「数字」だけ取り上げて騒ぐのは短慮 本日の”なんだかなぁ”

3日も続けて似たような内容になるのは避けたかったが

相次ぐ〈新型コロナ感染者数急増〉の知らせに

「過去最高の感染者数!」「すわ、緊急事態宣言か!?」など

恐怖ばかりを煽るマスコミ各社の報道に耐えられず

とうとう《コロナ三部作》となってしまった。

ついでに「GoTo利用者の自己弁護」とも受け取られない

前日&前々日の内容についても、併せて補足していきたいと思う。

 

とにかく、いの一番に訴えたいのは

《”昨日の数字”と”今日の数字”は同じではない》という自明のこと。

マスコミはしきりに「第三波」「第三波」と連呼しているが

「第一波」「第二波」の時に比べると

新型コロナ感染症自体の研究・対策も、感染者の治療に関する技術・ノウハウも

ケタ違いに前進している事実を、すっかり忘れている。

 

たとえば、現在日本国内で感染拡大を起こしている新型コロナウイルス

「東京型」と呼ばれる変異種だ。

このタイプは、今年の始めに大型クルーズ船などで猛威を振るい

多数の犠牲者を作り出した、いわゆる〈初期型〉とは異なり

感染力は非常に強くなった半面、感染しても大多数は無症状か軽症どまりという

いわば〈軽くて素早い(感染が)進化〉を遂げたもの。

無症状(無自覚)ゆえに感染が拡大した、と考えられるのだ。

その証拠に、感染者数こそ増やしているが

全感染者に対する重症および死亡者のパーセンテージは、大きく低下している。

 

にもかかわらずマスコミは、これら感染者の内実を完全に無視。

全期間に渡って、まったく同じ重さを持つ数字とみなして

「過去最高だ!」「第三波が来る!」「ただちにGoToから除外せよ!」など

自分の頭で考えることを放棄したとしか思えない

〈感染者数原理主義者〉とでも言うべき強圧的な論調を繰り返している。

彼らが大騒ぎしている「感染者数」の圧倒的多数が

いまや元気いっぱいの〈無症状者〉や

ときどき咳が出たり微熱を発する程度の〈軽症者〉に過ぎないというのに・・。

 

もう、こんなバカバカしい”から騒ぎ”には、見切りをつけたい。

一部の識者が半年前から主張していたように

「感染者数」ではなく「入院患者数」か「重症者数」をカウントし

これを犠牲者数とセットにして公表するべきだ。

どのみち、これまで集計された「感染者数」の背後には

数倍・数十倍もの〈検査から漏れた感染者〉がいるのだから。

気休めにしかならないPCR検査を増やすんじゃなくて

その金を、体を張って最前線で頑張っている医療関係者に振り分けてくれ。

 

そう。5月~6月にかけて、このブログで書いたことと、ほぼ一緒だが

なによりも重要かつ真っ先に力を入れるべきことは

発症した患者を受け入れる「医療体制の充実」と「人員の確保」。

積極的な予防対策によって感染拡大を最小限に抑えてきたのは

この体制を充実させるための〈時間稼ぎ〉の意味合いが、最も大きかったはずだ。

ところが実情たるや、ほとんど各医療施設に丸投げしたまま。

あまりにも過酷な仕事内容に、医師も看護師も耐え切れず

櫛の歯が抜けていくように、現場から必要な戦力が去っていく。

やっと助成金(一時金)を支給するところも出てきたが、文字通りの雀の涙。

しかも、コロナ患者の受け入れ体制を整えた医療施設の方が

対応するのは面倒臭いとばかりシャットアウトした病院にくらべ、収入が激減。

経営危機に陥ったところも少なくないという、本末転倒の事態が起きている。

政府が、必要なポイントに充分な予算を振り分けていないためだ。

当たり前のことだが、可能な限りすみやかに仕事内容に見合った待遇改善を実行し

欧米同様、退職者の再雇用も加味した〈受け皿の充実〉を切望する。

 

たとえ誰もが期待している「ワクチン」が、近日中に完成したとしても

実際に摂取が始まるのは、早くても来年の春以降。

しかも、新型コロナの場合、わずか2~3カ月で免疫効果が失われる

という研究結果も発表されている。

もしこれが普遍的な特徴だとしたら、ワクチンも最終兵器にはなりえない。

となると、いま実行可能にして最もマシな対策は

「医療体制&人員の拡充」に尽きるのだ。

 

ついでに、以下のことも書いてしまおう。

 

「このままだと大変なことに!」

「年内に数万人の犠牲者が出るかもしれない!」

などなど、オオカミ少年”そこのけの警告・警鐘を大声で叫ぶ人は

いつの時代も後を絶たない。

なぜなら、彼ら彼女らの予想がかすりもしなかったとしても

「当たらなくてよかった!」と、責任逃れの言い訳ができてしまうから。

 

反対に、「そんなに心配する必要はない」「きちんと対処していれば大丈夫だ」

みたいな、いわゆる〈楽観論〉を主張する側の場合。

まんいち予想が外れたとき、悲観論者のような”逃げ場”がない。

最悪、「こんなコトになったのはお前のせいだ!」と攻撃の的にされてしまう。

 

だから、何を言いたいのかというと。

ゴルフに引きこもるアメリカ大統領を擁護するわけじゃないけど

〈悲観論〉より〈楽観論〉を打ち出すほうが、覚悟が必要だ、ってこと。

顔を出して意見を述べるコメンテーターたちが

口をそろえて〈悲観論〉を合唱するワケも

案外、そんな下らないところにあるのかもしれないなー。

 

ではでは、またね。