人が平等なわけ、ないよね。その3:”数字”で健康は測れない 本日の”なんだかなぁ”

《人の”物差し”はそれぞれ違うんだよ》シリーズ、第3回。

 

今回は、いちばん大人しい内容かも。

なんでもかんでも人を〈一律の数字〉で決めつけようとしている

世の中(日本社会)に対する、ごく真っ当な疑問だ。

 

なぜか毎年のようにちょっとずつ変化するけど

現時点での「高血圧症」の判定基準は

最低血圧が80以上、最高血圧が130以上、だったと思う。

(20109年度の降圧目標に定められている)

要するに、最低or最高血圧がこれ以上測定された人は

投薬または生活習慣(食事・運動など)を改善することで

正常な範囲内に戻る(!?)よう心掛けないと

さまざまな病のリスクが大幅に跳ね上がってしまうぞ!

という指針である。

 

さらに血圧同様、主な生活習慣病の判定基準として

血糖値・コレステロール値・尿酸値などが

それぞれ「ここから先は病気になる!」ボーダーラインが

きっちりかっちり設定されている。

 

でも、これって、絶対、人によって違うよね?

 

そもそも、身長150センチの運動不足な60代女性と

190センチを超えるスポーツ大好き男子大学生の健康度を

まったく同じ数値で判定し、線引きしていること自体

はっきりいってむちゃくちゃである。

肉体的にも精神的にも、人はそれぞれ異なっている。

そんな当たり前の「個人差」を、頭から無視しているのだ。

 

これが乗用車だったら、その異常さは一目瞭然だ。

走行距離5万キロを超えるメンテナンス不足の小型ファミリーカーと

チューナップバリバリの2リッタースポーツカーの車検を

同一の判定基準で行なっていることになる。

 

いったいどうして

こんなバカげた「病気の判定」が大手を振って実施されているのか。

答えは簡単だ。

これらの数値を根拠にして

生活習慣病》という〈病以前の状態〉を無理矢理作り出し

病を未然に防ぐ医療=予防医学という新しい商売を展開。

「このままだと病気になりますよ!」と脅すことで

本来必要とされる何年いや何十年も前から

投薬を含めた治療を定期的に、文字通り死ぬまで継続し

医療費という名目の金を庶民からごっそり奪い取るためである。

 

事実、ひとたび血圧・血糖値・コレステロール値の判定基準に引っかかり

医師によって投薬治療を告げられた場合

そのうちの大多数が、再び正常値?へと戻ることなく

自らの死を迎えるまで、まさに「薬漬け」にされてしまう。

 

もちろん、実際問題として

高血圧症や糖尿病などか極度に進行し

それによって命に係わる事態を招くケースが存在することは、否定しない。

だが、まったく日常生活に支障をきたさぬまま《治療》宣告を受けた

〈予防治療レベル〉の人々――こっちが大多数――にとって

こうした《一律の数次判定⇒治療という名の薬漬け》への強制移行が

どのくらい本人の健康と寿命を延ばしてくれるのかは――

皮肉にも〈個人差〉のひと言で、うやむやになってしまうのだ。

 

それでも、医者や専門家の言葉は絶対に正しい。

投薬治療を受けない奴はバカだ!――と「信じる人」には

これ以上何を訴えても無駄だろう。

世にあまたある宗教を熱烈に信奉する方々と同様

どうぞあなたが信じる道を歩んでください、としか言いようがない。

だが、ここまで述べたことがらによって

ほんの少しでも「なんか変だぞ?」と感づいた人は

どうか、たったひとつの数字で全国民の健康・不健康を決めてしまう

あまりに乱暴な医療政策⇒予防治療という名の金儲けシステムに疑問を抱き

自分自身の身体としっかり相談しつつ

他人任せではない健康維持を心掛けていただきたい、と願うばかりである。

 

コロナパンデミックのいま

身を粉にして奮闘している医療従事者の皆さんには恐縮だが

それとこれとは、別問題。

ひとりひとり違う人間を、同じ数字で乱暴に括ろうとする

この国の医療制度は、どう考えてもデタラメでしょう。

 

ちなみに私は、40代の前半に

高血圧と高コレステロール症を宣告され

1年ほど投薬治療を受けたが

食生活の改善や運動など、何をやっても数値が改善しないため

自らの判断で通院と投薬を停止した。

それ以来、20年余りの歳月が経過したが

血管関係のトラブルには、いまだ一度も遭っていない。

食事内容や運動には多少気をつけてはいるが

それ以上、健康維持のために時間と手間を費やす気にはなれずにいる。

朝っぱらから混雑する待合室で何時間も待たされたり

病院通いで失われるはずだった貴重な時間を奪われることもなく

少なくともここまで何ひとつ問題なく生きて来れただけでも

自分の判断は間違っていなかったようである。

 

ではでは、またね。