主語を取り換えては、次から次へと登場する、〈新型依存症〉たち。
それどころか、最近では、集中力が欠けているのも、意思が弱いのも
他者に対して攻撃的になるのも、引きこもりになるのも
ぜ~んぶ、〈『病気』にこそ真の原因がある!〉
などという、空恐ろしい論法が、じわじわと存在感を増しつつある。
この調子で〈病気ブーム〉がエスカレートしていくと
本人にとって都合の悪い(後ろに手が回りかねない)問題行動は
ことごとく、病気のせい。
つまり、心神喪失者による殺人行為同様
《一切の刑事責任は問われない》
⇒いかなる悪事を働こうと、病気による行為なので無罪放免!
てな感じの、〔やりたい放題天国〕が、到来してしまうかもしれない。
いったいどうして、こんなにも
"病気に支配された可哀想な被害者〈実は加害者〉たち"が
際限なく増え続けていくのか?
答えは、いたって簡単。
――そのほうが、儲かるから。
西原理恵子の『洗えば使える 泥名言』という本がある。
その54ページに記された「泥名言」は、つぎのひとことだ。
病気は作んなきゃ。
どういうことなのか、すこし引用しよう。
そもそも包茎産業というのも高須先生が作ったものですからね。AV女優とかに「包茎はいやね」って言わせ続けたら、男の人たちが「包茎はいけないものだ」と思い込んじゃって、「患者が雲霞のように押し寄せてきて、ものすごい儲かった」って。〔中略〕
でも、「病気はそうやって作るもんだ」っていうのは、なるほどど思いましたね。
「昔は扁桃腺とか切ってたけど、あれ、やらなくていい手術だったからね」って。
でも、それをやるのが商売で、歯並びとかワキ毛とかか包茎とか、「これは治さなきゃいけない」って言えばいくらでも病気ができちゃう。最近だと「メタボはやばい」っていうんでデブが病気ってことになって患者がわんさか押し寄せた。
念のため触れとくけど
・・とか主張してるわけじゃないから。
そもそも著者の西原さん自身も、別のところ(インタビュー)で
亡くなったご主人のアルコール依存症にふれ
「れっきとした病気だということを理解していれば、あんなに苦しまずに済んだ」
みたいな発言とともに〈アルコール依存症の積極的治療〉を勧めていたし。
問題なのは、そうした"疑いようのない病気"を引き合いに出して
「じゃ、これも病気だよね!」
と、幅広い境界線上(グレーゾーン)に位置する〈病気未満〉を
科学的裏付けもないまま、声を大にして「恐ろしい病だ!」と主張。
(可能性がゼロでない限り、詐欺にはあたらない)
不安と恐怖を煽り、「治療」と称した金儲けに邁進する・・。
そんな、〈善意の仮面をかぶった自称専門家たち〉が
大手を振ってまかり通っている、ということだ。
じゃあ、どうすりゃいいんだよ!?
という怒りの声に対しては、何度か繰り返した主張に戻ってしまうが
「肩書き」「役職」といった権威を、無条件で信じないこと。
つねに自分の頭で考え、自分で決断をくだし、自分自身の人生を生きること。
結局、ここに行き着いてしまう気がする。
「なんでもかんでも疑ってかかる。なんて哀しい人だろう」
なんちゅー同情(憐れみ)はいっさい不要。
他人に命じられるまま行動し、ひとつも疑問に思わぬまま死んでしまうほうが
はるかに〈可哀そう〉だと、身をもって知っているから。
ではでは、またね。