複数の視点を持たないと見えないものがある 『テンプル騎士団』佐藤賢一 周回遅れの新書Rock

先日、塩野七生の『十字軍物語』(全四巻)を読んだので

手元にストックしてあった同書を手に取ってみた。

十字軍のシンボルといえる騎士団について

さらなる情報を得られるんじゃないか、程度の軽い気持ちだった。

 

だが、読了後の率直な想いは・・

なんだよ、これ!? 全然違うじゃん!――である。

 

もちろん、どちらかの記述が正しくないとか

互いの事実が矛盾している、などというクレームではない。

ただ、光の当て方を変えるだけで、こんなにも〈事実〉は違って見えるものか!

という、今さらながらの感慨だった。

 

一言で乱暴に紹介すると、テンプル騎士団とは

エルサレム巡礼に向う人々の保護のために設立された騎士団のうち

最も大規模かつ好戦的な組織のことである。

二世紀の間、八回にわたって行われた十字軍の中心的な勢力を果たし

ことあるごとに奪回を図るイスラム勢力と闘い続けた

キリスト教側最大の戦力であった。

 

では、ふたつの本のどこが、そんなに違って感じられたのか?

最も印象的だったのは、その終焉に関する描き方だった。

 

最初に読んだ『十字軍物語』では

13世紀のはじめ、懸命の籠城戦に力尽き

二百年間守り続けたパレスティーナ地方沿岸の占領地から追い払われた後。

失意のうち、故郷(団員の大半がフランス生まれ)に戻ったテンプル騎士団に対し

当時のフランス王とカトリック教会が中心となって

「神を冒涜していた罪」をでっち上げ

苛烈な拷問によって無理やり自白させてしまう。

その結果、明らかに捏造の疑いが濃厚だったにもかかわらず

テンプル騎士団の主だったメンバーは火あぶりなどの処刑に命を落とす。

そして、無理やり解散させられたテンプル騎士団がヨーロッパに持っていた

領地・財宝・金品など莫大な資産は、まんまとフランス王に横領されてしまった。

――早い話、《悲劇のヒーロー》的な描かれ方だ。

 

最終四巻の288ページに、次のような記述がある。

聖堂-テンプル騎士団に対する裁判は、

カトリック教会と王が組んでの「でっちあげ裁判」という点で、

この一世紀後に起るジャンヌ・ダルク裁判と双璧を成すと言われている。

ジャンヌ・ダルクのほうは近年になって、

ローマ法王庁は名誉を回復したばかりか聖女にもしたが、

聖堂-テンプル騎士団に関しては、今なお知らん顔をつづけている。

  

かたや、本書『テンプル騎士団」は

冒頭から、バリ市内に残る広大な《テンプル騎士団の城と領地》の痕跡を紹介。

2世紀に渡る「十字軍活動」を通じ、各方面からの寄附や寄贈によって

彼らがいかに莫大な富・資産・武力を獲得し

ヨーロッパじゅうにネットワークを張り巡らせた巨大組織を築き上げていた!

という実例を、次々と挙げていく。

つまり、強大な軍事集団であったことは確かだが

同時に彼らは、ヨーロッパじゅうに張り巡らしたネットワークを使い

政治力や経済力などすべてを持ち合わせた〈超国家組織〉を作り上げていたのだ。

 

領地や財産を横取りされたかたちのヨーロッパ諸国にすれば

それは、”不気味な軍事&政治組織”でしかない。

とりわけ、イスラム勢力との戦いに敗れ

当時最も組織化された大兵力と莫大な金銀財宝をたずさえ

目と鼻の先の巨大領地「タンプル」に居座られたフランス王にすれば

テンプル騎士団は、文字通り《殺らねば殺られる存在》でしかなかったのだ。

 

その結果、ローマ法王庁と組んで、なりふり構わぬ「罪」をでっちあげ

拷問による強制自白をタテに団長以下のトップを次々に断罪。

火刑や追放を連発することで、騎士団を解散に追い込み

「タンプル」はもちろん、ヨーロッパじゅうに築き上げていた

広大な領地・資産・金銀財宝を、我が物にしたのである。

 

――そう、《悲劇のヒーロー》というより

やり方こそ「だまし討ち」に近いが

権謀術数にたけたフランス王に権力闘争で敗れただけのこと。

ある意味、組織同士の〈必然的な淘汰〉と言えるものだったのだ。

 

長々と書いてしまったが

両者の差は、ものごとを「テンプル騎士団」の主観で描いたか

「フランス王」の主観で描いたか、の違いでしかない。

 

歴史も事件も、そして現実社会も

ひとつの視点だけでは、見えてこない「事実」が山ほどある。

 

ついでに、もうひとつ。

 

たまたまネットニュースで目にしただけなので

フェイクネタかもしれないけど

「良識の徒」から非難囂々のトランプ大統領

〔新たな組織を1つ作るなら、既存の組織を2つ潰せ〕という決まりを実行。

実際に、無駄な出費(要は既得権益)しか生み出さない組織を

数多く閉鎖することに成功した。

――という。

もしも、これが〈事実〉ならば

渦中の「新型コロナ対策」に関して何も具体的な方策を語らぬバイデン氏より

ある意味《実行力あり》と見てもいいような気がする。

 

4年前の前回選挙よりずっと前から《アンチ・トランプ》を貫いてきたが

確固とした約束や政策を口にしないバイデン氏に

なんとも言いがたい不安感を覚えてしまうのは、考えすぎなのだろうか。

ここにきて急増中のトランプ支持者も

そのあたりの”気持ち悪さ”を感じ取っているかも。

・・といっても、自分がアメリカ人だったら

敵を作ることで力を得ようとするドナルドには、やっぱ投票できないな。

 

ではでは、またね。