”変化”を怖れるな 『変わらないために変わり続ける』福岡伸一 周回遅れの文庫Rock

10年ほど前、『動的平衡』という題名の書物に接して以来

例によって〈周回遅れ〉ではありながらも

福岡ハカセの著作はフォローするよう、心掛けてきた。

そしてまた、7~5年前に週刊誌で連載された記事をまとめた本書で

忘れかけていた衝撃に出逢うこととなった。

 

そうなのだ。

私たちを含めたすべての生き物は

エントロピー増大という万物に課せられた宿命から逃れるために

率先して破壊⇒再生を繰り返すことで、”生きている状態”を維持する存在なのだ

 

本書の冒頭でも

動的平衡とは、たえず小刻みに動きながら、全体としては恒常性を保っている状態のこと。生命が環境に対して常に適応的・可変的であり、損傷を受ければ修復しようとし、欠落が起きればありあわせのもので補おうとし、病気になれば(変調が起きれば)――それは熱や血糖値やイオンレベルがある一定の範囲を外れること、つまり平衡が乱れること――、それを回復しようとすることであり、これこそが生命を生命たらしめている特徴だといえる。(11ページ)

と、その概念を分かりやすく紹介している。

 

例えば、私たちの全身の細胞は、常に少しずつ破壊(死滅)&再生が行なわれている。

細胞の死骸(不要物)は、血流に乗って腸へと運ばれ、便となって毎日排泄される。

こうして、およそ3カ月をかけ、すべての細胞が新しく作り直されている。

つまり、細胞レベルで考えると、「3カ月前の私」と「現在の私」は

ほぼ100%別の物質で形成されている、というのだ。

(記憶も、特定の細胞に蓄積されるわけではなく、脳神経が形作るネットワーク中に

 存在しているらしい。よくわからんが、クラウドみたいなもんか?)

 

また、従来は単なる寄生生物だと見なされていた「腸内細菌」も

いつの間にか、人間の生命活動に欠かせないパートナーの地位に昇りつめている。

私たちのウンチは何でできているか? 実は大半は腸内細菌の死骸。残りの大部分も私たち自身の細胞の死骸である。だからウンチの中のDNAを解析し、その中から自分自身のDNAを引き算した残りが腸内細菌のDNA情報となる。

その結果、ヒトの消化管内にはおよそ百兆個の腸内細菌が棲みついていることがわかった。この数はヒト自身の細胞数六十兆個を遥かに凌駕している。種類は一万種。しかし雑多ではない。限られた系統の菌だけが選抜されて定着しているのである。これは、ヒトとその腸内細菌が進化の長い時間をかけてせめぎ合い、協調しあいながら均衡を見いだしたことを示している。(73ページ)

さらに福岡ハカセは、これら膨大な数の腸内細菌が、私たちの脳に影響を与え、それが行動の違いにも現れてくる、という。

まさに『寄生獣』の世界そのものだが、れっきとした事実なのである。

 

んで、ただいま人気絶頂の新型コロナウイルスに代表されるウイルスもまた

病気や死を運んでくるだけの疫病神ではなく

なんと、三十数億年かけて続く進化の歴史のなかで

あえなく滅亡した種族?の〈置き土産〉だった!

という冗談はヨシコさん、みたいな説が主流になりつつあるのだ。

原始の海に漂う生命体はいくつもの大きな枝に枝分かれした。枝は独自の方向へ伸び、それぞれが太い流れをつくった。そして新しい種が生まれ、特別な進化を遂げ、大いなる繁栄を謳歌していた。しかし地球環境の変転は過酷を極めた。急激な気候変化。地殻変動。繰り返される氷河期。小惑星衝突。繁茂していた大きな枝は次々と折れ、焼かれ、ひからび、朽ち果てた。

その結果、大本の幹の大部分、四方八方に伸びた枝ぶりのほとんどは失われ、消えてしまったのである。つまり、現在、私たちが生物の教科書で習っている進化の系統樹は、三十数億年のあいだに生い茂った生命の大木のうち、かろうじて残ったほんの一部、奇跡のひと枝とそのについたわずかな葉っぱに過ぎないらしいのだ。

ところがである。生命はしぶとかった。枯れ落ち、消滅する運命にあった枝の上にあった生命体のうちごく一部だけは、生き残る道を見つけた。枯れ落ちる前に、かろうじて他の枝に飛び移ることによって!

それでどうしたかというと、その枝の、宿主となる生物の細胞の中に潜り込んだ。それからの長い潜伏期間の過程で、自分自身の遺伝子はどんどん削ぎ落とされて行った。

――こうして生まれたのがウイルスである。(58-9ページ)

興奮してるせいか、引用が長くなった。

なぜなら、こんな風に考えてしまったからだ。

かくも過酷な運命を背負いつつ、なお生き延びたウイルスたちなのだ。

彼らは、”未来への可能性を託された存在”なのかもしれない――と。

 

ここで話は最初に戻るが

まず、生命とは、”変わり続けることによってのみ維持できる状態”である。

だとすれば、新たな事態が発生するたび「元に戻そう」と大騒ぎし

ひたらすら変わることを拒み続ける我々人類は

本当に〈正しい方向を目指している〉と、胸を張ることができるのだろうか。

 

むろん個人的には、新型コロナに感染なんかしたくはない。

ましてや発症したあげく、人生を断たれてしまうことも

周囲に感染を広げたあげく命を奪ってしまうのも、ごめんこうむりたい。

 

けれども、そのいっぽうで

最期までひたすら、〈ワタクシの欲望〉を追い続けるだけで、ホントにいいの?

――とか。

もしも、「神の視点」みたいなものが実在するとしたら

今回のパンデミックは、人類という生命の進化に欠かせない”変化”を与える

〈ジャンピングボード〉のカタチをしているのかもしれない。

――なんて、おバカなことまで思い巡らせてしまうのだ。

 

またまた、風呂敷を広げすぎてしまった。

まぁ、”人類うんぬん”みたいな上から目線は脇に置いといて・・

少なくとも私個人としては、変化=脅威と決めつけず

変わることを怖れず、残された人生を歩み続けたい、と強く思っている。

 

尻切れトンボで悪いけど、今日はこのあたりで。

ではでは、またね。