優勢になっている。ニューヨーク市の優秀公立中学・高校のアジア人率(それも中国と韓国」は半数を超え、目を見張るものがある。
つまり、トランプがどれほどアメリカ・ファースト、白人優位主義を目指しても、アメリカ自体の大きな生命力の潮流には逆らえないのだ。
長い目でみると、トランプ政権は、時代の変革期に咲いた最後のあだ花になる可能性が高い。(305ページ)
そっかー。
2016年から今年まで続く
アメリカ合衆国における異様なまでの「トランプ人気」を支えていたのは
〈古き良き昔を取り戻したい白人中高年層たちの"最期の悪あがき"〉だったんだ!
国際政治から歴史家はては哲学者まで、実に様々な分野の〈専門家〉たちが
トランプ人気の不可思議さについて、あれこれと分析してくれたけど
かくもシンプル&ストレートな「正解」には出会ったことがない。
しかもこれ、奥付を見る限り2年半前の2018年1~2月に書かれたもの。
恐るべし――、福岡ハカセ伸一!
モノゴトは、一緒になって熱くなるより
離れたところから、冷静かつ客観的に考察したほうが
〈正しい姿〉を捉えやすいやすいようだ。
ではでは、またね。