”もどかしさ”を楽しもう! 『図書館の魔女』全四巻 高田大介 周回遅れの文庫Rock

世の中が白と黒、善と悪でかっちり2分されてたり。

悪事に手を染めた人には、絶対なんらかのかたちでバチがあたったり。

程度の差こそあれ、努力は必ず報われたり。

そんな単純明快、直球一直線の物語を求める方には

この小説は、とってもとっつきにくいと思う。

 

発する言葉が本音だとは限らない、政治的な駆け引き。

先の先まで見通して、一言一句に配慮しつつ、心を読み合う。

しかも「図書館の魔女」と称される主人公の少女は

そもそも言葉すら、自らを発することができず

代弁者としての少年を通じて、相手とのコミュニケーションを果たしていく。

当然そこには、通常の駆け引きや討論より

はるかに大きく分厚い《もどかしさ》が生まれてくる。

 

正直、各所から絶賛された書評や評判を真に受け

十二国記』や『獣の奏者』のように

〔引きずり込まれる〕体験を期待して読み始めた私は

どこかインテリっぼい語り口や思わせぶりな蘊蓄

登場人物の間で交わされる微妙にすれ違うやり取りなどの

ひとつひとつに、いいようのないもどかしさを覚え

どこかページをめくる手に力が入らなかった。

いったんそんな印象を抱いてしまうと

各章のラストに記された「引き」の文句さえ

――煽りって、結構安っぽいんだよな。

とか、偉そうに上から目線で批評している自分に気づくのだった。

 

しかし、通常なら、その〈もどかしさ〉にうんざりし

次の本に手が伸びてしまうところだったが

なぜか中途半端なスローペースのまま

ページをひも解く夜が続いた。

そして、いつしか思い至るのだった。

この〈もどかしさ〉こそが

物語を動かす、巨大な力なのだということに。

 

こうなると、それまでは否定的な要素だった〈もどかしさ〉が

どこか愛おしく思えてるから、不思議だ。

すると、そうした意識の変化を察知したかのように

突如、物語は〈もどかしさ〉の殻を脱ぎ捨てる。

 

第二巻、後半部分――とだけ記しておこう。

 

ぶっちゃけ、ここまでページを繰らないと

この本を読んだことにはならない。

それほどにも固く、ゆるぎない、物語の”結び目”である。

しかも、この結び目から放たれた〔光〕が

そこにいたるまでのストーリーに光を投げかけ

少々鈍い私のような読者には見つけられなかった多彩な伏線を

まるで宝石のように輝かせ、浮かび上がらせてくれるのだ。

 

その後、再び物語は元の〈もどかしさ〉へと立ち戻る。

だが、〈もどかしさを楽しむ〉ことを知った読者が

退屈することは、もう二度とない。

あとは、この4巻に及ぶ長大な物語の

少しづつ薄くなっていく残りページを惜しみながら

読書の楽しみにどっぷり身を浸すだけだ。

 

私にとって、この作品は

「冒頭からいきなり物語世界に引きずり込まれる」たぐいの

いわゆる《一気読み小説》とは、程遠いものだった。

しかしそれゆえに、結果的にはじっくり熟読することになった。

だからこそ、第二巻後半の結節点で

オセロゲームの駒がパタパタパタといっせいに裏返るような

劇的な〈再発見〉に出逢えたのだと、考えている。

 

でも、そうはいっても・・

第二巻の後半まで〔明かさない〕ってのは

遅すぎるんじゃあ、ないのかなあ。

もうちょっと、サービスしてくれたっていいんじゃないの。

 

だから、私にとって『図書館の魔女」は

近年まれに見る、《面白くて、いぢわるな物語》だったりする。

 

ではでは、またね。