"わからないから面白い"ってことも、あるんだぜ 『盤上の夜』宮内悠介 周回遅れの文庫Rock

直木賞候補」「SF大賞受賞作」とのうたい文句に誘われ

〈エンタメ小説を楽しむモード〉で読みはじめると

軽いしっぺ返しを食らうはずだ。

途中のどこかで「・・んん?」といった迷子感に襲われ

数行あるいは数ページ遡って読み直したくなる。

そんな、ある種の〈てごわさ〉が伝わってくる作品だった。

 

正直なところ、全六作の短篇を読み終えた時点で

「そういう話だったのか!」と100%納得できたのは、半数ぐらいか。

その他に関しては、”理解しきれなかった何か”が残っている気がしてならない。

――ちょうど、頭の中のノド?に小骨が刺さっている・・かのように。

 

だが、その違和感は、決して不快なものではなかった。

むしろ、あとひと息で解けそうな謎だからこそ

もうしばらく抱えていたい、と思わせる〈魅力〉を秘めていたのだ。

 

うーん。なんか禅問答みたいになってきたな。

具体的な感想どころか、本の内容にすらも、ひとっつも触れてないし。

でもまあ、そんな日もアリか。

 

〈わかりそうでわからない〉本書の魅力について

もうちょい具体的な説明を試みるとしたら

羽海野チカ作『3月のライオン』の第6~7巻に登場する

棋士・山崎順慶のエピソードが、いいかもしれない。

主人公・桐山零が、新人王の座を巡って

四連覇中のディフェンディング・チャンピオン山崎と決勝戦を戦い

苦闘の末、勝利を収めるいきさつを描いたものだ。

 

ここで、敗者となった山崎が主役を張る7巻冒頭の話が、心に残っている。

己の人生を賭けてプロ将棋の道を歩み始めた彼が

どれほど努力を重ねても勝てなくなっていく

胸をかきむしられるような苦しみについて、こう独白した。

 

深く読むことは 真っ暗な水底に 潜って行くのに似てる。

「答え」は まっ暗な水底にしかなく

進めば進む程 次の「答え」は

更に深い所でしか 見つからなくなる。

昔は 潜れば潜る程「答え」が手に入って

恐怖より「欲しさ」が勝っていた。

――だが プロになって6年も経つと

まったく先に進めなくなってしまった今では

全身がちぎられるような思いをして潜っても

手ぶらで帰る事が殆どになった。

「見つかるかも」より

「またどうせ見つからないかもしれない」が勝った時から

リミッターの効いた努力しかできなくなった。

でも そんな俺を尻目に

桐山と二海堂は 当然の様に飛び込んで行く

――何度でも。

 

壮絶、という言葉が薄っぺらく思えるほど壮絶な

棋士たちの「答え」を求める姿が、これでもかと描写されている。

・・のだが

『盤上の夜』を100%理解するにはこうした努力を必要だ!

という話では、まったくない。

 

本書を読んでいて、脳裏にハテナマークが飛び交ったとき

ふと、『3月のライオン』の上記のセリフ。

『深く読む事は まっ暗な水底に 潜って行くのに似てる』が頭に浮かび。

――ほんっと。その通りだよな~~!

と、強烈な共感を抱いてしまっただけのことだ。

 

しかも、桐山たちの苦闘とは違い

潜った先の水底に確かな「答え」が待っていることは、間違いない。

だったら、これは、読むしかないでしょ。

けれど、すぐ読み返すなんて、もったいなさすぎる。

何カ月先になるかわからないが

第二作『ヨハネスブルグの天使たち』を手に取るとき

もう一度、最初からじっくり読むことにしよう。

少なくとも、それだけの価値はある作品だと、断言したい。

――最後まで内容には触れなかったけど。

 

ではでは、またね。