安易に「天才!」「奇跡!」と口にする人にこそ、読んで欲しい 『棋士という人生』大崎善生編 周回遅れの文庫Rock

別にコロナのせいじゃないけど

このところ、いつも何かに腹を立てている気がする。

どう考えても大したことじゃないのに

「奇跡」「天才」「神」「天使」などという

最上級の形容を無制限に安売りする最近のムードにも

――どこが奇跡なんだよ、どこが!?

なんて、いちいち突っ込んでしまうのだ。

ま、逆に言えば、上記のたとえが

いまや「すごい」「カワイイ」とどっこいどっこいの

表現レベルにまで弱体化(?)した証なのかもしれないが・・

 

ともあれ、そんなふうに投げ売り状態な言葉のひとつ「天才」だが

ひょっとしたらいま日本で新総理よりも有名かも知れない

二冠棋士藤井聡太に関しては

これはもう、紛れもなく『天才』と呼べる存在だ。

つい先日、豊島竜王に6連敗し、いくらか評価を落としたようだが

それをもって「スランプ」だとか「ただの人だった」とさかしら顔で語るのは

まったくもって、プロ棋士に対する無知・無理解ぶりを

さらけだす行為に他ならないのだ。

 

――という事実を、私は本書『棋士という人生』を読むことで

痛いほど思い知らされた。

野球やサッカーはいうにおよばず

どんな世界においても、光の当たるトップはごく僅かであり

大部分は一度もスポットライトを浴びることなく、消え去っていく。

そんなことぐらいは、百も承知!・・のはずであった。

 

だが、将棋の世界における〈報われなさ〉は

文字通り、他の追随を許さない。

 

まず、各地方で〈神童〉と呼ばれた将棋の天才少年たちが

日本全国から集まり、「奨励会」と呼ばれる”プロ候補生集団”に参入する。

その数は、毎年40名程度だ。

しかし、日本中の天才がひしめくその中で勝ち抜き続け

「21歳までに初段」「31歳までに4段」の地位を獲得できなければ

なにひとつ代替となる未来を持たぬまま

退会(一般社会へ戻る)せざるを得ないのである。

毎年、棋士になる夢を果たせず去っていく者は、ほぼ4人に3人。

これらの全員が、地元では「どんな強い大人も歯が立たない天才少年」

に他ならないのである。

まさに、死屍累々の世界といえよう。

※同じ年に奨励会に入った者全員がプロに昇進できなかった

 (1996年入会)という凄まじい結果も実在する。

 

そして、少なからぬ「奨励会」の若者たちが

睡眠を削り、ときに血を吐き、身体を壊しながらも

すべての人生を将棋に注ぎ込んでいる、《天才たちの修羅場》。

そのなかを藤井二冠は、

数百人に及ぶライバルなど存在しないかのように易々と勝ち進み

史上最年少(14歳2か月)でプロ入り(4段に昇進)。

その後も快進撃を続け、これまた史上最年少の17歳で

7大タイトルのひとつ「棋聖」の座に昇りつめた。

 

天才とは、本来、彼のような唯一無二の存在を称する言葉である。

「神」も「天使」も「奇跡」もまた、同様に

《ありうべからざるもの》に捧げられる形容だ。

少なくとも、生まれたての犬猫とか

ちょっと可愛い(らしく装った)女性とか

テストの点数が学年1位になった程度の人に使う言葉では、ありえない。

 

〈心からの感動〉や〈抑えきれないトキメキ〉を守るためにも

安易な「言葉のインフレーション」は、たいがいにして欲しいものだ。

少なくとも、「チョー天才!」なんて哀しい新語で間に合わせることだけは

絶対にやめて、ほしい。

 

・・あれれ?

今回は、本の内容を紹介するはずだったんだけどなぁ。

どうやら気分も体調も、イマイチみたいだ。

 

ではでは、またね。

 

【追記】

なぜこんなに「安易な言葉の濫用」にムカつつくのか

風呂に入っているあいだに、気づいた。

ドナルドの会話術が、まさにそれだったからだ。

《短く強い言葉を自信たっぷりに言い放つ》

――ほら、これだけでカッコよく聴こえるでしょ?