”自分の耳”を信じるべし! 『クラシックを聴け!完全版』許光俊 周回遅れの文庫Rock

小学校五~六年生の頃からクラシック音楽が好きになり

初めて買ったLPレコードは「ヴィヴァルディの四季/イ・ムジチ(アーヨ)」。

高校~大学時代になると、少ない小遣いをやりくりして

N響と新日フィルの定期会員になるなど

半世紀以上に渡って、それなりにのめり込んできた。

もちろん「クラシック以外は音楽じゃない!」

などと頑なに信じる〈クラシック原理主義者〉ではなく

同時に、ロック、フォーク、ブルース、ラテン、歌謡曲などなど

自分で聴いてみて、気に入った音楽はジャンルに問わず楽しんでいる。

スピッツあいみょんの詩も、大好きだ。

おかげで愛用のMP3プレーヤーをランダムで聴くと

テイラー・スウィフトチェリビダッケ斉藤和義」みたいな

予測不能のクロスオーバーを体験できる。

 

当然、クラシック音楽に関する書物も気がつけば手に取り

気に入った場合は、入手&CD購入の助けにしている。

しかし、半世紀以上も前の音楽授業の際に抱いた《強烈な違和感》に

きちんと応えてくれる本は、一冊も見つけることが出来ずにいた。

そのため長い間、心のどこかで

〈自分の音楽の聴き方(感じ方)は変なのではないか?〉と

文字通り”耳を疑い”ながら、音楽鑑賞を続けていたのだ。

 

ところが苦節五〇年、ついに本書において

「あなたは間違っていない!」と断言してくれる記述に巡り合うことができた。

それこそが147ページあたりからはじまる

シューベルト交響曲)『未完成」はとことん暗く、そして恐ろしい曲である。

私は小学生のとき、初めてこの曲を聴いた。

そのとき、よくわからないままに、この曲に恐怖を感じた。

解説書を見ると、「美しさのきわみ」とか「天上的な明るさ」

みたいなことが書いてある。

子どもにとっては、とにかく不気味な曲だったから、そんな解説が不思議だった。

という一節である。

なぜか誰も言ってくれなかった、私の体験と見事に一致する率直な感想だった。

おまけに、なぜ彼の『未完成』がこんなにもドロドロして暗いのか

という疑問にも、続く記述で極めて明快に答えてくれている。

若い頃から「梅毒持ち」だったシューベルト

常に、身近に迫る《死》を見つめ続け

「善と悪」「白と黒」という二元論

つまり、ハッピーエンドとしてのクラシックを疑った最初の人だった。

そんなふうに、解き明かしてくれたのだ。

 

このおよそ25ページにわたる「解説」のお陰で

ようやく私は半世紀以上に渡る、己の耳への不信感から解放され

以前より遥かに身近な存在として、シューベルトの音楽を楽しめるようになれた。

 

生演奏以外はクラシックを聴いたことにならない。

(CDなんかいくら聴いても無駄だ)とか。

チャイコフスキーの『ロメオとジュリエット』

モーツァルトの『ピアノ・ソナタ第15番』

ベートーヴェンの『交響曲第九番』の三曲、

これだけ聴けば、クラシックは完全にわかる。

などなど、あえて挑戦的な見出しをこれでもかと並べ

そのいっぽうで、自身は世界中を飛び回り「生の名演奏に接している」と

どうだ文句あるか!とばかりにセレブぶりを宣言するなど

いささか一般庶民にすれば鼻持ちならない記述も多々見受けられるが

(確かにNHKホールは最悪だったけど)

『未完成」は暗くて恐ろしい曲。

という一節だけで、私は全力でこの本を支持したい。

 

・・それにしても、どうして世の音楽評論家たちは

誰も彼も自分の耳(感性)に蓋をして

過去から受け継がれた「正しいとされる評価」を平然と垂れ流せるのか。

音楽・文芸・映画・政治評論など、あらゆる評論行為において最も重要なのは

伝統や前例ではなく、《自分自身がどう感じ考えたか》であるはずだ。

頼むから、もっと己の直感を感性を信じて

私は「王様の耳はロバの耳だ」と思う! と、声を上げてほしい。

  

ではでは、またね。