コソクな印象操作を見抜く力を! 本日の”なんだかなぁ”

いっこうに収束する気配のないコロナ騒動のなか

たまるいっぽうのストレスからか

家庭内暴力(DV)や子供に対する虐待死のニュースが

連日のようにマスコミを賑わせている。

 

〈良識の味方〉を自認するコメンテーターたちは

ここぞとばかりに加害者の非人間性を非難し

近年急増している《家庭内障害・致死事件》の原因を

若者たちのモラル低下や、親としての自覚の欠如にロックオン。

加えて「昔はこんなコトめったに起きなかったのに・・」と

若い世代の幼稚さ・身勝手さを目の敵にした発言を繰り返している。

 

これらの加害者を擁護するつもりなど、かけらもない。

家族で暮らす意味も、親としての自覚も、どこかに放り投げてしまった

どうしようもない「クズ」である。

 

しかし――だからといって

『それにひきかえ昔はよかった』との懐古趣味に落とし込むのは

明らかな《ごまかし》に過ぎないことを、はっきり宣言しておきたい。

 

なぜならば、つい20年ほど前まで警察は

児童虐待を含む家庭内暴力や、男女間のストーカー行為など

一般庶民の間で発生するトラブル(不祥事)に対し

『民事不介入』の原則をタテに”見て見ぬふり”を貫き通し

明確な犯罪として認め、データ化することさえ怠っていたのだから。

 

その結果、虐待が疑われる子供の不審死が発生したとしても

そこに至るまでの過程が「見て見ぬふり」だったので

よほど明確な物的証拠や証言が提出されない限り

加害者(容疑者)を殺人事件や過失致死傷で逮捕したり

ましてやそれが大々的にマスコミに取り上げられることなど

めったになかった。

早い話、家庭内で誰か(多くは女性か子ども)が不審死を遂げても

誰も責任を追及されることなく、うやむやのうちに忘れ去られていたのだ。

 

それが、21世紀を迎える頃になって

発達したネット社会による情報拡散効果も手伝って

《弱者(被害者など)の声》が心ある人々の耳目に届き始め

相次ぐ「ストーカー被害」「家庭内虐待死」が脚光を浴びることに。

結果、ようやく警察も重い腰を上げ、『民事不介入』の扉を徐々にオープン。

かつては見て見ぬふりだった〈家庭内犯罪〉に介入していく。

すると、新たな悲劇をかぎつけたマスコミは

「無責任な世代が起こした新しいタイプの犯罪」であるかのように

事件が起きるたび、目を白黒させて大騒ぎ。

〈昔からそうした事件は腐るほどあった〉という事実にはしっかり蓋をして

「今どきの若者は・・」と、顔をしかめてみせるのである。

これを、【印象操作】と呼ばずして、何と名付ければいいのだろうか。

 

同じような印象操作は

毎年発表される公式データでも、腐るほど行なわれている。

たとえば、全国の交通事故死者数だ。

ある年を境に、年ごとの交通事故者数が激減。

国が目標にしていた一万人を切ったことがある。

なぜか?

ドライバーが交通規則を守るようになった?

歩行者が信号無視をしなくなった?

いや、データの集計法を変更したのだ。

 

具体的な情報を確認するのは面倒臭いので

うろ覚えで許して欲しいが

それ以前(交通事故死者数が多かった年)には

「事故発生から72時間以内に死亡した場合、死者数にカウントする」

と定めていた《基準》を

「事故発生から24時間以内・・」へ短縮したのである。

※数字は違うかもかもしれないが、大意はこれで合っているはずだ。

 

――明らかに姑息な、子供騙しだ。

だが、そういう恥ずかしいことを臆面もなくやってのけ

しれっと「交通事故死者が大幅に減りました!」と発表してのけるのが

この国の政治家であり

一言半句の異論すら挟まないのが、この国のマスコミなのだ。

 

だから、耳にタコができるだろうが、何度でも言う。

『テレビや新聞で発表されたのだからその情報は信じていい』

などという〈思考の放棄〉だけは、絶対にやらかさないでほしい。

むしろ『テレビ・新聞は〔大本営発表〕に過ぎない』と、あくまで参考に留め

公開されたニュースや情報の裏に隠れた『真実』を見抜き

読み取る力を育てていかないと

 

”言われたことしかできない人間”に、なってしまうぞ。

 

ではでは、またね。