「充実のファンタジー体験」は本当だった!  高知ふたり旅 2022.11.29-12.2 2日目➁  澤餅茶屋⇒安芸駅ぢばさん市場⇒伊尾木洞

2022年11月30日(水)高知市内⇒澤餅茶屋⇒安芸駅ぢばさん市場⇒伊尾木洞

 

    これぞ「穴場」の伊尾木洞。こんな凄い場所が自由に体験できるとは。

 

琴ヶ浜を右手に臨み、海沿いの道を進む。

十一時四十五分、産直販売所・安芸駅ぢばさん市場に到着。

ここは鉄道直結の市場、地元の人も御用達の「道の駅」だ。

「ぼうしパン」「本日のイノシシ肉」「桂浜の五色の石」など、他県ではお目にかかれ

ない品々がずらーっと並ぶ。(『有川浩の高知案内』18p)

 

「日本でいちばんおいしいお餅」を購入&賞味した後

さらに東へと車を走らせる。

到着時刻を1時間ほど早めれば、ほぼ上記と一緒の状況だ。

 

          駅舎がそっくり「道の駅」、ぢばさん市場。

      旅行2日目にして、早くも"買い物ブギ"が始まる。

 

駅舎と合体した「道の駅」は、多くの地元客で賑わっていて

観光スポットというより、"便利なスーパー"のイメージに近いだろう。

有川さんと同じく

旅先では必ず地元のスーパーに入る(土産物も買う)我らに

こうした商業施設の存在は、なによりも有難い。

特に「旅行支援」による「買い物クーポン」の恩恵に与れるここ一~二年は

普段なら見向きもしない"ちょっと高めの品々"を物色する、絶好の場だったりする。

昨夜ホテルのチェックイン時にもらったクーポンをさっそく取り出し

何やら賞に輝いた高級クッキー?など、数点を購入した。

 

       市場のすぐ隣に、土佐くろしお鉄道の改札口が。

       各駅に「◎やなせたかし」のキャラクターがずらり。

 

それにしても、駅前の歩道や市場の入口、さらには鉄道の路線図にまで

高知出身のマンガ家・やなせたかしが描いたキャラクターが

いたるところで迎えてくれる。

さらに、駅前の大きなパネルで初めて知ったのだが

ここ安芸は、超有名な作曲家・弘田龍太郎の故郷でもあった。

なんやかんやと発見が多い安芸駅前だった。

 

    みな知ってる曲ばかり。次に来たときは弘田龍太郎の"曲碑めぐり"かな。

 

さらに東に走ること、ほんの数分。

道路沿いに設けられた駐車スペースに車を停める。

天然の渓谷?・伊尾木洞の入口だ。

これまた有川浩の本で紹介されていた、〈隠れた名所〉のひとつ。

たまたま本日の目的地(馬路村)に向かう途中にあったので

せっかくだから、と軽い気持ちで途中下車したものの・・。

 

ーー通り過ぎなくて、よかった!!

 

案内板に従って道をそれて歩くと、すぐに伊尾木洞の入口だ。

一見すると、住宅地にぽっかり空いた小さな"割れ目"に過ぎないのだが。

中に足を踏み入れると・・まさに「別世界」。

映画『もののけ姫』を髣髴とさせる、シダと断崖の渓谷が迎えてくれたのだ。

 

         幹線道路のすぐ脇が、伊尾木洞の入口。

       物々しい注意書きはあるものの、ここまでは家と家の間。

 しかし、沖縄の斉場御嶽(せいふぁーうたき)を思わせる裂け目に入っていくと・・

            その先に待っていたのは・・

             まさしく、ザ・原生林。

 

しかも、シーズンオフの平日だからか、見た割す限り人の姿は皆無。

風にそよぐ木々の音だけが降り注ぐ幻想的な情景のただなかを、我等二人だけで

思う存分散策できたのだから、言うことなし。

 

         目の前にはつややかなシダ(希少種が自生している)

          見上げれば、うっそうと茂る緑の木々。

           ちょっと物騒な看板もあったけど・・

      木橋やロープを頼りに、上流へとたどってゆくと・・

             ひとすじの滝が待っていた。

 

ルート自体は、縦長の天然洞窟に始まる小川沿いの道を

数百メートルにわたって遡る、シンプルなもの。

場所だって、高さ十数メートルの渓谷の上に登ってしまえば

そこに広がるのは、ごく普通の農村風景、

なのに、渓谷内に漂う"原生林感"たるや、ここは屋久島か!?

と錯覚しかねないほど、ハンバないのだった。

   

    滝の上に登り、再び住宅地(畑)に出ると・・コスモスがお出迎え

         色んな意味で、忘れがたいひとときだった。

 

いや、ほんと。

ろくに期待してなかっただけに、伊尾木洞の鮮烈な印象は

いまでも五感にしっかり刻み込まれている。

まさに、「充実のファンタジー体験、保証します」(by有川浩

高知を訪ねることがあったら、騙されたと思ってぜひ、立ち寄っていただきたい。

信じがたいことに、入場料金も不要だし。

 

   公民館の裏手に「寅さん地蔵」。幻に終わった"最新作"を記念したという。

 

ではでは、またね。

香り高きコーヒーと絶品の「お茶屋餅」  高知ふたり旅 2022.11.29-12.2 2日目➀  高知市内(Cafe' de La PAIX)⇒澤餅茶屋

2022年11月30日(水)高知市内⇒澤餅茶屋

 

    有川浩さん推薦の「お茶屋餅」。確かに、いくらでも食べられる!

 

朝からあいにくの曇り空。

それでも雨は降りそうになかったので

当初の予定通り、東&南東方面へドライブに出かけた。

この日参考にしたのは、『有川浩の高知案内』というガイド本。

地元で生まれ育った人ならではの「名所」が、いっぱい掲載されている。

 

と、その前に、朝食を食べに近くの喫茶店へ。

ホテルに朝食が付いていない時は、もっぱらこのパターンだ。

最初の内はホテル内で食べた方が便利に思えたけれど

なんの変哲もない(特別美味しくもない)ホテルのビュッフェで

貴重な一食をムダにする"もったいなさ"が、最近ようやく実感した次第。

実際、旅行後にホテルの朝食が記憶に残っているケースは、ほとんどなかった。

 

てなわけで今回も、グーグルマップを開き

ホテル近辺で、ポイントの高い喫茶店(モーニングセット)を探し

歩いて数分の「Cafe de La PAIX」へ。

 

      高知の朝ごはんはCafe' de LA・PAIXで。シンボルは アンティーク?な自転車。

              そんなわけで、店先に停めてある自転車も大切な"脇役"

 

店名の通り、パりっぽい雰囲気のシャレた店内で

一番人気のタマゴサンドセットをオーダー。

毎日通っている雰囲気を漂わせる地元客に混じって

おいしいサンドイッチと、めちゃめちゃ香り高いコーヒーをいただく。

コーヒーだけでも「選んでよかった」と思えるご馳走だった。

 

   三種類のモーニングから、タマゴサンドセット。コーヒーの旨さに感激。

幸先の良い朝ごはんに大満足しつつホテルへ戻り

いよいよレンタカーで出発、一路東へ向かう。

最初の目的地は、太平洋に面した手結(てい)トンネル近くの

峠の茶屋「澤餅茶屋」。

有川さんいわく「日本でいちばんおいしいお餅」とのことだったので

これを食べないわけにはいかない。

実際のお店は、本に紹介されてなければ間違いなく通り過ぎてしまうだろう

看板らしい看板もない、地味~~な木造一軒家。

 

      ド派手な看板もシンボルもなし。質実剛健の「お茶屋餅」。

 

懐かしい子ども時代を連想させる、ガラスの引き戸を開けると

中にはこれまた木造のカウンターがぽつんとあるだけ。

しかも、店で扱っているお餅は「お茶屋餅(十個入り)」一種類のみ。

対応に出て来た店員に相方が「お餅を下さい」と声をかけると

無言のまま、四角く茶色い紙包みをポンと台の上に置く。

ばら売りどころか、5個入りのパックもなかった。

二人で食べるにはちょっと多いかな・・と思いつつ、ひと包みいただく。

お値段は、十個入りで千円ちょうど。

有川さんの本では「十個入り六百円」とあったけれど

出版から十年近い歳月が過ぎているから、これは致し方なし。

 

    販売するは「1パック10個入り」のみ。まさに、Simple is the Best。

 

車に戻って、包みを開けてみる。

五個づつ、二列に並んだ円形の餅が重なり合っている。

そのひとつを、さっそくいただく。

・・・あ、やわらかい。

予想していたより、ずっと優しく上品な味だ。

ほおばるたび、口から鼻に抜けるシナモンの香りが、とても効いており

確かに、これなら何個でもイケそうだ。

 

車内で「即席試食会」をおこなっている間にも

数台の車が来ては誰かが店に入っていき

同じ十個入りの包みを手にして、またすぐに出て行く・・。

観光名物というより、長年地元の人々に愛されてきた"ふるさとの味"なのだろう。

 

たしかお店の人は「二日後まで大丈夫」と言っていたと記憶するが

口寂しくなるたびにチョコチョコつまんでいたら

翌日の午後には、十個全部食べ切っていた。

保存料などの添加物が一切入っていないらしく

半日も経つ頃には少しずつお餅が硬くなってきたが

それはそれで最初と違う食感が楽しく、まったく無理せず完食できてしまった。

「日本でいちばんおいしい!」とまでは言い切れないものの

高知に来たからには、是非口にしたい〈銘菓〉であることは間違いない。

 

思うまま書いていたら

モーニングセットとお茶屋餅だけで

そこそこのポリュームになってしまった。

時刻は、いまだ朝の十時前。

長い長い高知の第2日は、始まったばかりなのだ。

 

ではでは、またね。

『ちはやふる』末次由紀(第二十一~五十巻)/引用三昧 19冊目 の㊦

昨日の続き。

ストーリーのネタバレにはならないけれど

"想い"はバレてしまうので

既読の方にだけ、オススメしとこう。

 

私は 

白波会のみんなに助けられて戦いたいんだ

助けられたほうが強くなれるんだ!!              ㉑ 127p

 

思ったの 負けたとき

「私 もっと強くなれる」

人は 負けなければそのままよ

もっと強くはなれない

負けたら変われる もっと強くなれる             ㉒ 86-87p

 

先生 なんで そんなに懸けられる?

「青春ぜんぶ懸けたって強くなれない? 懸けてから言いなさい」

懸けてきたからこそ 怖いんだ

なにも残らなかったら?

悔しさしか残らなかったら――――              ㉒ 145-146p

 

私は攻めがるただから 特別だから

手に入れたいものほど手放すの

かならず取ると勝負に出るの                 ㉓ 22-23p

 

これも受け売りですが

「たいていのチャンスのドアにはノブが無い」と‥‥

自分からは開けられない

だれかが開けてくれたときに

迷わず飛び込んでいけるかどうか

そこで力を出せるかどうか                  ㉓ 72-73p

 

2試合目 クイーンが負けたときも思ったけど

私くらいの歳になると

若い人の立ち止まりは 種を埋めてるようなものだと思えるのよ

私から見たら あなたも「若い人」よ

戻って来るのよ                       ㉕ 132-133p

 

僕は器用でしたので 予備校に行かずとも東大に入れましたが

青春ぽい日々はなくて‥‥

まあ君たちのこともザマァ(笑)と思いますよね

でも ある日 気がついたんです

「青春」という文字の中に 「月日」があったこと

とたんに青春が惜しくなりました

自分の中に 青春を探し始めました

このコマで僕が教えるのは 「点の取れる小論文の型」ですが

それだけではなく 言葉には力が確かにあることを 

忘れないでいてください                   ㉗ 82-84p

 

このくらいの誉め言葉 ウソでも言える

言ってほしい言葉をくれる人間に

人は簡単に操作されるよ

そんな簡単な人間になるな                  ㉘ 91-92p

 

子供って バカですよね

穴ボコだらけなのに 

自分一人で生きてるみたいな顔するんですよね         ㉙ 29p

 

遊びで 火起こしとか したことある?

「才能」なんて言うけど

おれはたんに 「火が起こるまでの早さ」だと思ってる

「才能」があるやつは 火がつくまでが早い

でも それだけ

火の強さや 燃え続けられる時間を保証はしない        ㉙ 61-63p

 

子供たちを教えていても

自分を振り返っても 思う

根気強く粘り やり続ける以外に

自分を変える道はない                    ㉛ 131p

 

部活でかるたを選ぶような子たちは

たいてい自分を天才とは思っていない

自分には足りないところがあると

本能的に感じてる

だから

エンジンを外側にも置く

自分じゃないけど 自分のような

大好きな人たちに持っていてもらう              ㉜ 145-147p

 

人に頼っていては着られません

覚悟しなければ 自分のものにはなりません          ㉝ 5--60p

 

部活 思いっきりやって ぽくら引退したね‥‥

友達がいて 後輩がたくさんいて みんなで帰り道笑って

どうしよう これ宝物だ

2年半 ただの時間のはずが

自分にはムリだって思ってたものが 手にはいったよ

宝物になったよ‥‥                     ㉞ 28-29p

 

君たちは 自分たちが主役の物語を生きてると思ってるだろう?

ちがうよ

輝いてる君たちでさえも

だれかの物語の一部分(パーツ)だ              ㉟ 130-131p

 

読みが冴えたって 

体がその通りに動くと思ったら大まちがいなんだ もう――――

ギャップ

いたるところにあるギャップ

自分の最盛期とのギャップ

力をつけてきた相手とのギャップ

だけど だけどな

ギャップがあるから楽しいんだろう?

聴こえること 聴こえないこと

ギャップを飛び越えたい

越えに行く者の 肩をポンと叩きたい             ㊲ 90-92p

 

苦しかったな

絶体絶命が たくさんあったな

絶体絶命を 愛せよ まつげくん

これから先 ずっとだ                    ㊲ 94-95p

 

大学とか独身のころの自分って

いま考えれば こういうスーパーカーに乗ってたようなものよね

燃費も考えず どこまでも速く飛ばして

いまの私なんか ファミリー用の軽自動車だなぁ

でもきっと 20年経って振り返ったら

いまの35の身体さえスーパーカーに見えると思うの

もっと走ればよかったと思うにちがいないの          ㊲ 161-162p

 

ごまかしたくなる場面で 正直に言った

心の中に だれかがいるのね

だれかが見てるのね

強い相手は怖いけど

自分を卑怯と思うことのほうが ずっと怖い

大丈夫 次の試合で勝つ目はあるわ              ㊳ 94-95p

 

ぼくは現国とか小論文を教えていて

「核」というものをよく 意識します

物語の核 人物の言いたいことの核

どんな長文でもつきつめれば 悲鳴のようなひとつの想いが見えてくる

人も同じです

どんな人気者でも 何万人に愛される人でも

その人に認めてもらえなければ なんの意味もない

そういう人が だれにでも 一人いる             ㊴ 18p

 

人はね 向かい合ってる人からは 本当は

身につくものは学べないのよ

本当に教えたいなら 後ろから                ㊵ 168p

 

おもしろいですよね

いかに紫式部清少納言を嫌っても

あらゆる分野において

強い敵は

強い味方です                        ㊷ 163-165p

 

大人の人は なんか‥

子供の「なにかを好き」って風船があったら

それをつぶしてあきらめさせても

「好き」は こう横に逃げて

ちがうなにかを好きになるって思ってはる気がするんですけど

なりませんよ

つぶれて しぼんで

あんなにあった「好き」のパワーが なくなるだけ‥‥     ㊸ 25p

 

私‥‥ ドキュメンタリーが好きなんです

被写体に選ばれるのはいつも 「逃げなかった人」で

でも 密着してると録れるんです

「逃げなかった人」のまわりに必ずいる 助けて支えた人たちが

可視化されないその人たちのことを

広く知らせることができる

だから この仕事が好きなんです               ㊸ 116-117p

 

一流になる人間は残酷や

優しいことを言いつつ 見限るんや              ㊸ 143p

 

学びなさい なんでもいい 学びなさい

学問を 他者を 理解しようとする営みだけが

見えない繋がりを浮かび上がらせてくれるのだから       ㊹ 125-126p

 

結局 人は 

人のためにしか 本気で祈れない               ㊹ 148p

 

「足りない」と思ってからやっと

自分の人生が始まった気がするの

千早がくれてた崇拝みたいなのがなくなって 足りなくて

私でいうと じゃあここしかないんだって 芸の道よ

真島くんも 

千早がくれないぶんをさ 足りないって思うぶんをさ

じゃあどうしようって足掻いていくしかないよね        ㊺ 151-152p

 

大丈夫?って

大丈夫って言うしかないから苦手だよ             ㊻ 75p

 

聴こうとしなければ 

聴こえない

自分の気持ちさえ                      ㊻ 127p

 

魅力的なのかはわからないけど

心がけていることがあるのよ

簡単なことなんだけど

自分の読みを録音して聴くこと

やったことあるかしら?

録音した自分の声って 思ってた声と違うでしょう?

「こんな声だったっけ?」って

すごく変な声に聞こえるのよね

自分の中で響いている声がいい声だと思っていたら大間違い

聞いてる人には そうは響いてないのよ

その認識のズレを できる限りなくしたくて

毎月 自分の読みを録音して聴いてるの             ㊼ 70-71p

 

お偉いさんたちがなんて言うてるかくらいわかる

心配してるふりをして否定したいんやろう

新しいことをしようとするうちらを               ㊽ 97p

 

示そう 

私たちの 鍛えてきた 気力と体力を

示そう 二人で

一人より 友達と一緒に頑張ったほうが強くなるって

示そう 示そう

これほどまでに 自分を信じられること             ㊾ 77-86p

 

 

やれやれ。

これでやっと"通常運転"に戻れそうだ。

ではでは、またね。

『ちはやふる』末次由紀(第一巻~二十巻)/ 引用三昧 19冊目 の㊤

未読の方にはチンプンカンプンだと思うけど

忘れたくない言葉がいっばいあったので

備忘録代わりに書き出してみた。

 

"青春ぜんぶ懸けたって強くなれない"?

まつげくん

懸けてから言いなさい                ㊁ 66p

 

仲間にするなら

畳の上で努力し続けられるやつがいい         ㊂ 37p

 

原田先生 おれにもできるかな

負けながら泣きながら 前に進むことが

新に向かっていくことが               ㊄ 127p

 

悔しい 悔しいよな

じゅ‥ 準優勝がいちばん悔しい‥‥         ㊄ 141p

 

「かるたなんて」って言って 通り過ぎないでよかった

変わっていける きっと

身体だけじゃゃなくて 

心だけじゃなくて                  ㊄ 175p

 

きついな 一生懸命って‥‥

言い訳がきかねえよ                 ㊅ 145p

 

真島は 

こんだけかるたに時間をかけても 学年1位から落ちたことない

1位じゃないと かるた部辞めさせられるって言ってた

やりたいことを思いっきりやるためには

やりたくないことも思いっきりやんなきゃいけないんだ ㊆ 53p

 

「まつげくん 考えたんだが

きみはこの夏 B級準優勝を2回したね

規定ではA級になれる立派な成績だ

白波会のルールとはちがうが‥‥

昇級して東日本予選に出るかい?

千早ちゃんとメガネくんがA級で待ってるよ」

悔しさの賞味期限は長くない

ときどきはちゃんと報われることがないと 続けられない

「ははっ

やめてくださいよ先生 らしくない

先生おれは A級になるより

‥‥‥‥ 逃げないやつになりたい‥‥」       ㊆ 59-61p

 

疲れるんだ

負けることに疲れるんんじゃない

期待に応えられないことに疲れていくんだ       ㊆ 177-8p

 

悔しい 悔しい

あの日悔しくて良かったって

いつか笑って言いたい                ㊇ 106p

 

おれ なにかの本で読んだことあるよ

「ここにいたらいいのに」って思う人は

もう"家族"なんだって

つきあいの長さも深さも関係なく           ㊇ 114p

 

もったいない

師を持たない人間は だれの師にもなれんのだ     ㊈ 23-24p

 

今日からうちの部の男子部員において

「だって」と「でも」は禁止する!          ㊉ 149p

 

須藤くんの良さは あの気位の高さ

不思議だけど

本当に高いプライドは 人を地道にさせる       ⑪ 21-22p

 

息をしろっていったら たいていの人は思いっきり「吸う」けど

大事なのは まず「吐く」こと

思いっきり吐く 全部吐く そしたら

見えてくる                     ⑫ 147-149p

 

ダメなんだよ 自分が前に出なくてもいいって思ったら

気持ちが矢面に立たなくなった瞬間から

力の現状維持さえ難しくなるんだ           ⑬ 8p

 

やった!と思った瞬間に

逃げていくのは集中力                ⑬ 111-112p

 

くそう くそう

だからいやなんだ 強いやつ

勝ちたくなるから

がんばんなきゃいけなくなるから           ⑯ 100-101p

 

新 よく覚えとくんやぞ

人が崩れるのはぁ 長所からや            ⑰ 15-16p

 

かるたは矛盾の競技よ

速く取ればお手つきが増え 遅いと取られる

その矛盾とつきあいなさい

自分にとっていちばん最適な矛盾の交点を探しなさい

どんなに苦しい試合でも焦らないために

いま苦しみなさい

追い込まれた経験がない者は決して強くはなれないわ  ⑰ 155-156p

 

では 二十首の短歌と必死になって向かい合った皆さんと

あざ笑っている皆さんに この言葉を

生みの苦しみを知りなさい

知ったうえで 覚悟を持って人を許しなさい

短歌でも 文学でも なんでもです          ⑱ 69-70p

 

空気って 正直で無責任ね

新星の強い輝きを期待してる             ⑲ 26p

 

世の中には 結果より努力が大事って考え方もあるが

指導者にも生徒にも それは本当は苦しいんだ

「がんばった」も「きつかった」も 風のように流れていってしまう

「結果」は石なんだ 「がんばった」を留めてくれる石

そしてーー

「結果」は 集めるんだ

強い 追い風を                   ⑳ 38-41p

 

真島先輩‥‥ 先輩は

自分になりたくてがんばってるんです‥‥!      ⑳ 158-159p

 

自分じゃなくなりたい

でも 自分になりたい                ⑳ 162-163p

 

ひとまず、第1巻から20巻まで。

文章だけだとなんのこっちゃ?的な一節も少なくない。

特に、ラスト2コは既読者にしか分からない「名言」だろう。

それにしても、改めて奥の深い漫画だと実感する。

 

ではでは、またね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きっと毎年、読み返す 『ちはやふる』全五十巻 末次由紀 周回遅れのマンガRock

最終五十巻の発売と入手を待ってから

通算十数回目になる"第一巻からの読み直し"を開始。

何度読んでも飽きない濃密なエピソード&ストーリーに感激しながら

一話一話熟読していたら、どんどん時間が過ぎ去っていき。

全巻読み終えるのが、沖縄旅行に出発する日(1/22)の明け方になってしまった。

でもって帰宅後(1/25夕方)、もう一回49・50巻を熟読して

ようやく、この文章を書ける精神状態となった。

 

どうせ、本作の完結を機に(15年続いたからね)

たくさんの人がいろんなところで書いているだろうから

とりあえず、初心者向けのあらすじ紹介は割愛する。

そのぶん、率直かつ個人的な感想をだらだら並べていきたい。

 

まず、まさか異論を唱える人ははないと信じたいが

本作は、文句なしの傑作だ。

だいいち、延々50冊にも及ぶ大長編シリーズだというのに

「パターン化」「単なるエスカレート」「小休止」「ワキネタ」など

長く続くスポーツorバトル漫画にありがちな

"あ・・今回、作者は楽してる(手を抜いてる)な"

と感じさせる〈お約束展開〉が、気持ちいいほど現われなかった。

 

とにかく、「どこを切っても金太郎飴」じゃないけど

用意周到かつ緻密な伏線を張り巡らせながら

安易なご都合主義や力業(破綻)に逃げることなく

ものの見事に、主人公3人+αの"若き日々"を描き切ってみせたのだ。

それどころかメインキャラ以外の「+α」の深堀り具合が、すごいすごい。

下は幼児(乳児?)から、上は老害的なジジババの皆様まで

ひとりひとりの人生を、おのおのの視点(主観)から鮮やかに浮かび上がらせた。

おかげで、かるたに青春を注ぎ込んだ3人はもちろん

おのおのの家族や先輩後輩、師匠、弟子、かるた関係者など

普通なら単なるモブキャラ扱いで消え去るはずの端役(失礼!)たちが

信じがたいほど強烈な存在感とともに、読者(オレだ)の眼前に迫ってくる。

 

なかでも作者の"凄み"がビシビシと伝わってきたのが

ジャンルで言えば〈青春漫画〉にカテゴライズされる本作の随所で輝きを放つ

大人(特に高齢者)の、実際に体験した者でなければ描けないはずの

リアリティ有り過ぎる心理描写の数々だ。

30代以下のいわゆる「若者」の方々には、まず半分も伝わらないだろう

人生の後半&終盤を生きるものたちの"切なる想い"が

青春漫画それも少女漫画の真っ只中で、滾々と湧き上がってくる。

いくら千年以上前から続く"百人一首の世界"がバックボーンだとはいえ

ここまで〈年寄りを描いた高校生漫画〉は、まさに空前絶後と言っていいだろう。

 

もちろん、メインの読者は十代からせいぜい三十代の女性だ(はず・・だよね)。

なので、恋愛要素を欠かすことはできない。

本作でも〈王道パターン〉の「幼馴染み」「三角関係」「片思い」「すれ違い」などが

随所で甘酸っぱい匂いを放っている。

しかし、小学生がそのまま高校生になったようなヒロイン千早のお陰か

あくまでメインは〈かるた〉、恋愛はその次(もっと下かも・・)に過ぎない。

たとえ他の登場人物が"恋愛方面"に傾きかけても

〈千早フィルター〉を通すと、全部「かるたエピソード」へ変換されてゆく。

おかげで?、ドロドロした恋愛モノが苦手なオレら読者は

最後まで気持ちよく、三者三様の恋模様を楽しむことができた。

酸いも甘いも知り尽くした恋愛巧者の皆さまからは

「千早の恋愛感覚は余りにも幼稚だ」などと、お叱りを受けるのかもしれないが。

 

なにはともあれ、第一首と題されたプロローグから

通算247回目となる「最終首」に至るまで。

さらには、"みんなのその後"を描いた番外編『はなのいろは』までも。

尻尾の先までぎっしり餡が詰まった"極上たい焼き"のような

上手い巧い旨い「青春&老春?スペクタクル大長編かるた漫画」に出逢えて

心から幸せだったと思うのだ。

 

最後に、本稿とは関係ないけれどーー

我が読書の師・目黒孝二氏のご冥福をお祈り申し上げます。

そして、心からの感謝を。

あなたのおかげで、素晴らしい本たちに出会うことができました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明日から鹿児島♪

旅が近付くと、その準備(おもに計画作成)のため

本ブログを書く余裕がなくなってしまう。

今回も、三十数年ぶりの鹿児島(南九州)ということもあり

ほぼゼロから組み立てないと気が済まなかった。

しかも直前になってから

今日13日の予定だった種子島のロケット発射が

15日の10時台へと変更された。

 

その結果、旅行2日目の予定を急遽再検討。

朝早く出発し、種子島が一望できる大隅半島南岸で

その瞬間を眺めることに。

もっと熱心な方だったら、前日中に船で乗り込み

発射場間近で決定的瞬間に臨むのだろうが

往復の交通や宿泊で一人あたり3万円が以上必要との計算結果に

あっさり断念したのだった。

 

ま、先日たまたまJAXAの方に

「ロケット打ち上げの当日、たまたま鹿児島にいるんですけど

 どこに行けばよく見えますか?」と訊ねたら

鹿児島市内からでも十分に見えますよ」と太鼓判を押されたので

最悪、鹿児島港あたりで見てもいいかな・・なんて軟弱なことも考えてたりして。

 

ともあれ、明日から17日まで鹿児島へ。

例によって朝イチ(5時30分)発のバスで羽田空港に向かうので

明日は超早起きが必須なのだ。

そんなわけで、さっさと飯を食って寝ることにしよう。

 

ではでは、またね。

『もう一度、歩き出すために 大人の流儀11』 伊集院 静  /引用三昧 18冊目  

大病を乗り越え、ますます自由闊達となった人気エッセイ・シリーズ。

個人的には、新型コロナに対して感情的すぎる気もするが

東日本大震災にすら当事者意識を持てなかった当方が"甘ちゃん"なのかもしれない。

でも、それがフツーなんじゃないかな。

・・とまあ、ぬる~いゴタクはこのくらいにして

熱く激しく鋭い名言の数々を、ちょっとばかし拝借。

 

第一章 笑える日が来る 

ふいに思い出す 人は自分に、あまりにも悲しいことが起きると、最初、戸惑い、興奮し、尋常のこころ持ちではいられなくなる。涙する人もいれば、押し黙ってしまう人もいる(人によっては寝込んでしまう場合もある)。

特に近しい人、親しい人との別離は、当初の悲しみがようやくやわらいで、なんとか一人でこの悲しみも克服できたようだ、と思っていたりすると、何でもない時に、普段の暮らしの中にいるのに、悲しみは突然やって来る。もうすっかり忘れて、笑うことも、何かにワクワクするようなこともできはじめていたのに、悲しみは平然とやって来て、当人を戸惑わせる。

厄介この上ないが、当人しかわからないので、周囲の人は気付かない。その上、状況を説明しても理解してもらえない。  [13]

 

今になってわかる

父と子であれ、母と娘でもかまわぬが、人の死はテキストや教科書とは違い、寡黙の中の言葉であるから、人々の内面にたしかなものを刻むらしい。

「いいか、失敗、シクジリなんて毎度のことだと思っていなさい。倒れれば、打ちのめされたら、起き上がればいいんだ。そうしてわかったことのほうが、おまえの身に付くはずだ。大切なのは、倒れても、打ちのめされても、もう一度、歩きだす力と覚悟を、その身体の中に養っておくことだ」

いずれにしても生半可なものは少ないのである。 [26]

 

君の後ろ姿 私はかつて、人の死は、もう二度と逢えないというだけのことであり、それ以上でも、以下でもない、と書いた。

しかし今となっては、深夜の仕事場でなにげなく立ち上がった時、その床の上に、私を見上げるバカ犬がいて、尾を振り、舌を出し、少しゼイゼイしている彼を、両手を下に差し出し、かかえ上げることができたらどんなにか、と思ってしまう。私も彼も、生きて逢えたことの素晴らしさを確認できるだろうに。

私が少年時代、父から教わったことのひとつに、「いいか、グズグズした男になるな。他の人より金がある、頭がイイと自慢するような男になるナ」というものがあった。

だから私は、バカ犬の写真を深夜の仕事の合い間に見て、グズグズとはしないのである。  [29]

 

第二章 遠回りでも構わない 

金は怖い 金に困らず名作を書いたのは、森鴎外谷崎潤一郎だけである。樋口一葉など可哀想なくらいだ。しかし金が余っている家で、名作を書いた作家は少ない。

妙なものだ。   [62]

 

男気のある人 福島ではあきらかに原子炉の被災を受けた子供たちの甲状腺がんなどの被害が発表されたのに、電力会社はわずかな治療費しか出そうとしない。チェルノブイリの実態も調査などしていない。被災した女性がやがて子供を産み、赤チャンも母親自身も年老いた時、影響は間違いなく出るのだろうが、そこに目を向けようとしない。これがすべて日本のやり方である。        

福島が放射能の被害で大変な時、そのガレキの受け入れをどこも皆拒否する中、毅然と受け入れると言ったのは、石原慎太郎都知事の東京だけだった。   [69]

 

急がない 

ミャンマーが酷い状況である。軍人の政権、軍人という人間の精神構造の怖さ、狂乱への自制心のなさが一気に突出している。民主勢力が制裁を加えれば、彼らは平然と中国へ、国の行方を頼るだろう。今はどんどん中国の国力と国勢が、民主勢力をおさえて急成長している。ミャンマーの新政権が成立すれば、ロシアも、中国もすぐに祝いに駆けつけるだろう。日本はこれまでミャンマーに莫大な支援をしてきた国である。この支援を一気に断ち切れはしまい。野党議員がいっせいに現内閣の対応を責めるだろうが、これまでミャンマーにも訪問したことのない議員が勝手なことを言うべきではない。[76]        

爽やかな風 ベーブ・ルースの本当の価値は、彼のホームラン見たさに、かつてない観客が球場にやって来たことだ。

記録よりも、人が人を呼ぶ能力の方が何万倍も貴重だ。野球はスポーツだが、興行であるのが基本なのだから。[90]

 

流した涙 スポーツ新聞を買わなくなった。街のコンビニエンスストアの棚にもスポーツ新聞は以前の半分以下になっている。

――コロナ禍か?

勿論、それもあろう。東京オリンピックが開催されたのだから、或る程度、売れていてもよかったのではと思うが、ますます売れなくなったという。

――なぜか?

スポーツ新聞の内容が、かつてないほど酷くて、読んでも面白くも何ともないからだ。

なぜ、そうなったか。編集委員とスポーツ記者一人一人の、スポーツの見方と、文章が読むに堪えないほど低レベルになったからだ。丁寧な取材をしない。

真摯に文章を書かない。ダジャレのようなタイトルばかりを書いて、最後にはガキの文章になっている。編集委員が文章をチェックしない。いやそれ以前に彼等も新聞の文章の書き方を習得していないのかもしれない。[91]

 

先日、プロゴルファーの石川遼選手がトーナメント最終日のインタビューで涙を流していたと報じられた。

――そんなことが、記事にするほど重大事なのか!報道の本質とは違うだろう。

第一、石川遼さんに失礼ではないか。彼は少なくとも十年近く、日本の男子プロゴルフ界を一人で支えてくれた選手である。散々、それを利用したのはスポーツ記事であり、スポーツ記者ではないか。涙のことくらいは書かずにおいてやるのが、彼に対する礼儀なのではないか。“クラブが折れて、心が折れた”などとダジャレを書いて恥ずかしいとは思わないのか。なぜ心が折れたとわかるのか? そんな情緒が記者にあるのか?

一度涙を見せたら負けだ、という世界があるのを記者はおそらく知らないのだろう。[93]                               

 

第三章 立ち止まってみる 

変わらないもの 支持率低下と言うが、私はテレビ、新聞等のマスコミが調査した数字をほとんど信用していない。

日本人ほど、調査に関して公平さ、その調査法への疑問を重要だと思っていない人種と国はおそらく世界中でも珍しい。

マーケティングという言葉が日本へ入った時(おそらくK大学の村田某という教授あたりだったと思うが)。マーケティングの基盤には、市場調査が最も大切なことだった。

私は、その当時、最先端と呼ばれたマーケティングの抗議で一番疑問に思ったのは、市場調査のいい加減さであった。その頃、調査会社が雨後の筍のようにあちこちで生まれた。

その調査会社にアルバイトに行った時、正確な調査よりも大切だったのは、どの方向に調査結果を持って行くか、ということと、どの程度の差異をつけて調査結果を出すか、ということだった。

初めに結論を、そうでなくとも、結果の方向性を決めるのが、プロデューサーの大きな仕事だった。この話、今のテレビの報道のやり方と大変よく似ている。

報道にとって“真実を広く知らしめる”などということは、すでに死語となっている。この言葉が生きているのなら、中国の新疆ウイグル自治区で実際に行なわれていることはとっくに暴かれているだろうし、命懸けでそこへの突進が試みられたはずだが、一向にそれらしいものはない。

暴けば、死者、行方不明者が必ず出る。それが、今の中国のやり方である。

これは中国だけでなく、ミャンマー北朝鮮、そしてどこよりロシア連邦で、平然と起こっていることなのである。 [108]

 

「引用(盗用)するのは半分まで」という自己ルールで続けてきたが

今回に限り、108ページまで許していただきたい。

"初めに結論を、そうでなくとも、結果の方向性を決めるのが、プロデューサーの大き

な仕事だった"との一節に、(元)同業者は大声で「その通り!」と賛同したいから。

と、こんなふうに、闇夜の地雷原を強行突破するごとく

いたるところでトラップに遭遇したり、共感の起爆スイッチを踏んでしまうのだ。

もっと&ちゃんと読みたい方は、元本を入手していただこう。

 

ではでは、またね。