”自分だけは大丈夫”という思い込みが、いちばん怖い 「伊藤健太郎事件」報道への違和感 本日の”なんだかなぁ”

繰り返される自殺に、大麻所持

そしてひき逃げ事件と

売れっ子芸能人の相次ぐスキャンダルに

今日もマスコミは大騒ぎだ。

 

しかし、最近の芸能(有名)人に対する事件報道に

どこか危険な空気を嗅ぎ取ってしまうのは

私だけなのだろうか。

 

まるで「正義の味方」であるかのように

パリッとしたスーツを着こなした

元お笑いタレントのニュースキャスターが

「自分の車が事故を起こしたことを知りながら

 義務である被害者の救援にも向かわず

 あろうことか、その場から逃げ出してしまった。

 〈事件〉を〈事故〉にした、彼の罪は重い」

みたいな意見をカメラに向かってのたまっていたけど

それはさ、安全な場所にいる第三者だからこそ言える「正論」じゃないの。

 

ちょっとでいいから、想像してみてほしい。

23歳、大卒なら社会人1~2年生という若さだ。

それが大好きな(わざわざ自分で運転するんだから嫌いではないはず〉

ドライブの途中で、たまたま行く手への注意を怠り

2人乗りバイクと接触事故を起こしてしまった。

ここで、とっさに「当然の義務だから被害者の救助に向かえる」若者が

実際のところ、どれだけの数、いるのだろうか?

少なくとも自分だったら、現実をに受け入れることが出来ず

しばらくの間、運転席から出ることができないと思う。

だが、有難いことに、それだと〈現場を離れた〉わけじゃないので

「ひき逃げ」には相当しない。

 

しかし伊藤君の場合は、不幸にも、バリバリの売り出し中。

不祥事の不の字も起こせない立場であることを、誰より熟知していた。

最近のヒステリックな報道からもヒシヒシと伝わってくるほど

スキャンダルを起こした有名人への「容赦なさ」はハンパじゃないしね。

 

そこで――あくまでいち素人の推測だが――

〈自分が事故った事実〉を受け入れることができず

ワンクッション置いて冷静に考えれば

すでに「万事休す」だと悟ったはずなのに。

その場の興奮した精神状態のなか

つい、”なかったこと”にしたくなってしまった。

つまり、その場から逃げ出した――と、いうことではないのか。

 

言うまでもないが、決して伊藤君を擁護しているのではない。

それがどんなに過酷なことであろうと

起こしてしまった事件は、つぐなうしかないのだから。

ただ、テレビカメラやマイクの前のキャスターやコメンテーターのように

最終的な結果だけを捕まえ、まるで鬼の首を取ったように

「悪質なひき逃げ事件だ! 断じて許せない!」

と断ずる気には、どうしてもなれないのだ。

 

なぜなら、ぶっちゃけ、この程度の〈不注意〉。

いや、〈交通違反〉と言い換えてもいいが

自らがハンドルを握るドライバーであるならば

”やらかした”覚えは、1度や2度では済まないはずだからだ。

誰だって、「時間がない」と自らに言い訳して

制限時速を20キロオーバーしたり

踏み切前の一時停止を怠ったり

赤に変わったばかりの信号の下、アクセルを踏んで突っ切ったり

後方を肉眼で完全に確認しないままUターンしたり

・・それぐらいの〈交通違反〉、体験していない人の方が少ないだろう。

 

だが、そういうドライバーたちは。

己の運転技術に自信があればあるほど

「自分だけは大丈夫!」という根拠のない自信を胸に

今日も愛車をブイブイ飛ばしている。

そして、伊藤君のような有名人が起こした「事件」のニュースを横目で見ながら

(・・ドジなヤツだな)と、鼻で笑ったりするんじゃないか。

単に、これまではたまたま運が良かっただけ

という事実には、チラリとも考えを巡らせることもなく。

 

相変わらず話がズレまくり

何を訴えたかったのか、ボケボケになってしまったが。

ひとことで言うと――

「罪を犯す」か「犯さない」かの境界線は、とってもいい加減だ。

どんなに気を付けていようとも

《一線を越えてしまう=事故や事件の当事者となる》可能性は

例外なく誰にでもある、と訴えたいのだ。

あわせて、「加害者=悪」「被害者=善」という短絡的な考え方からも

そろそろ卒業してほしいと、切に願う。

 

いまなお世界中で猛威を振るう新型コロナ対策についても、しかり。

可能な限り徹底した対策を講じていようと

いつのまにか感染したり、他者に感染させるリスクは、決してゼロにならない。

だからこそ、『感染者=悪者』という「バカの一つ覚え」は

いいかげん改めてくれないだろうか。

 

ではでは、またね。