また泊りたい!と感激した宿は、この3年間で2軒のみ 甲州ふたり旅 2022.8.22-23 1日目(2) ホテル神の湯温泉

2022年8月22日(月) 自宅⇒相模湖⇒ホテル神の湯温泉

 

  肝心の富士は雲の中だが、眺めは悪くない。にしてもパンフの写真はデカすぎる。

 

さすがは甲府盆地

覚悟していた以上に蒸し暑さがキツかったので

フライング気味にチェックインを済ませ

この時間なら空いているかな・・と

2階にひとつだけ設置されている無料貸切露天風呂へと急ぐ。

しかし、時すでに遅し。

15時5分過ぎにして、先客のスリッパが入り口前に並んでいた。

・・おそらく"一番風呂狙い"のカップルなんだろうな~。

肩を落として、1階の大浴場へと方向転換。

 

ロビー&売店エリアを突き抜けて奥に進むと、左手に小振りな入口が。

脱衣場も、予想していたよりもコンパクト。

だが、肝心の浴室は、少々古さを感じたものの

水温の異なる浴槽が5~6ほども並び、広々としている。

しかも早い時間たったので、先客はわずかに1名。

ほぼ、貸し切り状態だ。

さっそく湯をかぶり、庭に面したガラス戸を開けてみると

岩場を模した露天風呂にも、人の姿はなかった。

根っからの「ロテンスキー」なので、迷わず堪能させていただいた。

 

・・とはいうものの、いつものように"こころゆくまでのんびり"とはいかなかった。

8月下旬の午後3時過ぎ。

陽射しはサンサンと照りつけ、湿度が高いだけに、しつこく身体にまとわりつく。

温泉に入らず、まんま全裸で過ごしていても問題ないほど、蒸し暑いのだ。

さほど湯温も高くなかったが、結局、10分ともたずにギブアップ。

やっぱ、夏場の露天風呂はイマイチだなぁ・・

後悔しつつ、幾つもの浴槽が並ぶ内風呂へと戻った。

 

と、そこで初めて、浴室内の壁一面に記された案内文に目が留まる。

この温泉宿では、入浴にオススメの「順番」があるらしい。

それによると、まずは体温と同程度の熱さの浴槽に入って体を慣らし。

その後、少しづつ高い水温に設定された浴槽に移っていくのが最適なのだという。

いきなり熱めの露天風呂に入るなんて、わざわざ逆らっていたのだった。

 

幸い、先客は脱衣場に消え、広い浴場内にただひとり。

ここは仕切り直して、素直に従ってみるか。

さっそく一番ぬるい浴槽に身を沈め・・・ぬるい、というよりひやっこい。

そのひやっこさが、露天風呂でほてった身体に気持ちいい。

にしても、こんなにぬるくて温まるのかな。

広い浴槽の一角に、石造のビーチソファみたいな「寝風呂」コーナーがあったので

3つ並んだ真ん中で身体を仰向け、う~~んと身体を伸ばしてみた。

・・・うわ。これは、キモチイイ。

最初のうちは、ぬるく感じていた温泉だったのに

しばらくすると、じわりじわり、身体の奥深くからほどけてくる。

ほとんど夢心地のまま、5分、10分、20分、30分・・・

ーーはっ。やばい、きりがない。

 

いくら「のんびり入ってきていーよ」と相方に言われたものの

気が付けば、あっというまの1時間。

結局、「案内文」を無視して、再び露天風呂で身体をヒートアップ。

これを"仕上げ"に代えて、脱衣所に戻るのだった。

時間は長かったけどぬるいお湯だったから、それほど汗はかいてないだろう。

なんて思っていたが、出口の給水機で冷水を何杯お代わりしたことか。

"芯まで暖まる"というのは、こういうことなのだな。

そう納得した、「寝風呂」体験だった。

※残念ながら「撮影禁止」が貼ってあったので、映像は紹介できず。

 気になる方は宿のHPなどで確認しておくれ。

 

バトンタッチするかたちで大浴場に向かった相方も

おなじ「寝風呂」が気に入ったらしく、やっぱりダラダラ浸かってしまったという。

寝風呂というより、ダラダラ風呂だな。

 

その後、相変わらず雲隠れしたままの富士山を望む甲府市街を眺めたり

最初から敷いてあった(コロナ対策)布団の上で本を読んだり

のんびり過ごすうちに、夕食時間の午後6時が迫ってきた。

いい感じて、お腹もすいている。

5分前をめどに部屋を出て、エレベーターで1階へ。

食事処へと向かう。

 

夕食は、大広間のようなところで、間隔を置いて設置されたテーブル席でいただいた。

甲州産のアルコール(リキュール?)飲料をお供に

懐石風料理がコースで次々と提供されてゆく。

うちいくつかは地元名産(マスの仲間の甲斐の介?とか)で

山梨ならではのローカル色が凝らされていた・・・はずなのだけど。

ーー正直、ほとんど印象に残っていない。

ひとことで言ってしまうと・・フツーに美味しい。

申し訳ないが、そこ止まりなのだ。

 

  郷土食を出したりと工夫は認める。ベースの味付けがワンパターンなのか。

 

なるべく安上がりに、その代わりな何度も"ここじゃないどこか"に行ってみたい。

そんなモットーで、40年以上旅を繰り返してきた。

いわゆる「高級施設」には縁がなかったが

その分、"手頃でいい宿"を見極める目と舌は鍛えてきたつもりだ。

おかげで、そこいらの(温泉)旅館が提供する

そこそこ郷土食を加えた懐石風料理は、正直食べ飽きている。

 

別に、まずい!とケチをつけているのではない。

しかし一皿一皿、わざわざ時間を置いて登場する料理が

どいつもこいつも、同じパターンの味付けで仕上がっていると

そこでもう、驚きや感動とは無縁の「フツーに旨い料理」で終わってしまうのだ。

もちろん、1人あたり1泊3万円も支払えば

"感動もの"の食事に出会える確実は、遥かに高くなるだろう。

だが、正直、だったらいいや・・なのだ。

 

そんなわけで、「ふたり旅」の食事タイムに"感動"が記されるケースは多くない。

むしろ食事付きの宿より、先日の道東旅行のように

外食を選んだときのほうが、"嬉しい驚き"に出逢える確率は高いのだ。

(なかでも6月の帯広は「安い!旨い!」のオンパレード。

 おかけで、9月下旬と10月下旬に連荘で北海道旅行を予約してしまった)

 

例によって、上から目線で、偉そうなノーガキを垂れ流してしまったけど

そんなわけで、今回の宿に対する評価は・・。

「寝風呂」にプラス1ポイント。

「夕食」は、プラマイゼロ。

ーー5点満点の、3.5点というところか。

 

ちなみに、最近3年ほどの間に

4.5ポイント以上に輝いた温泉旅館は、わずか2軒。

最大の判定基準は、「もう一度泊ってみたい」と心の底から願うこと。

実際、上記2軒のうち1軒はすでに3回泊っている(なので満点の5ポイント)。

残る1軒も、再訪してガッカリしなかったら満点をつけるつもりだ。

 

・・・旅館の晩飯の話からずいぶん離れてしまったなぁ。

ぶっちゃけ、その程度しか印象に残っていない、いささか残念な旅だったのだ。

なにより富士山の不在が、こんなに大きいとは思わなかった。

ーーま、長い人生、そんなこともあるさ。

 

       ケチつけながらも、富士抜きの夜景はそれなりに愉しめた。

 

ではでは、またね。

富士山は、雲の中・・ 甲州ふたり旅 2022.8.22-23 1日目(1) 自宅🚗来々軒🚗道の駅とよとみ🚗ホテル神の湯温泉

2022年8月22日(月) 自宅⇒相模湖⇒ホテル神の湯温泉

 

      通りすがりに見つけた、地元で愛されるラーメン店へGO。

夫婦そろって高温と高湿度が大の苦手だ。

加えて長期休みで観光地の混雑も予想できるから

「夏場の旅行」には、いまひとつ積極的になれない。

とはいうものの、前回の北海道(道東)から2カ月以上経っていたので

〈旅の虫〉が我慢の限界を訴えはじめていた。

そんなわけで、相方が平日連休を取れた8月22・23を利用し

甲府方面への一泊旅行に出かけることに。

 

理由はとても単純。

とにかく、"暑くないところ"に行きたい。

だから今回は、海じゃなくて山を目指そう。

じゃあせっかくだから、大好きな富士山を眺められる宿にしよう。

 

そんなわけで、「富士山の眺めがいい温泉宿」を甲府盆地の北に見つけ

県民割を使ってお得に泊まることにした・・・のだが。

 

あいにく、前日の天気予報は「曇り時々雨」。

"晴れ男&女パワー"のおかげか

なんとか当日朝には薄曇りレベルまで持ち直していたものの

快晴にはほど遠いもやっとした空模様だった。

とにかく、いざという時の悪運を信じて行くっきゃない!

 

朝10時前、自宅を出発。

すぐ近くを走る東名高速に背を向け、一般道をとろとろ八王子方面へと走る。

府中あたりから中央道に入ってもよかったのだが

グールグルマップで調べてみたら、高速を使わなくても3時間ちょっと。

途中の渋滞を見越しても、4時間半くらいか。

じゃ、行けるとこまで下を走ろう。

と、20号線(甲州街道)に入って、勝沼を目指した。

 

予想通り、246と違って道は細く、何度も方向転換を強いられたが

渋滞らしい渋滞には捕まらず、昼過ぎには相模湖を越え上野原へ。

そろそろお腹がすいてきたな~

夕食は食べきれないほど出るから、今回も軽くコンビニおにぎりで済まそうか。

相方に確認し、道路沿いのコンビニを待つが、なかなか現れない。

 

すると、信号で止まったすぐ右手に、一軒のラーメン店。

しかも7~8台は入れそうな駐車スペースが、ほぼ埋まっていた。

店名を確認し、スマホのマップで調べてみると・・・「4.0」との評価。

すでに信号は青に替わり、店の前を通り過ぎてはいたが

ハンドルを握る相方に声をかける。

「ねえ、いまのラーメン屋・・」

「うん。いっぱい車停まってたね。おいしいのかも」

尋常でない繁盛ぶりに、彼女も目を留めていた。

となれば――引き返すしかない。

 

      左手の駐車スペースもほぼ満杯。人気のワケが知りたくなった。

適当な四つ角で右折し、空き地を使ってUターン。

300メートルほど戻って、今度は左側になったラーメン屋の直前で赤信号。

すると運良く停車中に、満杯の駐車スペースから一台が出て来た。

ラッキー!

すかさず、空いたスペースに車を滑り込ませ

「ラーメン」「餃子」「来々軒」と記された真赤なシェードを仰ぎ見

白い暖簾をくぐって店内に入った。

 

       典型的な「町中華」。餃子とチャーハンも美味しいらしい。

 

「いらっしゃいませ!」の声に指で2人と応えると

中ほどの右手、清掃&消毒を済ませたばかりのテーブルに案内される。

思ったより中は広く十以上のテーブルが並んでいたが

そのほとんどが埋まっていた。

中央を透明アクリル板で仕切られた対面席に腰掛け、ぐるりと店内を見渡す。

これぞ町中華!と自慢したくなるほど素朴で庶民的なたたずまい。

客の大部分は地元の方々らしく、給仕役のおばさんと親しく声を交わしている。

 

さて、何を注文しようか。

大きな一枚パネル?に記されたお品書きに目を落としつつ

さりげなく、周りのテーブルを見渡す。

・・お昼時とあって、セットの定食を前にした人が少なくないが

そこまでガッツリ食べてしまうと、晩飯が入らなくなる。

単品で目に付いたのは、チャーハンとラーメンか・・

よし、ここはシンプル+ストレートに醤油ラーメンにしよう!

目で相方に尋ねると、彼女も同意見だった。

 

待つこと数分。

「お待たせしました」の声と共に、ラーメン丼がトンと着地する。

濃い口醤油を使った、見るからに関東風な色黒醤油ラーメン。

鼻先に漂ういい香りに、思わず割り箸を手に取り、麺をひとすくい・・・

おっといけない、写真写真。

箸をデジカメに持ち替え、とりあえず一枚。

 

    いちど混ぜてしまったので"ややグチャ"。ちょっと遅かったか・・

 

知ったかぶりな食レポは誰か他の人に頼むことにして

東京の下町?(大田区)で生まれ育ったうたたにとっては

どこか懐かしい、正統派の醤油ラーメンだ。

スープの味も見た目ほどくどくなく

魚介(イリコ?)ダシが効いてて、いくらでもイケてしまう。

要するに、飽きが来ない"安心の味"ってところか。

一杯600円也という良心的な価格も、ポイント高し。

少なくとも、我らふたりには「久々に美味しい醤油ラーメンだった」と

満足できる味だった。

ちなみに食べログの採点は信用していないので、今回も考慮せず。

 

再び車に乗り込み、甲州街道を一路西へ。

相模湖あたりからは中央高速を利用する人がほとんどなので

くねくねながらも道はガラガラ。

思ったよりずっと快適なドライブを楽しむことができた。

ひとつだけ気がかりなのはーー天気。

雨こそ落ちてこないものの、頭上にはどんよりと雲が広がっており

遠方への見通しが、まるで利かないのだ。

この調子じゃ、富士山の姿は拝めないかもなぁ。

 

それを確かめるべく、早いとこ(見晴らしのよい)甲府盆地に出てしまいたい。

当初は立ち寄るつもりでいた「道の駅つる」や「初鹿野」もパスして

ノンストップで勝沼へと抜ける。

車の窓から、一気に視界が開けた甲府盆地の南方を眺めると・・

稜線が確認できたのは、手前に延びる御坂山地のみ。

――優雅でダイナミックな富士山の姿は、完全に雲の中に飲み込まれていた。

 

最近2度の山梨旅行(2回とも山中湖畔)では

どちらもドンピシャで富士山に迎えてもらっただけに、落胆は大きかった。

正直、天気予報はイマイチだったけど

そこはいつもの"天気運の強さ"が頑張ってくれて

今回もなんとかなるんじゃないか、なんて高をくくっていたのだ。

・・いやいや、まだ旅は始まったばかり。

今日中、悪くとも明日にはきっと姿を現わすに違いない。

 

さて、富士山会いたさに急いで走ってきた分、まだ時刻は13時過ぎ。

宿にチェックインできる15時まで、時間を潰さなくては。

近場にある道の駅を探し、南方の「道の駅とよとみ」まで足を延ばす。

だが、あてにしていた観光マップやパンフレットは見当たらず

ガックリ肩を落とし、何も買わずに車にもどる。

結局、時間調節とトイレ休憩のためだけに甲府盆地を南北に往復したのだった。

盆地ならではのモワッとした熱気と

相変わらず雲の彼方に隠れたままの富士山を恨みつつ、甲府盆地の北を目指す。

 

  「道の駅とよとみ」で撮った唯一の写真。どことなく"ガッカリ感"が漂う。

 

で、カーナビに従って北上していくと

まだ市街地まっただなかというのに、宿まで「あと5分」の表示。

・・あれ?

今日の宿のウリは「部屋から富士山が一望できる」だったはず。

それなら、もっと山の上にあるんじゃないの?

しかしナビは、住宅街に続く道の途中でーー「目的地に到着しました」。

確かに眼の前には、パソコンでチェックした温泉ホテルの建物が。

予想していたよりも、ずいぶん街なかにあるんだなぁ。

これが、第一印象だった。

 

   住宅地に聳える本日の宿。山の上じゃなかったから、ここも暑かったなぁ。

 

幸い、宿に到着したのは、15時10分前。

受付でチェックインを済ませると、そのまま客室に入れるという。

エレベーターで4階へと上がり、広い和室でくつろぐことができた。

売り文句に違わず、大きなガラス窓の向こうには、甲府市街が一望。

少々近過ぎる気もしたが、さすがに眺めは悪くない。

だがさらに南の展望は、富士五湖との間に聳える御坂山地まで。

哀しいかな、富士山の裾野すら拝むことはできなかった。

 

         確かに、部屋からの展望は、悪くない。

        だけど富士が・・富士山が、雲に隠れていたのだ~😞

 

正直、一気にテンションが落下した。

なにせ、今回の旅の目的のほぼ半分は、富士山を眺める!だったのだから。

 

でもまあ、こちとらモーゼでも親鸞でもない。

一発気合を発すれば、雲が割れて富士山が顔を出すわけじゃないからね。

今後の天候回復を祈りつつ、もうひとつの自慢だという「温泉」に入ってみるか。

渡された部屋の鍵は一つしかなかったので、小休止するという相方を残して

いそいそと大浴場へと向かうのだった。

 

ではでは、またね。

人生は?と!でできている。 『チ。-地球の運動について-』全8集 魚豊 周回遅れのマンガRock

キリスト教が唯一絶対の真理だと硬く信じられていた15世紀前半から後半にかけて

異端審問による処罰(火刑)を恐れながらも、地球を中心とする世界=天動説を疑い

地球は太陽の周りを回る地動説の立証と流布に、命を賭けた人々の物語である。

「人々」だから、主人公は次々と登場する。

それも・・え? こんなとこ死んじゃうの!?

というほどのあっけなさで、次々に命を落としてゆく。

まずは、この"喪失感"が、とてつもなく新鮮だ。

 

ふつう、物語の主人公は、そう簡単には死なない。

それが読者にとって共感しやすい、情熱や真理を求める人物であればなおのこと

絶体絶命の窮地に追い込まれようとも、針の穴を通すほどの僥倖によって生き延び

最終的な勝利と幸福を勝ちとるものである。

ところが、本作の「主人公たち」は、いともあっさり自らの死を選び取る。

自らが掴み取った〈感動〉という名のバトンを、やがて現れる"誰か"に託して。

 

おそらく本作の主人公は、〈登場人物〉ではなく、

彼ら彼女らが見いだした、"地球は動いている!?"という〈感動〉なのだろう。

だから、「黙殺を選ぶか異端発覚=死刑を選ぶか」など

理屈(常識)で考えれば成立しえない二者択一を迫られても、叫ぶのだ。

燃やす理屈なんかより!! 僕の直感は地動説を信じたい!! ・・・と

 

こうして「地動説」という名の〈感動のバトン〉は

時を越え、世代を越えて、受け渡されてゆく。

 

かねてから「漫画は絵ありき」と考え

気に入った作品は何度も読み(鑑賞し)返している。

この基準からすれば、絵の描写に関する作者の技量は、満足に程遠い。

それでも、真理を目指す圧倒的なパワーと、命を賭けた想い(言葉)のバトルが

粗削りな絵柄の"向こう側"から、《生きる喜び》を訴えかけてくる。

かくも"切実"で"必死な"物語に巡り会えたのは、久しぶりだ。

 

あ、先ほど、本作に人間の主人公は存在しない。

なんて書いたけど、一番それ(主人公)に近い人がいた。

地動説を受け継ぐ側ではなく、彼らを拷問&処刑する異端審問官だ。

物語のクライマックスも、彼の死とともに迎えることとなる。

ひとつだけ、ガッカリしたのは

そこに十字架=神様のイメージを書き加えたことかな。

徹頭徹尾リアリズムで描いてきた本作が

このワンシーンでグズグズになってしまった気がしてならない。

それを言ったら、「彼」の復活?もファンタジー化の現われかもしれないけど。

 

ま、ささいなイチャモンづけはこのくらいにして。

表題に書いたとおり、本書は?と!に満ちた感動作であることは、間違いない。

禅問答を連想させる長大な会話劇についていけない人もいるだろうが

そこは、本作の"魅力"のひとつなので、頑張っていただきたい。

少なくとも、グレッグ・イーガンの科学解説なんかより、遥かに理解しやすいはず。

 

今回もラストは、ネタバレ必須の「名文句」で。

知が人や社会の役に立たなければいけないなんて発想はクソだ。

 

ではでは、またね。

死ななきゃ「人間」になれないの? 『銀河の死なない子供たち㊤㊦』施川ユウキ 周回遅れのマンガRock

★要注意★本稿はネタバレを含む★

 

自身が普通に成長し、やがて死ぬことに対して

「すっごくドキドキする!」と笑顔で語る、"死なない女の子"π(パイ)。

このシーンをクライマックスとする本作品に対し

各界から絶賛の声が湧き上がっているようだ。

 

けれども、実際本書を手に取り、上下巻を通読してみた結果・・

残念ながら、感動や共感を得ることは出来なかった。

むろん、うたたのひねこびた性格も手伝っているのだろうが

なによりも気持ち悪いのは

永遠の命の代わりに、成長&死という運命を選び取った女の子・π(パイ)が

その決断以前に、少なくとも数百年以上の長い時間を"生きている"ことだ。

しかも上巻のほぼ半分を使い、復活&再生を繰り返す"不死身の存在"だと描かれる。

 

何を言いたいのかというと・・

彼女は、不死身かつ完全健康体の状態で時間を止められ

数世紀・数十世紀に渡って延々と単調な日々を過ごしてきた子供、ということ。

つまりーー変化せず生きるのに飽きたので、成長し、老化し、死んでゆくのが楽しみ。

・・それだけのこと。

いったいこの言動のどこに感動すればいいのか、正直まったくわからない。

それって単なる身勝手じゃんーーとしか思えないのだ。

まだしも、「母さん」と残ることを選んだ少年・マッキの方が共感できる。

 

わからないと言えば、もっとわからないのが、瀕死の状態にありながら

最後まで頑なに永遠の命を拒んだ、人間の女の子・ミラの気持ちだ。

「人間として生きて、人間として死ぬ」と言い切り

「あなたも可哀想」と上から目線で「母さん」を断じて死んでゆく彼女からは

"死ななければ人間じゃない"、という頑なな思い込みしか伝わってこない。

さしずめ〈人間原理主義〉ってところか。

「人間」の二文字を宗教名に入れ替えれば熱烈な信者だし

国の名前にすれば、筋金入りの愛国主義者だ。

 

・・・それとも、あれか?

天国みたいな死後の世界が存在するって、信じてるのか!?

なら「私は星になってふたりのことを永遠に見守っています」とのメッセージも

言葉通りに受け取ればいいしね。

うーーん、結局は〈宗教観の違い〉に落とし込むしかない話題なのか。

"あの世"とか"前世・来世"とか"生まれ変わり"とか

欠片も信じられないうたたには、文字通り別世界のお話だもんな。

 

てなわけで、本作品から湧き上がった強い想いは、次の一点。

 

一度でいいから、(πのように)飽きるまで生き続けてみたい!!

 

『5億年ボタン』じゃないけど、千年や万年は飽きずに過ごせる自身があるぜ。

"すっごくドキドキ"しながら死を待つのは、その後でいい。

 

「死を受け入れることで人間になれる」

という本書のロジックは、ちょっと魅力的だけど

それもまた、ひとつの〈宗教観〉でしかないと思う。

少なくとも《人間だから不死より死を選ぶ》には、直結しないはずだ。

 

以上をひとことにまとめると・・

別に、人間じゃなくてもいいじゃん。

死なない自分になれるなら

 

ではでは、またね。

今月(2022年8月期)読んだ&揺さぶられた本 MakeMakeの読書録

連日の猛暑を避けるべく「ヒキコモリ暮らし」が続いたおかげで

自室にそびえる"積読(つんどく)山脈"を、快調に制覇していくことができた。

(といっても、新たに地層を作った本の方が多いのだが・・)

ちなみに、今月のラインナップは以下の通り。

 

2022.8 ★『世界堂書店』米澤穂信

★★『パラ・スター〈Side 百花〉』『--〈Side 宝良〉』阿部暁子 

★『あまたの星、宝冠のごとく』ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア     

★『マイルズの旅路』ロイス・マクマスター・ビジョルド

★『掟上今日子の挑戦状』『掟上今日子の遺言書西尾維新

★★『BISビブリオバトル部③ 世界が終わる前に』山本弘

★『うなドン 南の楽園にょろり旅』青山潤 

★★『グラビアアイドルの仕事論』倉持由香

★『無菌病棟より愛をこめて』加納朋子

★★『探検家とペネロペちゃん』角幡唯介

★★『美味しい台湾 食べ歩きの達人』光瀬憲子

★★『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史 3』

  オリバー・ストーン&ピーター・カズニック

 

〔コミックス〕(※は読み返し)

★★※『つづきはまた明日 全4巻』紺野キタ

★※『猫の手はかりない!つづきはまた明日 全2巻』紺野キタ

★『Liiy Lily rose 全2巻』紺野キタ

★★※『バーナード嬢曰く➀-⑤』̪施川ユウキ

★『銀河の死なない子供たちへ㊤㊦』施川ユウキ

★★※『あそびあそばせ➀-⑪』★『⑫⑬』鈴川りん

 

ちなみに、《今月面白かった本Best3》は

【小説】①『パラ・スター 〈Side百花〉〈Side宝良〉』

    ②『翼を持つ少女(BISビブリオバトル部シリーズ)』

    ③『世界堂書店』 

【小説以外】①『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史 3』

      ②『グラビアアイドルの仕事論』

      ③『探検家とペネロペちゃん』ーーの6作

コミックは、『つづきはまた明日』と『あそびあそばせ』の2本。

 

やはり"何度でも観たくなる絵"を高く評価する傾向があるな~。

各界が絶賛する『銀河の死なない子供たちへ』は、どうにも共感できなかった。

批判になっちゃうけど、理由は後日の「周回遅れーー」で。

 

ではでは、またね。

「愛娘」を"探検"してみたら、こうなった。 『探検家とペネロペちゃん』角幡唯介 周回遅れの文庫Rock

本人はあれこれと理屈をこねまわしているが

紛れもない「親バカ本」である。

だって、いきなりコレなのだから。

私の娘は異様にかわいい。異様にかわいいのだ。問題の核心がここにある。         おいおい、自分の娘を異様にかわいいとか公言するなんて、こいつ親バカにもほどがあるなぁと思われるかもしれないが、私はべつに親バカかどうかという次元の低い議論をしているのではなくて、純粋に客観的かつ公平的基準からして私の娘は異様にかわいいということをいっているのである。10p

ここまで書きながら、"異様にかわいい"娘さんの容貌が確認できないのは、理不尽だ。

いくら個人情報などの問題があるとはいえ、これでは〈客観的判断〉の下しようがない

ではないか。ズルイぞ、角幡。

                           

だが、そんなフラストレーションとは裏腹に、妻の妊娠から出産。

そして娘(ペネロペ)の成長に伴う"密着取材"のあれこれは

誰が何と言おうと『探検記録』以外の何物でもないのだ。

たとえば、妊婦となった妻を〈探検者目線〉で観察していくと・・

妻を見ているうちに私には、妊娠・出産には極地探検やヒマラヤ登山などがおよびもつかない自然体験度、命実感度があるのではないかというふうに思えてきたのだ。胎児は、自分の子供とはいえ、他者である。別個の生命体である。ことなる生き物が自分の腹のなかにいて、自分の管から栄養分が注入され成長し、蠢(うごめ)いているのである。想像を絶する話ではないか。22p

探検家・角幡は、この"自分には決して味わえない体験"に臨む妻を、激しく嫉妬する。

 

男・角幡の"未知なる体験=妊娠&出産"への憧れは、出産が迫るにつれ次第に高まり、

分娩室での右往左往に結実してゆく。

「自然に産みたい、自然に産みたい、頑張れ、私‥‥」              自らを鼓舞する妻の姿を見ていると、彼女は今とてつもない戦いを演じているのだと思う、私も胸が熱くなってきた。何か手助けしなければと思い、腕や足をマッサージしたり、励ましの声かけなどをしたりしたが、しかし妻からするとただウザいだけだったようで、「どこも触らなくていいから‥‥」「二酸化炭素をこっちに吐きかけないで」などと逆に迷惑がられてしまう。36p

 

無力な傍観者の状態が半日続き、角幡の想いは妻からまだ見ぬ子へと移ってゆく。

「大丈夫だって。産める。絶対産めるって」                     励ますことしかできない私であるが、その壮絶な奮闘ぶりを見ているだけで、胸に熱いものがこみあげてくる。それにしても母親にこれほどの難産を強いるとは。なんたる頑(かたく)なな子供だろう。薬物を使ってまで、早く出てきなさいと登場を促進しているにもかかわらず、絶対に嫌だと断固拒否する態度を貫こうとしているのだ。今ならよくわかるが、娘は、誰に似たのか、親のいうことを素直に聞かないひねくれた性格の持ち主で、誕生日の時点ですでにその性分を存分に発揮していたのだ。40p

この一文だけで、著者・角幡の妄想&暴走ぶりが、お判りいただけるはずだ。

誕生する前からペネロペは、この親バカ探検家ならではの"色眼鏡"を通して

これでもかとばかり観察・分析・考察され、強引極まる推論へと紐づけらるのだ。

子供とはDNAが人生にしかけた爆弾のことだ。ワトソンとクリックが考えだした巧妙な罠である。子供ができることで人間ははじめて二重螺旋構造の真の意味を知る。そうかっ! 二重螺旋とは単にポリヌクレオチド鎖が絡みあって配置されたデオキシリボ核酸の立体構造のことではなく、親と子供の切っても切り離せない命運のようなものを指すのか、と。そして私は今日もペネロペを両手に抱き、「お前が一番かわいいなぁ~」といいながら居間の絨緞の上をゴロゴロと転がる。すると抱きかかえられたペネロペも「お前が一番かわいいなぁ~」と呼応する。54p

いったいお前はどこに行くのか・・?

そう声を掛けたくなるほど、妄想は暴走を呼び

探検家・角幡の育児?記録は、未踏の北壁に挑む天才クライマーの如く

読者が想像しえなかった斬新なルートをたどって、"頂上"を目指してゆく。

 

その見事なまでの逸脱ぶりは、

あまりにも魅力的かつ個性的な「ペネロペちゃん」の言動共々

ぜひご自身で、直接堪能していただきたい。

・・と結ぶその手?も降ろさぬうちに一節だけ、紹介してしまおう。

とにかく、ペネロペが面白過ぎるのだ。

生後十カ月で二足歩行をおぼえると、もはや彼女の自由意志を防げる障害はいっさいなくなった。それ以後は歩く歩く、そして走る走る。さらにそこに生来の剽軽さがくわわり、走ったと思ったら急に立ち止まって顔中しわくちゃにして変顔をしたうえ、パラパラみたいな独特のおかしな振りつけで踊りはじめる、などという奇天烈な行動をとるようになった。しかもまだ二歳の幼児、常識や公衆道徳の概念が育っていないので、そのおかしな動きに歯止めをかけるものは何もない。親としては、できれば枠にはめるような教育はしたくいなという戦後民主主義的な思いもあり、つい見守ってしまいがちになるのだが、そうするとペネロペのふざけた態度はさらにエスカレートして、ストッパーなしの天真爛漫な自由意志の表現体と化す、その結果、本屋に行っては文庫本をバシャバシャ投げ飛ばし、登山道具店に行ってはサングラスや登山靴を床にぶちまけ、スーパーに行っては野菜を放り投げてついでに変顔&パラパラ踊り等々のやりたい放題となり、「いい加減にしろ! 待てっ!」とこっちが怒鳴ってつかまえようとすると、追いかけっこがはじまったと勘違いして大喜び、「ウキャキャキャキャー」とサルみたいな歓声をあげて逃げまくるのだ。97-9p

 

はたで見ている分には面白いけど、関係者にはなりたくないーーというヤツ。

当のペネロペは、現在8歳(前後)。

もはやこういう光景を目にすることは叶わないが

できれば、一度ナマで拝みたかったな。

 

例によって、風呂敷拡げっぱなしな感想文だったけど

まっとうな「父親論」や「父娘論」としても、読みごたえ満点だ。

ちなみに、むかし北アルプスを縦走したうたたは

ラストの「ペネロペ、山に登る」で、もらい泣きせずにいられなかった。

 

ではでは、またね。

白血病治療の"リアル" 『無菌病棟より愛をこめて』加納朋子 周回遅れの文庫Rock

古くは夏目雅子、最近では池江璃花子

病名を聞いて思い浮かべる連想する人物といえば、その程度。

病気の中身も、「血液のガン」という言葉から連想できる範囲がせいぜい。

それくらいお粗末な予備知識で、本書を読み始めた。

すると・・

目玉にこびりついていた頑固なウロコが

ポロポロ、ボロポロ、落ちること、落ちること。

発見と驚き、そして感動にやられっぱなしのひとときだった。

 

これは、突然(急性)白血病と診断された小説家(女性)が

その後体験した、治療と闘病の日々を克明に記録した、いわゆる「闘病記」である。

題名からも想像できるように、抗がん剤の大量投与で免疫力ゼロとなった彼女は

幸いタイプが合致した実弟から骨髄(液)を移植してもらうことで

"余命数ヵ月"という絶体絶命の危機から脱出。

様々な後遺症に悩まされながらも、日常生活への復帰を果たした。

(その後、再発のニュースを受け取っていないため、勝手にそう判断している)

 

それにしても、(急性)白血病が、こんなにもシビアな病だったとは・・!?

池江璃花子の闘病ドキュメント番組だって、ちゃんと観ていたはずなのに

当事者の不安も苦しみも絶望も、なにひとつ切実に受け取っていなかったのだなぁ。

 

なにしろ、しょっぱなから驚かされっぱなしだった。

だって、長引く貧血をなんとかしようと検査を受けたら、いきなりだよ。

「まだ検査結果は一部しか出ていませんが、診断はつきました」             そう前置きしてから、先生は続けた。                     「急性白血病で間違いないでしょう。今日これからすぐに入院手続きに移って頂きます31p

それぐらい突然発症し、また一日でも早く治療しないと命に関わる事態だってこと。

実際、彼女のケースでも、そのまま放置していたら半年前後の命だったらしい。

しかもその晩、パソコンを開いた著者の目に飛び込んできた数字は・・

五年生存率、35パーセント。

「三人に一人か」と私はつぶやいた。43p

 

突如〈生死の境目〉に立たされてしまった、著者。

しかし、その割に彼女の言動は、どこか"他人事"のまま。

「遺影はさ、あれにして。私の机の上に飾ってる、木村多江さんと写ってるやつ」51p

その後、同じ病気に罹った有名人の話になった。                  「十万人に四、五人ってわりに、芸能人でけっこうなった人多いよね。歌舞伎役者でもいるし‥‥芸能人なんて十万人もいないでしょ。どうしてこんなに偏ってるんだろう? 作家でなったなんて、聞いたこともないし」52p

当事者でなければ"不謹慎"呼ばわりされかねない、のほほんとしたムードが漂う。

著者自身もツッコミを入れつつ、次のように弁明する。

だけど今から、聞いたばかりの怖い副作用の数々や、敗血症だの感染症だのに怯えてたって仕方がない。まだ起こっていないことに怯えてたって、何ひとついいことはないのだ。だいたい、さっきはさらっと流されていた脱毛だって、私には相当ショックなわけだけど、それだってやっぱりくよくよしても仕方のないことだ。もうニット帽だって買ってある。58p

いやいや、まだ本格的な治療を受けてないから、こんなクールに語れるんだろう。

 

ところがどっこい。

幾度もの抗がん剤投与で、発熱、吐き気、咳、動悸、脱毛などなど

相次いで様々な副作用に襲われ、満足に眠れぬ日々を過ごすはめになっても

筆者の"のほほんマインド"は、苛酷な現実にコミカルな色を添えてゆく。

その夜、狙い澄ましたように友達からメールがくる。他愛ない内容に対して、「わ、すごい偶然だね、今、一時退院中なの」と返すと「え、いつかの気管支炎?」と返信が来る。GWの時の話だ。                               「いやそれが、白血病で‥‥」と変身した途端、やり取りがぱたりと途絶えてしまった。‥‥どうしよう。127p

この見事な〈天然色〉おかげで、普通なら深いシワを刻み続ける読者の眉間も

苦笑と共に開き、シビアな状況も少ないダメージで受け取ることができた気がする。  

このあたりは、"さすがストーリテラー!"と称賛すべきところか。

 

ともあれ、ここまで〈患者目線の白血病闘病記〉は、極めて貴重である。

なにせ、読むだけで白血病の概要・治療内容・経過状況がまるっと頭に入る。

おまけにーー患者の方々には申し訳ないがーー読み物としても、めちゃくちゃ面白い。

かねてから、ガンの早期発見&早期治療を叫ぶ現在の"予防医療至上主義"には

巨大な"ハテナマーク"を掲げているが(近藤先生の冥福を祈る)

こと急性白血病の治療に関しては、例外扱いしてもいい気持ちになった。

 

それにしても

致死量の抗がん剤を投与し、ガン共々血液細胞を全滅。

焼け野原になったところに骨髄を移植し、ゼロから血液を作り直す。

・・・これって、文字通りの《復活》だよね。

まったく、とんでもねーこと考えて、実行しちまう奴らだよな、人間って。

 

ではでは、またね。