”沁みる物語”を読みたかったら・・ 『つばくろ越え』『引かれ者でござい』『待ち伏せ街道』志水辰夫 周回遅れの文庫Rock

『人は、自分が信じたいことしか信じない』

かのユリウス・カエサルがものの見事に言い表しているように

私たちは、どこまで行っても〈己という枠〉の中でしか

物事を検討し、判断することができない。

 

とりわけ若い頃は、その〈枠〉が強固であるため

人生経験を重ねた年長の方々から、どれほど重要な助言を授けられても

ほとんどの場合、神妙に聞くフリだけやってみせ

実際は右から左へと聞き流し、あっさり忘れ去ってしまう。

そうして時がたち。

やがて自分が、その時の発言者と同程度の年頃にいたったとき

――ああ・・あの時の言葉は、こういうことだったのか!

初めて、自分がどれほど重大なヒントを耳にしていたにも関わらず

愚かにも活用せず捨ててしまった事実に、奥歯を噛み締めることとなる。

 

なぜなら、人は、自分自身の力で気づかない限り

〈新しい価値観〉を受け入れられない生き物なのだから。

 

そういう意味で

今回取り上げた『つばくろ越え』『引かれ者でござい』『待ち伏せ街道」

別名《蓬莱屋帳外控・三部作》は、ぜひ

”若い頃、自分がどれだけ愚かだったか”という事実を受け入れている

おおむね中年以降の方々にこそ、手に取っていただきたい。

 

とにかく、沁みる、沁みる。

それも、一作、二作、三作と巻を重ねるごとに

深く、重く、激しく、五臓六腑に沁みわたってくるのだ。

そこには、連作物にしばしばみられる

〈頭でっかちの尻すぼみ〉〈広げた風呂敷が畳めない〉

といった失速感やご都合主義は、かけらもない。

 

だから、一作目の『つばくろ越え』を読み終えたときに

「こんなもんか・・」と感じられたとしても

どうかそこで、本を閉じないでほしい。

《蓬莱屋帳外控シリーズ》は、3冊で1冊なのだ。

 

ただし、シリーズとはいえ

3冊ぶっ通しのワンストーリ形式ではない。

それぞれ短中編が3~4編集められた

いわば〈エピソード集〉と考えていただきたい。

また、物語世界にも時間経過が存在するので

繰り返し登場する人物(旅飛脚・蓬莱屋の運び人)は

少しずつ歳を重ね、成長・変化・衰退していく。

その描き方が、どうにも心憎い。

長編の職場物や戦記物にありがちなパターンで

役職とか階級の違いによって〈外側から変化を描く〉のではなく

――おおっ、そこにいたのか!

としか言いようのないさりげなさとともに

背負った責任の重さ、覚悟の違いを

じわじわと伝えてくる。

 

だから、以前登場した人物が再び姿を現わすと

つい、その場で本にしおりを挟み

前回登場した過去の作品へ、逆もどり。

――あんな半端者だったのが、こんなに立派になったのか!

と、あたかも自分が育て上げたかのように

ほくほくした気分で、成長した彼を見守ってしまうのだ。

 

1981年の『飢えて狼』以来

つかずはなれずシミタツ節には唸らされてきたが

いまのところ、このシリーズがマイ・ベストだと思っている。

・・読み返したら、すぐひっくり返りそうな気もするが。

 

ではでは、またね。